見出し画像

国宝級イケメンにがっかりしたい

イケメンは、日本語で「魅力的な人、特に面貌が魅力的な人」の事を指す俗語である。
Wikipediaより引用

イケメンに生まれたかった。もっと言えば日本の中でも特に優れたトップオブイケメンになって、国宝級イケメンとして人生を送りたかった。
可愛い女優と何度も共演して、楽屋で一緒にオーベルジーヌを食いながら談笑したい人生だった。男性の大半が抱いている夢を、僕もまた持っていた。
イケメンにはイケメンなりの苦悩が~、顔がいいと相対的にマイナスな部分を~とか、うるさいんだよ。
「それって結局、イケメン・顔が良いという特性に対してのご意見ですよね?おいらは国宝級イケメンじゃないですけど、おいらにもおいらなりに苦悩があります。誰にでも同じように悩みや生きづらさはあると思うんですよ。そんな普遍的なモノでさえ、イケメンには”特別”になってしまうってことですか?
というか、そうやって勝手に特別扱いされることをイケメンは望んでいるんでしょうか?イケメンならではの悩みの根源って、あなたみたいな人が作ってるんじゃないんですか?」
ほら、ひろゆきも怒ってるぞ。


Googleアプリの最初の画面に出てくる、クソみたいなネットニュースが好きだ。ミスリードしまくり、PV数だけ稼げればいいというのがモロバレの見出しは、俺もまだまだキレイなほうだな、と思わせてくれる。
「○○の記事を表示しない」のボタンを押しても、ほかのクソサイトからクソニュースはうじゃうじゃ湧いてくる。ここまでくるとカッコいい。
僕もクソニュースのように美しくありたい。他人には分からない美しさがあるから。

いつものようにGoogleを開くと、いつものようにクソニュースが鎮座していた。調べようと思っていたことはもう忘れていて、僕はもうクソニュースの見出しに夢中だ。
【某国宝級イケメン俳優の食事のマナーが悪くて炎上!「がっかりした」「どんなイケメンでも無理」】
的な見出しが目に留まった。
どうでもいいことを上手にピックアップして、民意を膨らませて提供してくれている。やっぱり今日もクソニュースで安心する。
まあでも、「がっかりした」人はいるんだろう。「どんなイケメンでも無理」な人はいるんだろう。
羨ましいな、と思う。僕も国宝級イケメンにがっかりしたいのだ。
国宝級イケメンの食事のマナーに目くじらを立てられるくらい、その人たちは一切の妥協を許さない。国宝級イケメンには、国宝級のマナーを携えて欲しいのだろう。一緒にディナーに行ったとき、食事のマナーごときで周囲の目を気にしたくないのだろう。
そういう貪欲さを、僕は忘れている気がする。謙虚が美徳とされる日本で、国宝級イケメンにがっかりするようなガツガツ精神は、最高にロックでいなせだ。
僕が人生に閉塞感を覚えるのは、国宝級イケメンにがっかりできないからなんだ。がっかりできたら、きっと少しは生きやすくなるんだろうな。
がっかりされる国宝級イケメンにもなりたいけど、国宝級イケメンにがっかりする人にもなりたいな。
ネットニュースの見出しに、そう思わされた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?