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沖縄にて

突然ですが、沖縄に行っていました。ひとり旅。

沖縄滞在3日目、最終日のキロク。

今回の滞在先は真栄田岬に近いペンションに2泊。
那覇まではバスを乗り継いで1時間半くらいの場所。

海が目の前にあって、一日中波の音が聞こえる。

真栄田岬


人の気配がほとんどなく、プライベートビーチのよう。
気が向いたら泳いだり海に向かって瞑想したり。

部屋でいくつかのzoomミーティングに参加したりしながらのんびり過ごした2泊3日の滞在。


初日、Facebookに首里にいるよ〜と投稿したら、
友人が「波上宮」にも行ってみてというコメントをくれた。

調べてみたら空港から近い海の上にある神社。

帰りに寄れるかな?とぼんやり考えていた。

んで、飛行機はお昼前だったので
それに間に合う朝早くのバスを調べておいた。

しかし、その日はいちおう早めに起きたものの、雲ゆきが怪しく、早朝に海を散歩する気も起きなくて、

うーんどうしようと思いながら、のそのそと帰る準備をしていた。

そうこうしていたら、ザーーーっという雨の音。

海の向こうにあった雨雲がここまで到達した模様。すっかり本降りになってしまった。

あ〜。やっぱり寄り道は止めてのんびり帰ろうかな

なんて思っていたら

見えない存在からの声が聞こえる友人から、謎のメッセージがくる。

メッセージの内容は、「あたまあたまあたま」

な、なぞすぎる。

だけど、なんか、行けってことかしら?と勝手に解釈して
とりあえず、始発のバスに乗る。

雨はどんどん激しさを増して、土砂降りに。

さとうきび畑の地域を抜けて、バスはフェンスだらけの嘉手納を通りすぎる。

前日、美しい岬の景色に感動しながらも、一方でその陰にあるかつて戦争で失われた幾多の命、沖縄の悲しみを感じていた。その感覚とともにフェンスを眺める。

バスに乗って1時間半。雨は上がり始めたが、バスの進行は到着予定を遥かに遅れそうなペースだった。

もう、空港に直行した方が良さそうだな。
乗り過ごさないように緊張していた気持ちを緩め、私は椅子に深く座り直した。

あとはぼんやり空港に着くだけだ。

バスの外の景色は、フェンスの街を抜け、都会味を帯びてきた。

完全にぼんやりを決め込んでいたのに、急にバスの停留所のアナウンスがはっきり聞こえる。

「沖縄タイムス前」

調べていたいくつかの経路のうち、歩けば波上宮まで15分の場所だ。

時間を見たら10時。
飛行機が11時40分だから、波上宮からタクシーを使えば十分間に合う。と、その時の私はかなり自信を持ってそう思った。

しかし、後から考えれば、11時40分に飛び立つ予定の飛行機に乗りたいのに、10時の時点で他の場所に「行けるんじゃね?」とか思うなんて、ちょっぴり?いやかなりクレイジーだ。

とっさにバスを降りてしまった私は、Googleマップを頼りに波上宮に向かって歩く。

マップが示す最短距離は、波上宮の隣にある公園を斜めにショートカットする経路。

公園に向かって歩いていたら、対馬丸記念館と書かれた建物が現れた。

対馬丸とは、戦争末期、沖縄への米軍上陸がいよいよ現実味を帯びてきた頃、子供や女性、お年寄りなどを本土へ疎開させる政策がとられた。
しかし、こども達を乗せた対馬丸は、米軍の潜水艦に撃墜され、乗っていた800名近くの子どもたちが命を落とした。
https://www3.nhk.or.jp/news/special/senseki/article_38.html

記念館の横には公園に向かう石段があり、
その上には木が鬱蒼としげっていた。入り口の案内板を見ると慰霊碑を祀る公園のようだ。

ビーチに向けて観光客が楽しげに歩いていくのを横目に見て、ひっそりとした公園に向かって石段を登る。

登りきると、そこに幼い子供を抱く母親の像が現れた。
背後には戦没者の名前が連ねられ、千羽鶴が備えられている。

子どもを失う母親の悲しみが、自分の中に溢れてくる。

対馬丸の慰霊碑さくらの塔

他にも様々な慰霊碑が点在していて、空港までのタイムリミットを気にしつつ、手を合わせて周る。

公園の中はGPSがうまく働かず、Googleマップの現在地がぐるぐる変わる。

華やかな観光地とは対局のような静かな森の中の鎮魂の空間。

公園を抜けると、そのすぐ隣が波上宮だった。

波上宮

お宮に着くと、雲の切れ目から日が差して、本殿では七五三のご祈祷がされ、そのすぐ後にはお宮参りの赤ちゃんと小さなお姉ちゃんを連れた家族が入ってくる。

鎮魂の森と、今を生きる人々の光。
そのコントラストに私は自分をどうしていいかわからなくなる。

悲惨な戦争の慰霊碑を前に、今を生きていることに感謝するべきなのかもしれないが、私はむしろ申し訳ないような気がしてしまうのだ。

ごめんなさい。

何が?と聞かれるとわからないのだが、でも「ごめんなさい」なのだ。

そんなことを思う一方で、お参りして、ご祈祷の場に居合わせて、すっかり気分がよくなったゲンキンな私もいるのである。人間なんてなんとも勝手なものである。

しかし、この時の私は知る由もなかった。
この後、とんでもないジェットコースターが待ち受けているのであった。
(続く)

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