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映画「えんとつ町のプペル」(舞台挨拶付き)を観た感想<ネタバレ有>

キングコング西野亮廣製作・総指揮の映画「えんとつ町のプペル」を初日舞台挨拶付きの回で観てきました。
めっちゃ感動したと共に内容も深かったので、その時の感想を記しておきます。
絵本や予告だけでは味わえないところをネタバレしていますので、まだ観ていない方は見終わってから是非読んでもらえると嬉しいです。

入場からすでに、プペルの世界へようこそ

入場案内が上映10分前と結構ギリギリだったので、入場口には恐らくプペル目当てであろう人が集まってきた。
ルビッチのパネル前で自撮りするおねえさまとかいたり(笑)
スクリーンに行く途中にプペルの大きい垂れ幕があって、そこをみんな写真撮ってたりして(わたしも撮りました)
今からみんなでプペル観るぞー!といった感じの一体感。
会場に入ると早速ロザリーナの歌声が聴こえてきて、スクリーンにはプペルの上映待ち案内のみ。
映画ってだいたい上映が始まるまで、次回予告が延々と流れる時間があってやっと上映、という流れで「一体何を観にきたんだ?カネ払ってるんだから早く見せろよ」と思いがちなんだけど今回はそれが全くなくて、プペルの作品に集中できました。
これは映画館の配慮なのかそれとも配給側の演出要望なのか。
わからないけど、これすごくありがたかったです。他の映画もこうすればいいのにねぇ。
他の通常上映ではこうなってないかもしれない。舞台挨拶付きで上映時間が長いぶん、入れ替えがタイトだからこういった演出になったのかも。
そういう点では、舞台挨拶の回を選んでよかったと思う。

本編の泣きポイント

プペルの映画は絶対感動すると断言できるんだけど、泣きポイントが人によって違うと思う。
男性の場合はルビッチが船を出すシーンとか、アントニオが協力するシーンを挙げていることが多いみたい。
わたしの場合は、ルビッチとプペルの気持ちのすれ違いで一旦離れてしまって、そしてプペルが戻ってきたシーン。
大切な人なのにわかりあえないもどかしさと切なさ、そして思ってもいないことをぶつけてしまった悲しさ。
周りから色々言われる評判を信じてしまって、大事な人を疑ってしまって
一体自分はどっちを信じるねん?といった課題を突きつけられる瞬間。
いつのどんな時でもあると思う。
それからプペルが戻ってきて、ルビッチの大切にしていた父ちゃんのブレスレットをずっと探していたこと、見つけたのは自分の身体の中だったこと、そしてプペルは父ちゃんの生まれ変わりだったこと。
絵本の中ではペンダント(懐中時計?)だったシーンなんだけど、ここは絵本でもボロ泣きしたシーン。
大事な人の大事なものと引きかえに、自分が犠牲になるっていうのは心えぐられるわ…

本編の伏線回収

プペルの正体が、亡くなったルビッチの父ちゃんの魂がハロウィンで戻って来たというのは絵本のオチなんだけど
映画の前半で「この人たちもしかして最初から知ってたんじゃないのか」といった伏線が張られてる場面を回収したい。
プペルを連れて帰ってきたルビッチを見て、母ちゃんがすんなり晩ご飯を用意して受け入れたこと。
えんとつ掃除長のダンさんが、プペルに仕立ての仕事を与えたこと。
その仕事場はルビッチの父ちゃんブルーノさんが生前仕事をしていた場所そのまんま。そしてプペルがいきなり裁縫の仕事ができてしまうこと。
ダンさんはもしかして何か感じていたんじゃないのか?と思ってしまう。

意外な裏切者

ショックだったのは、えんとつ掃除仲間のスーさんが実は異端審問官の工作員だったってところ。
プペルをかくまうダンさんを狙って吹き矢を飛ばすシーンがかなりショッキング。
一見仲間と思われる人の中にも、裏切り者がいることに気をつけろ…というメッセージなのか。

映画から学ぶべきメッセージ

よく言われていることは「周りから叩かれても批判されても信じぬいて挑戦しろ」ということだと思うんだけど実はそれだけじゃ浅いかなと思った。
わたしの中では2つあったので紹介したい。

1つめ「賢者は歴史から学ぶ」
ルビッチがスコップのところへ行って火薬を分けてもらう時に、えんとつ町の歴史を話してもらうシーンがあった。
ルビッチはやみくもに挑戦している訳ではなく、町の歴史を知って、どうやってえんとつ町がこうなって、人の考えがこうなってしまったのかを知ることで真実を突きとめに行こうとする。
やっぱり賢者は歴史から学ぶってこういうことなのかと思った。

2つめ「下を見るから怖いんだ。上を見ろ」
わたしも実は高所恐怖症でルビッチの気持ちがよく分かるからこそ、上に向かって登っていくところのブルーノさん(志の輔師匠)の口上がすごく響いた。
日常でもしんどいな、途中で諦めようかなと思うささいな事でも思い出したいこの口上。
帰ってからスパークリングワインの硬い栓を抜く時に思い出した(←)


ラストでは町の時代が変わることもすごくよかったし、時代が変わった後のえんとつ町がどうなって行くのかも見てみたいと思った。
今後次回作として出てくることを期待したい。


そして、挑戦者と世間の同調圧力を描いたと言われるこの作品だけど
わたし自身どうなんだろうというところを思い返してみる。

わたしは夢とか目標とか特になく過ごしてきて、夢や目標と言われるから持たないといけないのかなと無理矢理思ってもいないことを掲げてみるんだけどどうも違う。
夢を持って行動している人は羨ましいと思いながらも、特に足を引っ張るわけでもなく
逆に夢を持てと押しつけられるのが苦しくてたまらない。
目立つのも仲間と何か協力して成し遂げるのも苦手で、ただただひっそりと存在感を消してひっそりと暮らしたい。
表に立つ人だけが成功者ではない、裏で安心安全を求める人の支えになることが実は夢であったりもする。
そんなわたしの密かな夢もまたお金が必要で、協力者も必要で…といった矛盾も抱えつつ今のところは何も動いてはいない。
微々たる行動をくり返しつつ、やっぱり上を見ていかないとだな。とは思った。
こうやってnoteに書き記しているのも、自分の発信をまたやっていきたいという現れかもしれない。

そのうち、なんかやるから。もう少し時間をかけようと思う。

拍手の起こった劇場を後にしながら、そう誓ったのでした。


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