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【わたしだけのふるさとの話】実家の酪農のはなし

わたしのふるさとは福島県の太平洋に面した小さな町。
その中でもわたしが育ったのは山の方に上った田んぼと山間に囲まれた地域。

わたしの実家は酪農家で、隣の家もその隣の家も酪農家。
祖父が若いころ、この地域を酪農地帯にしようと地域のみんなで発起して育て上げてきた小さな酪農地帯であった。

父と祖父と祖母が酪農に従事。
母は町立病院で助産師をしていた。

朝6時には作業が始まる。

・糞をかき出し、近所の農家から頂いたもみ殻(米の外皮)を撒いて、牛にとって気持ちの良い寝床をつくる。
・二輪車?三輪車?を使って70頭ほどいる牛たちに餌を配っていく。
(餌は藁、デントコーンなどが入った飼料(濃厚飼料?)など、数種類あったように記憶する)
・牛のおっぱいに搾乳機を装着していき乳しぼり。
・使った器具の清掃、片付け。

これらの作業が朝と夜。
幼かったわたしから見えた作業だけでも、
その一連の作業が毎日繰り返された。

朝の仕事が終わると、四角いコタツを囲んで朝食を食べ、
少しひと眠り。
日中は餌づくりなどで終わる。

5時ころから夜の作業が始まって、家に帰ってくるのが7時半ころ。
といっても家と牛舎は隣り合っていて、大人たちはちょこちょこ顔出して、わたしたち兄弟3人が何をしているのかを見に来てくれるんだけども。

母も夜勤もやってフルタイムで働いてたから、夜いるときといない時があって。
みんなが家に戻ってくるのを、3人で問題なく待っていたものだと、
今になって懐かしく思う。

夕飯も必ずみんなで。
テレビを流しながら、あーでもないこーでもない話をして、
順番にお風呂に入っていく。

9時頃には就寝。
毎日がそうやって過ぎていった。
今思い出すと本当にそんな時間が存在したのだろうかと、
懐かしく、いとおしく、切なく思う。

都会のマンションでふるさとを思う、夕暮れ。

#ふるさとを語ろう
#酪農

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