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恥として封じるところに力有り

ついさっき見たティースという映画を調べたら、邦題が「女性鬼」となっていて、そのセンスから絶対におっさんが考えたと直感し、なんとも言えない気持ちになった。

この映画は公害を思わせながら、単純に福音派のディスのような内容で、純潔を守らないならば、はたまたクソ野郎ならば噛み切って良し!という感じで色々と考えさせられました。

その前提はかの有名なアダムとイヴの話にさかのぼる。

アダムの肋骨から作られたイヴは蛇にそそのかされて、禁断の実を食べてしまった(さらにアダムを唆した)せいで女はもっと罪深いということらしい。

潜在的な恐怖を女性に対して持っていて、それが生んだ悲劇は魔女狩りなんかもあったりする。

日本でも女性の生理は穢れとして認識しているし、きっと全世界的にそうした文化は根付いている。

国を作る時に女の方から誘ったらやばいの生まれて、あそこが焼けて死んじまったとか結構イカれてるけど、血を飲んで暴れる女神もまた狂ってて愛おしい。

みんな女性から産まれてきた訳で、女性には力がある。

それは紛うことなき事実であり、だからこそ女性への畏怖が、こうした逸話として語り継がれているのだろう。

そうした流れが宗教や権力と結びついて男尊女卑の社会を形成した成れの果てが現代ならば、問題に直面している今だからこそ何か手立てがあるようにも思える。

最近ようやく見たかぐや姫の物語もそんな内容のように思えたのでした。

男がみんなポンコツなのは人間の亜種だからで、死んだ時にはみんな月に帰るのかもしれません。

そう考えてみてみれば気が楽になりました。

生きるために生まれてきて、苦しんでもがいたことも忘れてまた生まれてくるのかもしれない。

大事なことは必要な時に思い出すし、いちいち焦らなくても良いのだから。

JBが歌った男の世界は、働くおっさん劇場よりもタチの悪い毒毒モンスターを生み出していて更に愛おしい。

レイプされたと騒いでみたらジャックスパロウも謹慎するし、草津はセカンドレイプで有名だったりする。

性的マイノリティは生産性がないとか、自己責任とか言ってるおばさんたちも、おっさんのように力を使うことでのし上がってきたのだ。

万博さえやれれば大丈夫。

このままおっさんたちは逃げ切ることができるのか?

はたまた母のように優しい社会は訪れてくれるのか?

どちらも取り入れた折衷案をマツコDXのようなAIが、多分なんとかしてくれるから平気だと願おう。


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