病室

-安全というだけで人生は満ち足りるか-


「調子いいよいいよ、お酒足りんくらいなことで」
「こないだおはぎ食べた、美味しかったなぁ」
「昔は下剤なんか使わなくても便が出たのになぁ」
「自分の子供が実は血がつながってないんじゃないかって、心配で…」

定期の診察を「調子はどうですか?」の一文で始めると、
実に多彩な答えが返ってきます。医師の目で見て聞いて触った病状のみたてと合わせて、
少しでもその人のお役に立てるよう、暮らしぶりや個性を見つめなおす時間です。

一方で、こんな報告もあります。

「熱は出てないです。食事は摂れてますし、便も出てます。」
「痛みはないようで、よく眠っておられます。」
どちらも通院の難しい、在宅医療の現場です。
無事で何より、苦痛がなくて、何よりです。

けれどもそれはただの、生き物としての患者さんの状態です。
例えばこんな毎日はいかがですか。

朝起きる。洗面所まで歩けない方は、顔が洗えないかもしれません。
こびりついた目やにで眼がただれることもあります。
食事は飲み込みに配慮して、刻んだり、ペースト状になっていたらどうでしょう。
得体のしれないものは早く平らげてしまいたい。食事の愉しみが暮らしの中からなくなります。

食事を摂って、ベッドで休む。また食事を摂って、合間にトイレに行く、オムツを替えてもらう。
施設では季節の行事が繰り返されるけれど、手作業もおしゃべりも、流れてくる歌も、実は
好きじゃない方もいます。

行きたい場所への行き方は思い出せないし、独りで出かけられそうにない。
毎日同じ風景で、会いに来てくれる人はほとんどいない。手紙も電話も来なくなる。

確かに熱はないし、食べて出して、眠っている。
「愉しいことなんか何にもないよ」「やりたいこと、特にない」
これもまた在宅医療の現実です。

やらなければならない仕事、お世話しなければならない人、かなえたい夢。
行きたい場所、話したい誰か、食べたいもの、大好きな趣味。
かつて患者さん達の毎日も、たくさんの出来事であふれかえったはずです。

それがいつしか病を持ち、歳を取り、自分らしさや自由を奪われる。
そこに皆が老いを恐れる所以があるのではないでしょうか。
けれど私はわがままな生き物、
それでも最期まで、面白きことも無き世を面白く生きていたい。

沢山のものを失いつつある時、それでも今日を明日をと生きていけるような
喜びは果たしてどこにあるのか。
病気が治せなくても、老いが忍び寄っても、降っても散っても愉しい。

私たちはプロフェッショナルとして、この理想を叶えたいと思っています。
ひとつひとつの具体策を、またこちらでご紹介して参ります。

あなたの命をあなたの物差しで


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