ヤバい!僕の心がブッ壊れている!!
インターネットから失礼します。
北沢よがです。
実は2022年の10月末にマジのガチで心が病んでしまい、普段ならできることもままならないほどに自分の心が壊れてしまっていました。
結婚して1ヶ月ですぐにこんな事が起きてしまいましたが、すでに解決したことなので、僕の過去の出来事としてnoteを綴ろうと思います。
事の発端について
結論から申し上げますと、仕事が辛すぎて適応障害になってしまったって感じです。
どんなところが嫌とかはもう挙げたらキリがないのですが、1番の理由とすれば、自分の得意を活かせず、不得意だけを押し付けられた上にキャパオーバーになってしまったからです。仕事を頼む当の本人はそんなつもりはなかったのかもしれませんが…
僕の職場はホームページを中小企業向けに作ってあげる会社で、ベンチャー企業の割には東京の一等地のオフィスビルの一角を一丁前に借りられるほどの会社です。
初めに言っておきたいのが、僕にはホームページを作る技術はほとんどありません。
なのに、僕はホームページを作る会社で働いていました。
当時僕はディレクターの立場にいたので、それなりに知識を持っておかないとまずいのです。
そもそもなんでWebサイトを作る技術もないのにその会社に入れたのかと言うと、元々採用されるはずだった部署にはデザインの知識さえあればOKで、Webサイトを作る技術がなくても問題なかったはずなのです。
面接の時にも事前に「Webサイトを作る知識はありませんが、〇〇や△△、□□など大抵のソフトを使うことができますので、デザインをすることは可能です。」とアピールしていました。
面接時でも「それならこの仕事を任せたい」と言われていたのにも関わらず、最終的に自分の得意な分野には配置されませんでした。(自分の得意なポストの空きはしっかりある)
とは言え、未経験の若者を雇ってもらえるだけありがたい会社ではあります。しかしそのぶん、人の入れ替わりが激しい会社でもあります。
僕と同じような目に遭っている人も少なくありません。
しかし、ホームページなんてろくすっぽ作ったことなんてなかったのに、ましてやディレクターなんて。
しかし、1年前の僕はコロナ禍の影響で離職せざるを得ない状況になってから7ヶ月間も無職で、わずかだった貯金も底をついた僕に選択肢なんてある訳もなく、そこを選ぶしか無かったんです。
仕事が楽しくないし、いい同僚や上司もいない。
ぶっちゃけ、最初の3ヶ月でもうキツかったです。
もう次の仕事を探そうかと迷ってましたが、頭の中でいろんな人の顔が浮かび、僕に語りかけ、ネガティヴな事を延々と言ってきます。
時には母親の顔や兄弟の顔が浮かぶこともありました。
「3ヶ月で辞めるのは社会人として終わってる」「流石にそれは根性なさすぎ」とか。
誰もそんなことはひとことも言ってっていないのに、そう言われるかもしれないと勝手に疑心暗鬼になってしまい、辞めたい気持ちを抑えつつ、少しずつ心を擦り減らしながら仕事を続けていました。
かつて僕は「仕事はどんなことをするかよりもどんな人と働くかが大事」と思ってました。
どんなに楽しい仕事でも嫌な人がいたら耐えられないし、楽しくない仕事でも、いい人がいたら耐えられるものだと。
でも、仕事をするなら自分にとって楽しい仕事で、他の同僚と楽しく仕事ができる方が絶対にいいと気付かされました。
もうとっくに壊れていた自分の心
自分は鬱だと何となく察していたものの、下手に診察を受けて鬱じゃ無かったらどうしよう、ただ自分が自堕落なだけだったらどうしようという恐怖が僕を襲い続けていました。
そうやって診察の機会を先延ばしにし続けていた結果、いざ行こうとした時に自分では何も出来ず、コミュニケーションすらまともに取れませんでした。
妻に手助けしてもらいながら心療内科を探してもらい、一緒に付いて来てもらった上で、ようやく病院に行くことが出来たのですが、この時点で既に僕の心はボロボロにブッ壊れていました。
僕はずっと、押しつぶされそうな責任感とストレスに苛まれながら、もう切る身が無いのに血を噴き出しながら無い身を取り繕い、ずっとハリボテの心で生活をしていたのです。
この事を打ち明けた知人には相当驚かれ、「普段からひょうひょうとしているから、ここまでピンチになってしまう人だと思わなかった」と。
心のどこかではいつもの自分で振る舞わないといけないと感じていて、それがいつしか僕の心を押し殺す原因にもなっていたとは思いもしませんでした。
こうなってしまった僕は、それまで普通に出来ていた会話のやり取りが突然出来なくなり、頭の中で考えている事がうまく相手に伝えられなくなってしまいました。(徐々にだったのかも)
しかし、自分の心が壊れている事に気づいた日に、このnoteをバーミヤンで書き始めていたので、なんだか不思議なものです。
多分、ずっと分かってたんだと思うんです。だからこうやって冷静に自己分析が出来るのかもしれません。
それから1ヶ月のお休みをもらい、心を療養しつつ転職先を探しながら、ポケモンの新作を遊んでいたら、ものすごくいい縁があって転職先も見つかり、前以上に心も体も元気になりました。(その後福岡旅行中に腸炎になったけどね)
だけど退職の日、あんまり好きじゃない同僚から「やっと辞めるんだ」とボソッと言われたのだけは絶対に忘れない、許さない。
こういうの人に言うのは簡単だけど、当事者にしか解らない苦しみがあるので、マジでやめた方がいい。
加えて、安易に「辛そうだけど頑張んなくちゃダメだよ」とかも言わない方がいいです。
誰も幸せにならないので。
自分がピンチの時に本当の味方が分かる
冒頭にも書いた通り、僕の場合は「適応障害」でした。
あくまでも僕の場合ですが、自分の心が消耗しているとき、人間不信に近い状況に陥ります。
元々信頼していない人に対してはより不信感を覚えたり、同時に恐怖心を抱いたりします。
僕に対して特に気に留めていないような人でさえ僕に対して何かマイナスなことを思っているんじゃないかと気が気でない時もあります。
そんな時に勇気を持って話しかけてみると、意外な人物が自分の味方でいてくれることがあります。
妻や家族、医者が味方でいてくれることはもちろんですが、そんなに喋ったことのなかった会社の上司や、妻のご両親が味方についた時はそれだけで心が救われた気がしました。
後ろ盾を得たと言うかなんと言うか、もう怖いもんは無いなと一瞬でも感じさせてくれたのは大きかったです。
休むってマジ大事
マジ、これほんとマジ。
僕は前職での1ヶ月の休職を獲得してからは、ほぼ無かった食欲が徐々に回復し、日を追うごとに食欲が爆発していきました。
もう仕事を辞めるぞ!という指針が向いてからは意識をその方向に持っていけたのがかなり大きかったんだと思います。
仕事のことを忘れて、連絡もシャットアウトして別のことに集中するのは最初はかなりキツかったですが、割とすぐに仕事に行かなくていいと思えると心はスッと軽くなったりします。
なので、心と体が軽くなった分、1日に4食も食べたり、一回の食事で3000〜4000kcalぐらいの食事をしたり、僕にこんなキャパシティがあったんだ…!僕のポテンシャルはすごいぞ!と確認できるくらいには全回復していきました。
この記事の執筆時には食欲は本来の時に戻り、今日もハンバーガーを2個食べています。
そして休みの間に転職活動もして、すぐに転職もできました。
サイコーな会社に転職しました
僕には全く反りが合わなかった前の職場とはオサラバして、兼ねてからずっとやりたかったデザインの仕事に就くことができました。
面白い取締役陣と年代の近いメンバーの方たちで、和気あいあい仕事が出来ていることに日々喜びを感じています
僕の人生はまだまだこれからですが、一つの章としてはハッピーエンドで終わることができました。
これからも楽しく気楽にやっていこうと思いますので、皆様もどうかご自愛ください。
今回も短めでお送りしました。
投稿ペースが月1くらいになっちゃってますが、最近ポケカが楽しすぎて他のことを全くしたいと思わなくなりました。これはこれで良くない。
次は10年ぶりに再熱したポケカの話でお会いしましょう。
それではまたお目にかかります。