「覚悟」という言葉
3月1日の社内研修の講義は、プロレスラーの大仁田厚さんでした。
このnoteでも取り上げたとおり、私はプロレスが大好きでして、数ある著名人の講義がある中でも、ちょっと次元が違うくらい楽しみなものでした。
そして運よく質疑応答で機会をいただけたので、「覚悟」という言葉の質問をさせていただきました。
せっかくなので、私のプロレスへの出会いから、なぜ「覚悟」という質問をしたかを書いてみようと思います。
プロレスとの出会い
プロレスを観に行くまで
プロレスへの出会いは結構遅く、18歳の頃。2003年で、プロレスの歴史でいうと、WJが旗揚げされたり、伝説のGHCヘビー級選手権 三沢光晴対小橋建太が行われていたり、現在の業界最先端である新日本プロレスの低迷期にあたる時期です。
のちにプロレスラーになりメジャーベルトを巻き込むことになる友人と出会ったのがその年。
彼が度を越えるレベルの「プヲタ」であったことから、格闘技に全く興味のない私にプロレスを体感させるため、まずは当時の流行であるPRIDEをさいたまスーパーアリーナで観ないか?と誘われたことから始まりました。
当時の私は、流行だし・・という気持ちでなんとなく観に行ったこの興行、寝技に終始して遠い席でよく分からないというなんともリアクションの取り辛い大会だったことは覚えています。
その試合が終わり、当時お互いにお金がなくお店に入ることがでじず、駅前で飲み物を買って「この先どうなるんだろう・・」と語り合ったのは、いまだに印象として残っているできごとだったりします。
その流れで、今度はプロレス観に行かないか?と言われて行ったのが、プロレスリングNOAHの2003年10月11日後楽園ホール大会でした。
その時のメインはこれらしいです。
正直今このカードだったらまず観戦していないですが・・笑
PRIDEと違って後楽園でリングからの距離も近くて割と楽しかったので、次の月の後楽園大会にも行くことになりましたが、そこで観たこの試合でした。
2003年12月11日 東京・後楽園ホール GHCジュニアヘビー級タッグ選手権 (王者)丸藤直道・KENTA VS (挑戦者)菊地 毅・百田光雄
2003年7月にGHCジュニアタッグを体感した、丸藤・KENTA。俗にいう丸KENタッグが生まれ、のちに女性ファンが一気に増えて写真集まで発売されるタッグチームです。
そんなことも知らない私ですが、友人からベルトをかけた試合を後楽園で観ることができるよという誘いで、とりあえず行くことにしました。(今でこそ後楽園ホールでのタイトルマッチは普通ですが、当時メジャー団体ではほとんど行われていなかったのです)
試合を観たら、丸藤直道の華麗な飛び技とKENTAの重みのあるキックに一気に魅せられ、その瞬間からプロレスファンになりました。
以降、NOAHはもちろん新日本プロレスや全日本プロレス、ゼロワンやDDTなどスカパーに加入して大量に観ることになりました。
特に、2004年7月のNOAH東京ドーム大会は青春というのにピッタリで、忘れられない大会です。
プロレスごっこ
観るだけでは飽き足らず、プロレスごっこも始めました。
これは友人が中学生くらいから友達同士で行っているもので、ふかふかマットを使って投げ技全開で行うガチのプロレスごっこでした。(友達が後にプロになった後のイベントで映像だしして、軽く引かれるレベルです)
当時、みんなNOAHのプロレスに魅せられていて、私がKENTAに影響を埋めまくっていたので、かなり厳しいアスリートプロレスをやっていました。
これは友達がプロデビューするまで行っていて、結果として首が上にあがらなくなるくらい、身体にガタが来てしまったというものです。
みなさま、過度なプロレスごっこは止めましょう。でも私にとってこれは「青春」でしした。
「覚悟」
これは2004年7月のNOAH東京ドーム大会の秋山準戦の試合前インタビューで、小橋建太選手がしきりに発言していた言葉です。
そこからプロレス=覚悟というイメージがつきました。小橋建太=覚悟かもしれません。
それ以降、プロレスラーはどんな覚悟をもって試合に挑んでいるのだろう・・と思うようになっていきました。
大仁田厚さんへの質問
私は、大仁田厚さんに「覚悟」について質問しました。電流爆破や新日本プロレスに単身乗り込んだ時など、どんな覚悟をもっていたかという質問です。
そこでのエピソードは凄まじいものでした。貴重すぎるお話でここでは全て書かないですが、ひとつ自分の中で足りたなかったピースがハマる発言がありました。
大仁田厚さん「今の時代は争うとかそういうのを否定する人がいるけど、人生の中では戦わないといけない時がある。そういう時は逃げるより戦わないといけないって時がある。覚悟を決めたらなんでもできます!逃げないでいってください!根性決めて立ち向かって!」
震えました。こんな感情になるとは思わず、、武者震いでした。
「覚悟」の先
5年前、私は転職しました。
その時、安定の大企業と不安定のアイドル業界の選択肢があり、私は最終的に安定の大企業を選択しました。
やりたい仕事は圧倒的に後者だけど、結果として「逃げ」を選択しました。
もちろん、それによって得られたことも多いです。現に今の研修制度で人としてメジャーアップデートしている体感があります。
でもやっぱり、あの時後者を選択していたらどんな人生を歩んでいたのだろうと思うこともあります。(コロナ禍もあったし、厳しい人生になっていた可能性もあります)
時が経って5年。新しいチャレンジをする時期が来ています。
今の私は「人生の中では戦わないといけない時」がまさに来ているのだという帰路です。
今度は「逃げないで戦おう」と講義を終わったあと思いました。頑張ります。(あ、会社を辞めるわけではないです・・笑)
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