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返報性の法則に縛られない

返報性の法則。人は親切にされたりするとお返しをしなくてはという心理である。
SNSマーケティングはこの返報性の法則を上手く使って数字を伸ばしていくやり方。それは百も承知である。
しかし、それによって自分という人格が蝕まれていくのもまた事実。

フォロワーを増やすためにフォローする

フォローするとフォロバがあるだろう、という見え透いた魂胆があるのは百も承知なのである。
こういったフォロバ待ち民は、フォロバがないと速攻でフォローを外している。
要は自分のことしか考えていない。興味があるからフォローしている訳ではないからたちが悪い。
さらには、コメントして「あなたに興味がありますぅぅぅ!よかったらフォロバしてくださいぃぃ」とハートマークをぶちあげていたにもかかわらず、投稿と的外れなコメントをしたり、その後全く絡まないという…何のためのコメントだったのかと。
TwitterにしろFBにしろアメブロにしろ、今まで使ってきたSNSにはこういった傾向があった。
特に「SNSを使って稼ごう♡」的なお花畑民に。

フォロワー全員フォロバしていると歪む認知

最初は、フォローしてくれたことが嬉しくてフォローを返していくものの
自分の興味関心を全く無視してフォロバのルールを自分に課してしまうと結構大変なことになるのである。
タイムラインはフォロワーの思惑通りになり、無駄にカモになってしまったり興味のさほどない事にも話を合わさないといけなくなる。
最初は誰でもフォロバ、後からフォロー整理すればいいやと思っていたら
いつの間にか情が沸いてきて、義理人情で判断するようになってしまう。
自分の好きなことってなんだっけ?何でわたしこんな情報ばっかり見てる?
一日中もやもやしたまま、でもなぜか気になってタイムラインを見てしまう。
その時すでにSNS疲れは始まっているのである。

とんでもないフォロワー

その人自身はいい人なんだけどね…ってやつ。
シェアとかリツイートで回ってくる情報がもう、目を覆いたくなるようなことばかりでさ…と頭を悩ませてしまうこともある。
シェア情報もある種その人の人格と考えてよし、なのではないか。
周りの人間関係や思考までもが全て透けて見えるのが、SNSの恐ろしいところ。
回り回って自分の悪口を人のコメント欄で見つけることもあったり
そういうの全部バレてるからねー

フォローって一体なんなのか

もうそうなってくると、原点回帰せざるを得ない。
自分の興味が沸いた人にはフォローしてさらに読みたいと思うし、フォローされるのはありがたいけど先方のコンテンツに魅力がなければフォローしようとも思わない。
情報は沢山あるからこそすれ、選択と集中が大事になってくるのであって
自分の見たくないことをわざわざ入れる必要もない。
そして、SNSで築かれる人間関係を他の媒体まで引きずることもなくてよいかなと思ったりする。

今使っているのはnoteとYouTubeだけなんだけど、細々とやっています。
SNSに疲れたと言いつつも、プラットフォームがそうなっているので仕方がないところもあり(笑)
いいね頂いたかたのところには、訪問していますがそこから先は自分の判断でどうするか決めています。
必ずお返しできるわけではないのでご了承くださいね。
そして自分が面白い!と思ったものに関してはリアクションしていこうと思った次第であります。



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