「オス」について

こないだ面白い話を聞いた。

なんでも大雑把に捉えると生物というのは本来メスが中心で成り立っている、まあこれは別段珍しい話じゃないが。
ライオンを見てもカマキリを見てもオスの悲哀は言うまでもない(カマキリについては一度掘り下げてみたい、視点を変えれば究極の武士道ってことか)。

オスだけになった種は滅んでしまうが、メスだけになった種はメスだけで受精できるように体内機能を補完したりするそうだ。つまり生物はメスこそが主役でありオスというのは添え物に過ぎないというのだ。

人類に置いても古代には女性のほうが地位が高い時代場所があった。やがて男性を立てることでリスクを外に背負ってもらうシステムができる、これが文明社会だと。で、精神的に弱い男性の面目を守るために文化や宗教が発達したという。なかなか興味深い。

ふと思い出したのが小松左京の短編SF。
遠い未来において力仕事がなくなった人類の外見的進化の話だったかな、女性は今と変わらないのだけど男性は脳髄とペニスだけの体、そこに手足が申し訳程度についているような感じだった。
なんか恐ろしい予想だけど、ありえなくもないかななんて考えてしまうね。

つまり我々が物心ついてから今まで言われ続けている男性社会というのはある意味マトリックス(虚構)なのかも。だからどうってわけじゃない、たとえ「真実」がどうであっても「実態」はどう見ても男性が有利だしね。
ただし、ちゃんと物事の本質=原理原則を理解しておかないと。あるいは理解しようという姿勢を持っていないとね。でないと何かって時に道を誤るのだ。

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