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田村通り大山道

前回、大山道シリーズ第一回として、柏尾通り大山道をexploreしました。

いやいや、絶景でしたよ。

ずっと、大山と富士山の共演で、この2つの神様に見守られながらのサイクリングでした。何か頂いたような気がしてます。

ということで今回は、田村通り大山道なんですが、江戸庶民の定番ルートが、江戸→東海道→柏尾通り大山道→大山→田村通り大山道→藤沢→江ノ島弁財天→鎌倉→金沢→江戸、だったということ・・・大山は男神、江ノ島弁財天は女神ということで、片方だけだと良くない、ということで江ノ島弁財天にも詣でてから江戸に帰ったということです。が、実際は、その手前、藤沢宿での精進落としが目当てだったようです。・・・で、今回は、前回の続き、江戸庶民よろしく、伊勢原から田村通り大山道を江ノ島弁財天へとexploreしたいと思います。

大山阿夫利神社から江ノ島の眺望、2202/11/27撮影

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伊勢原まで輪行、大山から伊勢原までは、前回、帰路で通ってます。ここからスタートです。

前回2022/11/27撮影

伊勢原駅南口から、イトーヨーカドーの東側の道を行きます。程無く、三福寺です。

ここには子の権現社があります。

三福寺と門前の子の権現社

子の権現は、飯能の天龍寺を開く前、ここ伊勢原にいたということです。

番外編で訪れようと思ってますが、三宮比比多神社近くに子の権現が籠もった山があります。この子の権現社はその影響でしょう。

先を行きます、日本発条伊勢原工場の突き当りに道標があります。一個目ですね。

お不動さんが乗ったタイプ

ふと振り返ると、

富士山が

先を行きましょう、東円寺です。

東円寺

ここは大山道に関する伝承があります。

永正の頃ですから1500年代前半ですね。この辺りは湿地、沼、で、歩けず、舟や筏で渡っており、古賀の渡しと呼ばれていたと。確かに、迅速測図で見ると、沼目、池端、大島、下島、小鍋島等の地名が見られます。

この古賀の渡しは大山詣りの道で、渡しは不便ということで、この地に住む子の無い夫婦が大山不動に願掛けし、土手を築いて参拝客を助けるからその代わりに子供を授けてほしい、と祈願したと。

しかしながら昼作った堤が夜のうちに崩れてしまう、何回やっても同じ、ということで、夜、見張ってると三尺ほどの白蛇が土手を崩していて、夫婦は怒って蛇を三つに切って東の舟つなぎ松の根元へ埋め、これ以降は土手が崩れず、立派な道が出来、夫婦には男の子も生まれ、大事に育てられたと。

この男の子は笛が上手で、西の舟つなぎ松の茶屋で笛を吹いて楽しく遊んでいたが、十二の時、死んでしまい、夫婦は嘆き悲しみ、茶屋の主人にも報告に行ったが、茶屋の主人は、そんなはずはない、男の子は今でも遊びに来て笛を吹いている、というので、夫婦は翌日茶屋の奥に潜んで様子を伺うと、果たして、男の子が現れたが、笛は吹かず、茶屋の主人が訊ねると、「因縁があるから吹けぬ」といい、三ツ切の蛇の姿となって消えたということです。

夫婦は驚いて、白蛇を埋めた東の舟つなぎ松の根元へ弁天を祀り、西の舟つなぎ松のところへはお寺を立て、長堤山東円寺と名付けた、それがこの東円寺です。

嘗ての古賀の渡し、子無し夫婦が作った堤道で先を行きましょう、

振り返ると富士山と大山の共演
ホントに堤道でした

渋田川、歌川、笹張川の合流点を越え、田村に入ります。田村、です。ここ田村には、御霊神社があります。

御霊神社

坂上 "田村" 麻呂が奥州からの帰途、京都の御霊神社より崇道皇帝を勧請して創建したと伝わります。崇道天皇とは、光仁天皇の第三皇子早良親王のことで、桓武天皇が最も恐れた怨霊の1柱です。

はい、だからここの地名は、田村、なんです。

またこの道は奥州街道だったということですね。恐らくルートは、藤沢、鎌倉から走水で東京湾を渡り、房総から北上して常陸国というルート、つまり、初期古代東海道ルートでしょう。

続いて神田寺です。

神田寺

坂上田村麻呂が奥羽征討の途中、当寺に滞留、軍馬を境内に繋ぎ、陣中の祈念仏青銅十一面観世音掛仏坐像を安置、東国平定鎮護国家を祈願、この地の小字名の「轡形」は、この時の馬の轡が由来と言われています。

先を行き、八王子街道とのクランクに十王堂跡があり、ここに大山道道標があります。

十王堂跡地にある大山道道標

そしてその直ぐ先、相模川の畔には八坂神社があります。

八坂神社

ここも、坂上田村麻呂奥州征伐の際、戦捷を祈誓され、その功あってか地名を田村と号し、という伝承が残ります。

ここ、相模川と大山の間は、古くから開かれていたということですよね。少なくともこれらの神社と寺はあったわけですから。

前回訪問した高部屋神社、子易明神比比多神社、勿論大山阿夫利神社に大山寺があったわけですから、当然と言えば当然ということでしょうか。

田村の渡しで相模川を渡り、

またしても富士山と大山の共演

目久尻川も渡るとここに一宮不動堂があって、お不動さんが乗る大山道道標、お不動さんの座像があります。

一宮不動堂
不動尊座像

その後、大曲、香川と進み、円蔵村と高田村の村境には馬頭観音と道祖神がありますが、ここには鷺茶屋があり大山の夏山期間に合わせて輪光寺の地蔵菩薩が出開帳を行っていたそうです。

道祖神
輪光寺

この先、高田、室田、菱沼と行って辻堂で東海道と出合います。ここに、大山阿夫利神社一の鳥居と四谷不動尊があります。

広重の、東海道 七 五十三次之内藤沢四ツ谷の立場、画面左端にお不動さんが乗る大山道道標が見えます。
四谷不動尊と大山阿夫利神社一の鳥居

この先は東海道です。精進落しですね。その痕跡がこれです。

永勝寺に残る飯盛女達の墓
永勝寺

遊行寺橋で東海道と別れ、

遊行寺

ここから先は江ノ島弁財天道となります。

遊行寺橋の直ぐ近く
藤沢駅手前
南口に抜けた後
境川手前
境川左岸
同じく境川左岸
江ノ島手前

程無く、江ノ島に到着です。

参道
江ノ島

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如何でしたでしょうか。

今回は大山から江ノ島弁財天へのexploreだったので、大山の眺望は振り返りながら、でしたが、いやいや、絶景でしたね、またしても。

距離が短く上りも無いのでやや消化不良ですが、ま、良しとしましょう。

良い季節になってきたので次回は山に行きます。

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