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慈しみと美しさ

私は、仕事がデザイナー兼ものづくりなので、「創世記」の創造に関する記述には特別な思いを抱いています。
神が「言われた」ことがそのままカタチになるという創造の際の「言葉」はベクトルを持ったエネルギーでもあるのですが、ここでは文字通りの「言葉」の話。

わたしは「ことば」に深い関心がありまして、古来の日本語や大和ことばを大事にしたいと思っています。しかし、言葉は時代と共に埋ずもれてゆく文化でもあります。それで、失われた言葉を発掘したいとも思っておりまして、「言葉考古学者」を自認しております。

さて、今回ご紹介する、最近発掘したことばは「慈しみ」です。
例えば、「楽しみ」という言葉は活用の形として「楽しむ」「楽しみ」「楽しい」「楽しさ」と色々ありますが、ところが、「慈しみ」は他に「慈しむ」しかありません。
「いつくしい」とか「いつくしさ」というのはないのです。そしてそれに似た言葉である「美しい」という語は他に「美しさ」はあるのに「うつくしみ」「うつくしむ」がないのはどしてだろう。しかもそれぞれが互いに補い合っているのはただの偶然ではないのではないかと思って早速発掘に取りかかりました。

そして、発見しました。「うつくしみ」という言葉あるんですよ。
意味は「かわいがること」「慈しみ」と出ていました。
そうなんです。 いつくしみ と うつくしい は元は同じだったんです。
広辞苑をひもときまして、「いつくし」というところを見ると、よく知っている慈善とか慈愛の「慈」を使ったもの、そしてもう一つ「美し」というのもありました。これで「いつくし」と読むんです。
ついでに「美し」というのを見ると美という字を使ったの表記の他に「愛し」(いつくし)とも書くんです。
そして、こんなことも分かりました。
元来「うつくしい」は愛を示す言葉だったそうです。それが次第に「美しいものへの愛」を表すようになり、室町時代に美そのものを指すようになったということです。
そういうわけで、日本人の感性は、愛と美の感覚はほとんど同一の物だったようです。
興味深い所では、こんな言葉も発見しました。「美し人」
容姿のいい人のことではありません。これは「寵愛を受けている人のこと」つまり慈しみを受けている人、かわいがられ、愛されている人のことを「うつくしびと」と言うんです。
すてきな言葉じゃありませんか。

愛という言葉が愛を表す一般的な語彙になったので、今はそう表現されますが、「愛する」という表現の、もっと日本語の本来の微妙なニュアンスで言うと、「美しむ」と言うのが、もっとも的確かと思います。
「私はあなたをこよなく美しんでいる」という日本語の方が「愛してる」よりも何倍もいっそう深い表現だと思うんですが、いかがでしょうか。

「美しがる」という表現もあります。どんな意味だと思います? - 
愛らしいと思う。 よくホラ ちっちゃな子猫を見つけて「キャーかわいい」て喜ぶでしょ。ああいう様子を日本語では美しがると表現するんです。 人は美しいものに出会うと、かわいがる時のような、ほのぼのとした温かい、優しい気持ちが沸き起こるようです。人は度々、色々な美しい物にふれるのは良いことです。
美しい言葉、美しいメロディー、美しい楽器の音色を存分に楽しんでいると,人は本当に美しくなり、慈しみ深い人になり、人を美しむ人になるのです。

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