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〘メインマガジン〙自由と開放を告げ知らせる【ヨベルの角笛】

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このマガジンはメインのマガジンとなります。 千載一遇の聖書研究サイトへようこそ! 心理を探求するあなたの訪問を心より歓迎します。 先入観を捨てて、聖書を素直に、廉直な思いで読ん…
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#天国

永遠の命を得ることはクリスチャンになることに依存しないという聖書的根拠

いきなり、センセーショナルというか、前代未聞のタイトルになってしまいましたが、このテー マは、キリスト教として知られる信仰の基本中の基本とも言うべきもので、ある牧師の言葉を借 りれば、「キリスト教(新約聖書)は「永遠の命」の宗教です。 キリスト教の救いとは「永遠の命」を得ることです。キリスト教における信仰者の究極的目的は「永遠の命」です。」と表現されるく らいで、これを外したら、キリスト教は成り立たないと言われています。 しかし、(様々な宗派があるにせよ)ほとんどのキリスト

「最後の審判」に関する一般のデタラメ千万な解説を正す

この記事は《「万人救済」に関する聖書的根拠について》という記事の続編という位置づけになります。 《神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。》1テモテ2:4 「望む」と訳されている原語は「セロ」という語で、聖書中の他の多くの箇所で「御心」とか「意志」などと訳されています。 神が望み、そうする意図をもっておられるのは、「すべての人が」単に「救われる」ことだけではありません。 すべての人が「真理を知るに至る」ことです。これは神のご意思なのです。

「地獄」の教理を改めて問い直すべき聖書的理由について

ところで、神が人を天国に召される目的は何でしょうか。 《あなたがたは、聖徒が世界をさばくようになることを知らないのですか。・・私たちは御使いをもさばくべき者だ、ということを、知らないのですか。》(コリント第一6:2,3) 《彼らは生き返って、キリストとともに、千年の間王となった。》黙示録20:4 端的に表現すれば「裁き人募集」です。 「世界を裁く」ことは確実にあなたの仕事になります。そのために召されたのですから。 天に召された人々は、世界を「裁く」役割が与えられます。「

「患難前携挙」が100%絶対あり得ない明確な聖書的根拠

まずここで、一般に「携挙」の根拠とされている関連聖句を引用しておきましょう。 《主が来られる日まで生き残るわたしたちが、眠りについた人たちより先になることは、決してありません。  すなわち、合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主御自身が天から降って来られます。すると、キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、  それから、わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。このようにして、わ

ペテロに「天の国の鍵を授ける」とは何を意味しますか

イエスが「わたし【も】」と言われているのは、その前節で、「あなたがたはわたしを何者だと言うか。」という質問に対して ペテロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えたことに呼応したものです。 ではイエスは、ペテロの上に教会を建てると約束されたのでしょうか? いいえ、イエスが言われたのは「ペトラ(岩)」の上ということです。 この名前は使徒とされたシモンにニックネームとして与えられた名ですが、「ペテロ」(ギ語:ペトゥロス 男性名詞)は確かに「岩」という意味もありますが、

「天国」は未だ存在していないという聖書的根拠

※↓はこの記事の音声ファイルです。朗読を聞きながらお読みいただけます。 今回のテーマは「天国はいつから存在するか」というものですが、大昔から、「善人は死んで天国にゆく」という素朴な概念が日本にはあるようで、殆どすべての人にとって「天国」はなんとなく永遠の存在で、いつから存在するかなどという考えさえ浮かばない、時間を超越したイメージなのかもしれません。 「天国」に関する一般的に広く見られる誤解「天国とは」と検索すると、様々な説明がありますが、単語の意味としての説明を一例と

神のご意思と[キリスト教]の矛盾点? ー 人は死んではいけないのか。死ななきゃいけないのか。

※↓は、この記事の音声ファイルです。再生させながら、記事をお読みいただくことができます。 「現実がどんなに辛くても、死んだ後天国に召され、神のみそばで永久に過ごすことができる。」 そんな願いを言い表すクリスチャンの方は少なくないようです。 すなわち、そのひたすらな願いが叶うためには、当然、人は死ななければなりません。 では、逆に考えてみましょう。人が死ぬのを待って、天国に招くことが、神の願い、あるいは目的なのでしょうか。 ここで、「人の願い」と「神の願い」を比較して見たい

「天国」への憧れを抱く方々へ ー「裁き主」になる用意と覚悟はできていますか。

あなたクリスチャンとして、次のキリストの言葉にも留意しておられることでしょう。 「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。」マタイ7:1,2 言うまでもありませんが、これは、人を裁かないようにしていれば、世の法律上でも、神からの裁きも免れるということではありません。 自分勝手な基準で他人を裁定してはいけない。ということでしょう。 ともかく、「クリスチャン」たるもの、この態度は肝に命じるべき