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玖躬琉の部屋

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長い独り言や自身の経験を織り交ぜた随筆やエッセイらしきものもこちらで。
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#随筆

居酒屋

人の歌を聞いて泣いたのは、幾何ぶりだろうか。 実家であるスナックでチーママをしている。創業50年を越えた。 なんのとりえもない小さな店だけどねと、ママは笑う。 元々この店は居酒屋だった。私がまだ幼い頃、夜に留守番がおらず、私一人を置いていけない時は一緒に店に行き、カウンターの隅っこで、店が終わるのを待っていた。眠くなれば、練炭が積まれた倉庫で毛布にくるまって眠りにつき、朝目覚めればいつの間にか家にいた。 倉庫を改装して作られた、間に合わせのような空間。一雨くれば簡単に雨

青春と人生の交差点

運営サイトの業務をひと段落させ、台所で缶ビールの栓をプシュリと言わせた23時。 スーパーで仕入れたマグロの剥き身に、刻んだネギと醤油、マヨネーズを少々合わせたアテをこしらえていた時に浮かんだ事。 「青春が人生に変わるときって、いつなんだろう。」 ・・・ 青春 それは 君が見た光 僕がみた希望 ・・・ いやそれは「青雲」やから! 最近ちょっとアロマめいた感じになってるけども線香やからな! 自分おもろいなーっはは! ・・・ 怖いですね。本人は至って楽しいです

色恋し

嗚呼、色恋しや我が眼 桜も終わり、緑鮮やかになる五月。オオムラサキツツジと若葉のコントラストが恋しくなって、私はドアノブに手をかけた。私にとって、色を観ることはとても大切な行為で、それと関係ないことも「色」に変換してみてしまう。データベースを含めた数字、人格、感情、文章や脈絡もなぜか「色」として自分の中に取り込む性癖があるのだ。 ・・・なんてな。 性癖は見たままです。私は何でも「色」で見ます。特にここで語ることは避けますが。 毎年この時期はツツジを観るのが好きです。私は

末っ子根性と姉御肌

私は三人姉妹の末っ子で、姉二人とは一回りほど離れている。父親が違う「種違い」だ。母は夜の商売で、昼間は寝ていて夜はいない。ギャンブラーの父は夜家を空けることがおおく、姉たちは私にとって、半分親のような存在だった。食事の世話や、病気がちだった私の看病。友達と遊びに行くときでさえ、私を連れて行ってくれた。私はそんな姉たちに甘え、わがまま放題に育った。 ただ、近づききれない、「血」がそうさせているであろう薄膜のようなものは、子供ながら肌で感じていた。 姉二人は2歳違いで、ちょっ

大器晩成の終点は

一体いつなのでしょうか。教えておじいさん。アルムのもみの木は見たことがありません。 何故そんなことを言い出したかというと、遅ればせながら「あなたの不思議体験」なんて見つけて、つい手を滑らせてしまいました。 そう。手です。ご覧いただけますか。まずは左手。 元は左利きです。幼少の頃、矯正を受け筆記用具含めてほぼ右利き用ですが、スポーツ競技で使う道具はすべて左利き用です。両利きとも言われます。得したことといえばサラリーマン時代、普段右手で仕事をしているのに、飲み会の後で誘われた

ささやかな抵抗

失業保険の手続きに、ハローワークへ向かう。 在宅でもいくつか仕事をしているが、余力のある生活費を稼ぐだけの対価はまだない。サラリーマン時代、毎月天引きされていた6桁の税金が、今の私を生かしている。 入り口で、手にしたアルコールを丁寧に擦り付けながら進もうとした時、人の行列がそれを阻んだ。 思わず立ち止まったまま並んでいると、後ろにいた女性から「もっと詰めてください」と迫られた。私が知る限り、約2メートルは距離を置くのがスタンダードなのだが、通用しないことを悟った。私はマス

頑張れ、シャープさん

昨日、この記事を目にした瞬間、涙が溢れて止まらなくなりました。 理由は、自身が工場勤務だったことで、量産が始まるまでの道筋を自身の経験と重ねてしまったからです。 感情に任せて衝動的にツイートしてしまいました。 ■□ 2年前までの約20年間、自動車部品工場で働いていました。 以前のnoteにも書きましたが、自身が工場で働いていた時、新規部品の立ち上げから、量産までのプロジェクトリーダーを任されたことがあります。 その部品は、不具合を起こすと人命にかかわる危険がある「重要

厄月に想う

3月。 自身にとっての「厄月」です。逢魔が時はなぜか3月。体を壊し、心を壊し、大切な人との別れもこの時期が多いのです。溢れる感情が文字の洪水になって、頭の中で流れ出ていることに気づき、その一端を拾い集めて厄を払うようにここへ言葉を並べ「書いて生きたい」と思い始めたのも昨年の今頃でした。 PCのモニターや携帯という小さな四角形の中に眼球と心を寄せながら、様々な言葉や作者に出会い、別れながらこの「note」に言葉を書くようになって1年が過ぎます。 ここに寄せられた作品や縁が

日記

会社から正式な退職を告げられたのが8月末だったが、今さらながら健康保険の手続きと、退職手続きに奔走している。 ここでは書かないが会社と退職金を巡り未だに揉めていたりで、離職票などの書類が遅れていたのもあった。 ハローワークの先輩でもある子供に手続きの流れを教わって、バスに揺られて向かう。 必要な書類を提出し、退職手当の受給資格について説明を受けた。 職員である青年はハキハキとまくし立てるように話す。 「会社では『自己都合』となっていますがあなたの場合は『やむを得ない理