2万Hzを共に感じて
「あーーーYodaさんのお財布も欲しかった…」
「可愛かったね。でもあのリングもいいねー。綺麗だった。」
「あれね!次の目標が出来たから、またチーママ頑張る。」
「はは。そういうのあると頑張れるね。」
私にとって、宝石箱のようなお店「シプカ」の帰り道。
今池にあるお目当てのお店が偶々臨時休業で、どうしたものかと歩いていた時に、ビル街に埋もれそうな佇まいの居酒屋を見つけ、寒さから逃れるように引き戸を開けた。
広い割に接客は女将さんひとりらしく、誰も出てこない。
フランチャイズに浸食された「案内され癖」で、二人入り口で立ち止まっていると、カウンターで熱燗を所望していたシニアの方が「ここ空いてるよー」と、置いていたダウンコートを避けて、おいでおいでをしてくれた。
スナックで培われた図々しいスキルを発揮し、娘を引き連れてカウンターに座る。隣ではのんびりと読書をしながら刺身をつまみに晩酌している、私とさほど変わらない男性がいた。
あ、このお店はまた来よう。
そう「感じた」。
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「こないだね、人間には聞き取れないって言われてる『2万Hz以上の周波数を文章で表現すると』っていう話が出たの。理迦はどう思う?」
「ふーん。面白い事言う人がいるんだねえ(笑)私は文章って言われると分かんないけど…」
コーラを片手に焼うどんを頬張りながら、理迦は上目遣いに答えた。
「ああ。確かに人間は2万Hzまで…なんて、音響の資格とるときに聞いたことある。ライブにより近い物を表現しようとするときに、『ハイレゾ』なんてよく使われてるよね。CDの約6倍とはいえ、それでも2万Hz以上ってなると、そうだなあ・・・。」
「『感動する芸術に出会った時』とかで表現してた人もいたのね。理迦だったらやっぱり音楽?」
「うーん。例えば、好きなアーティストのライブに行くまでに、そのCDを聞き込むでしょ?そしてライブに行って。」
「うんうん。思い切り唄いたいし(笑)」
「そうそう。んで、帰ってきてまたそのCDを聞くと。」
私はビールを一口飲んで
「また違う曲になるな。確かに。」
と頷いた。
娘は塩サバをつつきながら笑った。
「でしょ?それってある意味『2万Hz以上』を感じてるってことじゃないのかな?なーんて。」
理迦は早口気味に続けた。
「ライブで聞いた音の記憶や、それに合わせて振り上げた拳、隣にいた見ず知らずの人と同じ歌を唄う結束感とか。それを身体が覚えて、同じ曲を聞くことでまた違う音が聞こえてくるじゃん。CDは何も変わらないのにさあ。『そこに存在しない周波数帯域を、受け手が勝手に作り上げている』ってことかなあ。あ…作り上げるってというより、受け易くなるのか。」
「経験値みたいな?」
「だね。同じCD持ってたって、ライブに行った人だけが感じることが出来る音ってあると思うんだ。だからみんなチケット争奪になる。少しでも憧れに近づきたくて。」
「なるほどね…。」
「んでもそういうのって個人だけじゃなくて、気が合うとか合わないとかもそうなんだよね。さっきだって…思わなかった?」
「イヤーカフの時でしょ?オカンも思ったんだよねー。」
「それそれ。同じイヤーカフを同じように『いい』と感じたものって、その2万Hz以上の何かを、同じように感じたからこそだよね。しかもモノから。言葉で言うなら…なんだろう。」
私は2杯目のビールを飲み干して答えた。
「感受性?」
「そうなのかも!」
「理迦は半分同じ遺伝子だからなあ。」
「あ、そういうのもあるかもしれない(笑)感受性が近い。その辺の友達より、お母さんとライブ行く方が盛り上がるもん(笑)」
涙腺が緩んだ気がした。
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家路につきながら考えた。
世の中には、様々な「2万Hz以上」を持つものが溢れている。人、感情、モノ、音や感触・・・。支払える対価があればそれだけの「2万Hz以上の何か」を得られる。そのために働いたり、何かを犠牲にしたり。
そこまでして得たいと思う「2万Hz以上」に出会うことも、出会いたいと願い起きることもまた。
今の私が感じる事が出来る「2万Hz以上」とは、何だろう。
言葉に出来ない。
あるいは、溢れすぎてどこから伝えたらいいのかを思案してるのかもしれない。
それを伝えたいと思う何かに、誰かにまた出会うことができたら、私はまた違う「2万Hz以上」を受け取ることが出来る。
そう信じて、またここに来て、どこかに行って、触れよう。そして伝えたいと思う。
そう、これを見てくれるあなたに。
(2万Hzを共に感じて -Fin-)
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