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【Yocco Natural Farming】#6|久高島の土地総有制のおはなし|土地の所有について考察

Spring is here!暖かくなってきました。冬の間、完全に停止していた畑作業ですが、先日、約3ヶ月ぶりに再開しました。暖かいのがほ〜んとにありがたい。夕方も日の入りギリギリまで作業が出来ます。それからはちょこちょこ時間を見つけては、畝作りをしている最近です(畑作業の様子は、また後日記事にしたいと思います)。

さて、私は現在、約450坪ほどある田畑の端っこに、1つ目の畝を立てています。ひとつの畝を立てるのにえっらく時間が掛かってしまっているのですが、でも地味に少しずつ進んでいます。


そのように田畑の端っこで作業をしている中、ずっと考えていることのひとつに、せっかくこの広い敷地があるので、「自分の食べる物を自給したい」という人とシェアするのはどうか、ということがあります。具体的な方法などもう少しプランを練って、近日中に公募出来るところまでいきたいと考えているのですが、今日はその手前の、土地に纏わるお話をしてみたいと思いました。

私はその昔若かりし頃(笑)、沖縄県の離島のひとつ、久高島(くだかじま)というところに仕事の関係で住んでいました。知る人ぞ知る、とぉーーーっても素敵な島なのですが、今回この ”田畑のシェアリング” ということをどうやってやったら良いかぼんやり考えていた時、ふと「そういえば!」と思い出したことがありました。それは、この久高島の土地制度のことでした。

久高島は、昔から続く特有の土地制度が今もなお残っています。私は学者や法律家でないので、歴史や法律など詳しくはわからないのですが、出来るだけ正確に私のわかる範囲でこの土地制度を紹介したいと思います。上手く説明出来るかな…Here we go!

◆久高島の概要

久高島は沖縄県南城市の東南部に位置する離島です。
島の長さは4キロ弱の細長い島です。
面積 1.38㎢
周囲 8km
長さ 4km弱
標高差 約17m
ものすごくざっくり言うと、細長くて平坦で小さい、とても愛らしい島です。

人口は南城市の登記上のデータによると
人口229 世帯数144 (令和3年4月末時点)
だそうです。
定住人口はこれより数十名少ないと思われます。


「神の島」と呼ばれる久高島は、琉球開闢の祖アマミキヨが最初につくったとされている島で、琉球王朝の時代、祭祀の重要な役割を担っていました。現在も祭祀、神行事が年間を通して多く行われ、それらは今もなお大切に継承されています。


◆沖縄の土地制度の歴史(ざっくり)

・琉球王国から沖縄県へ

「そもそも土地の所有ってなんなん?なんでそんなシステムになってるん?」と疑問に思い少し調べてみてみました。とにかく幼少期から歴史という分野、というか歴史という概念そのものにすこぶる弱い(=まったく興味がない)私なのですが、今回はなぜかその壁も取り払われ、”遡りタイム”が発生。

そうしたら遡りすぎて、調べているうちに琉球王国にタイムスリップ。何だか懐かしい思いさえ湧いてきました(没入しすぎ(笑))。

さて、その琉球王朝とは、1429〜1879年まで続いた王国だそうです。450年間。へえ〜こんなに長く続いていたのか〜。

そして
1609年 薩摩藩の琉球侵攻 があり、その後
1609〜1879年は薩摩藩と清への両属体制を取りながらも独立した王国として存在していたそうです。

そうしているうちに
1872年(明治5) 琉球藩が設置され
1879年(明治12) 琉球藩が廃止。同時に沖縄県が設置されました。

・『地割制』という土地総有制度

で、土地についてフォーカスしてみると、琉球王朝時代は「地割制」と言って、個人に土地の所有を認めない、独特の土地共有制度が行われていました。ちなみにこの制度の起源は不明とのこと。

「地割制」とは簡単に言うと、以下のようなものになります。

”村落内の土地を共有として、これを一定面積に区分して村民に分与し、一定期間ごとに割替えした制度”

奥田進一.沖縄の地割制に関する研究:「家」制度に基づかない農地利用.2018.p85.

そして王府は平等を担保するために、7〜8年ごとに区分された土地の割り当てを変えていたそうです。これを「割替え」と言います。

地割制(地割制度)についての詳細は検索すると色々出てきますので、興味のある方はぜひリサーチしてみてください。

・沖縄土地整理事業

一方、本土では明治政府によって1873(明治6)〜1879(明治12)年に土地、租税制度の改革「地租改正」が行われました。これは土地の私的所有を認めて、土地に値段(地価)をつけ、その3%の額(地租)を収めるというものです。(その後、各地で農民一揆が起こり2.5%へ軽減)。この地租改正により、日本で初めて土地に対する私的所有権が生まれました。

なお、それまでお米で年貢を納めていたのが現金に変わったのも、この地租改正からです。

それから20年後、この地租改正に相当する土地改革が沖縄でも行われました。
1899(明治32)〜1903(明治36)年 沖縄土地整理事業
です。

沖縄土地整理事業の要点は以下のようなものです。

・地割制度のもとで使用していた土地をそのまま個々の農民の私有地と認める
・土地所有者を納税者とする
・物品納や人頭税を廃止して、地価の2.5%を地租として納めさせる

沖縄県立総合事業センター."土地整理事業:沖縄の歴史".近代沖縄:旧慣改革と特別制度の撤廃.n.d..http://rca.open.ed.jp/history/story/epoch4/kaikaku_1.html,(参照 2023-03-11)

こうして沖縄県にも土地の私有化が導入され、個人の土地所有権が生まれました。さて、そのような状況で、久高島はどうしたかと言うと…


◆久高島の土地制度の歴史(ざっくり)

沖縄各地で土地整理事業が行われていく中、久高島においては、一度は男性らによって他の地域と同じく土地の私有化の決議がなされたけれど、後に女性たちにより決議が取り消された、という論説が残されています。

以下は沖縄タイムスの2017年発刊のアーカイブ記事より(一部抜粋)。

島の歴史に詳しい琉球大学教授、赤嶺政信さん(63)=民俗学=は「地割制は久高島だけで続いた」と話す。

 伊波普猷(1876~1947年)の『沖縄女性史』(19年)の論考「古琉球に於ける女子の位地」によると1899~1903年に土地の私有について1度は男性が集会で認めた。だが、女性が集まって決議を覆した。神代から続くものを変えていいのか、などの声が上がったとされる。

 沖縄民俗学会顧問で琉球大学名誉教授の津波高志さん(70)=文化人類学=は「土地所有は、その分税を払わないといけない。船乗りの男性よりも畑を耕す女性の方が意味を分かっていたのでは」とみた上で「詳しい研究はない」と話す。

【地割制】私有地認めず、久高島の原風景守る.沖縄タイムス.2017-08-05. https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/123567,(参照2023-03-11).



その後、1926(大正12)年の地租課税の際、島民は地租条例13条の2の適用を求め「地租免税陳情書」を提出(久高島の不毛性、不便性、神秘性などの主張により、高額の地租課税に対し免除を求める内容だったとのこと)。この陳情書が認められ、久高島の大半の土地が民法上の通常の共有地ではないということが、行政機関において承認されました。

こうして久高島は一部の固有地を除く大半の土地が、個人所有ではなく字久高の総有となりました。そして地割制の概念を維持しながら、時代は現代へと移行していきます。

上記の沖縄タイムスの記事にある赤嶺政信氏の動画も、畑の様子をイメージするのにとても参考になります。↓


◆久高島の現代の土地制度「久高島土地憲章」

その後、地域農政推進事業などが行われ、久高島ではそれまで曖昧だった土地の権利関係の不明さなどを明確化する必要性が生じてきました。1977(昭和56)年には久高島土地改良事業が行われ、これまでの様に土地の総有性を保持しつつも、利権関係を明確化する動きになっていきます。

そしてそれらを明確に文章に表した「久高島土地憲章」が作られ、1989(昭和63)年に制定。同時に久高島土地管理委員会が組織されました。これが現在の久高島の土地制度の基盤となっています。

「久高島土地憲章」の前文には以下のように書かれています。

久高島土地憲章(以下憲章という)は、次の事を確認して宣言する。
久高島の土地は、国有地などの一部を除いて、従来字久高の総有に属し、字民はこれら父祖伝来の土地について使用収益の権利を享有して現代に至っている。字はこの慣行を基本的に維持しつつ、良好な自然環境や集落景観の保持と、土地の公正かつ適切な利用、管理の両立を目指すものである。

「久高島土地憲章」前文

何か温かく優しく、かつ力強い文言。個人的にはそんな印象を受けます。

ちなみに「憲章」の位置付けはどのようなものなのか調べてみました。「憲章」とは「自治機能のある団体が設置した定款や会則。組織の責務、権利、自治の責任等を定める」(フリー百科事典「ウィキペディア」)だそうです。ほえ〜知らないこといっぱい。

この憲章はこちらで載せておきますが、この策定の後、細かい部分で内容の改正がなされていると思います。↓

https://drive.google.com/file/d/1hbcSAHar_OV-80QjSktt3K_omi77OyVl/view?usp=share_link


改正については、現時点(2023年3月)で最新のものは見つけられなかったのですが、小川竹一氏の論文「久高島の土地総有制の意義」が参考になるので良ければご参照ください。↓
https://okinawauniversity.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=311&item_no=1&page_id=13&block_id=21

◆久高島の土地制度を簡単にまとめると

と、ここまでえらく長々と書きましたが・・・簡単にまとめてみたいと思います。

久高島には大きくは土地を個人が所有するという概念がなく、字が土地を所有し、島民は土地を借りる、返す、という仕組みになっているということです。そして土地の利用権の許可、契約などの検討、決議は、島民13名から構成される土地管理委員会(区長、初期、字選出の村会議員、農業委員、郷友会代表者を含む)が中心となり行います。

琉球王朝時代に行われていた「地割制」からマイナーチェンジを経て、久高島に存在し続けるするこの制度は、個人の土地の私有化が回避され、実質的には村落全体で土地を所有、維持することになります。島民は平等に宅地、農地などが貸し与えられます。これにより島外資本による乱開発から逃れることができたり、島の美しい自然を残すことができます。(実際に昔、リゾート開発の話が進みそうになったこともあったそうです)

また、離島した人が島に現実に土地を残しながら所有権を島外に持ち出すということもなくなります。そして、私もこれまで仕事柄、本土の田舎の空き家、荒廃地などを見てきたことがあるのですが、このシステムだと土地の所有権者が不在になってしまう、ということも回避できます。

◆「久高島土地憲章」の具体的な規則

具体的な取り決め、規則などは先ほどもご紹介した憲章の全文(https://drive.google.com/file/d/1hbcSAHar_OV-80QjSktt3K_omi77OyVl/view?usp=share_link)の3ページ目からあります。

2005(平成17)年に改正がされたようで、その内容は先ほど紹介した小川竹一氏の論文(https://okinawauniversity.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=311&item_no=1&page_id=13&block_id=21)の13ページ目に書かれています。


例えば「土地の利用権」については以下のようになっています。

第一条  土地の利用権を享受できる字民とは、以下の者である。
①先祖代々字民として認められた者およびその配偶者。
②字外出身の者で現在字に定住し、土地管理委員会および字会が利用権を承認する者。

「久高島土地憲章」より


他に、今回私が田畑をシェアする上で参考にしたい「農地」については以下のように書かれています(やっと本題に近づいてきた(笑))。

第二条 ②農地 字民は従来の割当地を利用することができる。字民は土地管理委員会の決定および字会の承認を得て新たに農地を利用することができる。但し、農地を五年以上放棄した者は これを字に返還しなければならない。

「久高島土地憲章」より

第三条 ②農地委貝会は農業経営の規模などを斟酌して、三千坪を上限に許可することができる。但し、農地を五年以上放棄した者はこれを字に返還しなければならない。

「久高島土地憲章」より


「利用料」についてはこのようになっています。

第五条  字は土地の公平・公正かつ適切な利用・管理のために、利用地の利用料を徴収することが出来る。
①事業用大規模用地 壱十円(坪当たり)
②その他事業用地 壱百円(坪当たり)

「久高島土地憲章」より


◆まとめと感想

さて、今回ご紹介した土地の地割制や、個人所有ではない総有化という概念。そもそも全てにおいて、「所有する」という概念って不思議だし、ちょっと不自然だよな、と昔から感じていました。究極には、土地やら物に限らず、ここにあるように見える肉体さえも「それを所有する何か、所有する誰かはいない」というのが私のベースにあるのですが、それはひとまず飛びすぎてしまっているのでここでは一旦置いておきますが、この久高島に残り続けている土地制度は、今後60年くらいの変化の中で、人のマインドにとって良いアイディアのひとつになるのではないかな、と感じました。

土地の総有化って、大きい単位だと難しそうだけど、久高島のような規模だととても参考になるとも感じます。今の行政の枠組みが解体されてなくなるのは100年くらいなのかな〜なんて思ったり。(60年とか100年とか、そもそも時間というものはないけど、それはまたまた置いておいてw)

土地の私的所有、そこに発生する税金の概念とか、当たり前になっているけど実は不思議&不自然なものってたくさんあるように感じます。一方、それと同時に物理的な視点から見れば、これから人口が減っていく中で、使わない=管理できない土地も増えていくので、それらはテクノロジーの力を最大限使いながら、穏やかにもとの自然(ヘルシー)な状態に戻っていく。作ったを解体していくように(空き家の解体なんてまさにそれ)、痩せた土地が元の状態に戻っていくように。色々なことが「普通」っていうか、「自然体」に、元々あるバランスの取れた心地よい状態に戻っていくのかな?と感じています。そしてそのプロセスの中で、規模も含めて久高の在り方は役立つアイディアのひとつになるののでは、と思いました。

今回、偶然の閃きからこいうして記事に書いてみようと思ったがために、なぜか色々な資料を読むことになり、すっかり忘れていた島の美しい風景や潮の香り、風や太陽の熱、シャラシャラした珊瑚礁の感触などを思い出しました。実際の島の暮らしでは、高齢化、診療所、福祉、小中学校の存続、土地の維持管理だったり、観光客のこと、日常のこと、暮らし、産業のことなど、そして核となるものの継承、神事など色々とみなさん考えることがあるだろうな、と思いました。現場は様々な意見もあるだろうし。

この紹介は、久高島の紹介ではなく、この久高の土地制度ってすごくいいんじゃないかな、というのを表現したくて書いてみました。そして、そもそもは、今山梨にある田畑のシェアをしたいけどどうしたらいいのか、というところを探っている中で「キラリン✨」と閃いたものなので、私自身もこの土地憲章を参考に、田畑の利用法を考えて人を募ってみたいなと思っています。集まるかは超不明(笑)。

でもさでもさ、そんなことよりもう春になっちゃってる!ああ〜〜〜春野菜、夏野菜、お米の作付けの準備もしたいのに、おいおい、現実は畝1本も立っていないぞ(笑)!Very behindだぞ(笑)!果たして今季間に合うのかっ!?💦

というわけで、ここまで読んでくださった方が仮にもしいるならば、長々と読んでいただきありがとうございました!久高にも心よりA lot of LOVEを込めて。Everyone, Have a gooooood 2023 Spring!

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