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〘メインマガジン〙自由と開放を告げ知らせる【ヨベルの角笛】

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このマガジンはメインのマガジンとなります。 千載一遇の聖書研究サイトへようこそ! 心理を探求するあなたの訪問を心より歓迎します。 先入観を捨てて、聖書を素直に、廉直な思いで読ん…
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2021年10月の記事一覧

「天国」は未だ存在していないという聖書的根拠

※↓はこの記事の音声ファイルです。朗読を聞きながらお読みいただけます。 今回のテーマは「天国はいつから存在するか」というものですが、大昔から、「善人は死んで天国にゆく」という素朴な概念が日本にはあるようで、殆どすべての人にとって「天国」はなんとなく永遠の存在で、いつから存在するかなどという考えさえ浮かばない、時間を超越したイメージなのかもしれません。 「天国」に関する一般的に広く見られる誤解「天国とは」と検索すると、様々な説明がありますが、単語の意味としての説明を一例と

黙示録12章の「男の子」はキリストではなく 144,000人であるいう聖書的根拠

誕生した「男の子」に関する一般の解説や理解の間違いの証拠 この記事では、一般に解説、理解されている黙示録12章の「子」の誕生につての間違いの根拠を聖書から証明しています。そして実際に聖書が示しているその実態に付いて論証しています 先ず、問題の箇所を引用しておきましょう。 どの宗派に限らず、ほぼすべての解説で、この「男の子」はキリストであると理解されているようです。 そして「女」はイスラエルであるということになっています。 (これも微妙に違うんですが、ややこしくなるので、こ

神のご意思と[キリスト教]の矛盾点? ー 人は死んではいけないのか。死ななきゃいけないのか。

※↓は、この記事の音声ファイルです。再生させながら、記事をお読みいただくことができます。 「現実がどんなに辛くても、死んだ後天国に召され、神のみそばで永久に過ごすことができる。」 そんな願いを言い表すクリスチャンの方は少なくないようです。 すなわち、そのひたすらな願いが叶うためには、当然、人は死ななければなりません。 では、逆に考えてみましょう。人が死ぬのを待って、天国に招くことが、神の願い、あるいは目的なのでしょうか。 ここで、「人の願い」と「神の願い」を比較して見たい

「患難前携挙説」の根拠とされる『試練の時から・・守ろう』という聖句に関する考察

※↓はこの記事の音声ファイルです。朗読を聞きながらお読みいただけます。  この聖句について、再臨二段階説の人々はこう注釈します。  「『試練の時には・・・・守ろう』の『には』の原語はἐk(から)であり、これは『試練の時から・・・・守ろう』と訳される。だから教会は、来たるべき試練の時である患難時代の前に、地上から携挙され、取り去られて守られるであろう」。 しかし、あなたご自身で、よ~く文面を読み、考えて下さい。 果たして遭遇することのない災いから「守る必要」がどこにあるで

いわゆる「携挙」と表現される教義についての考察 Part 2

※↓はこの記事の音声ファイルです。朗読を聞きながらお読みいただけます。 患難前(中)携挙説を支持する人は、再臨が2段階(空中再臨と地上再臨)で生じると主張します。 そして、(この説の支持者すべての統一見解かどうかわかりませんが)一度空中再臨して、復活組と携挙組を連れて、一旦天に帰るという解説も見受けられます。 なぜ、そういう説明をしているかというと、おそらくもしそうでないなら、キリストとみ使いの軍勢と歴史上すべての復活した人と携挙した人々全ては、患難の期間(7年間)ずうっと

いわゆる「携挙」と表現される教義についての考察 Part 1

※↓はこの記事の音声ファイルです。朗読を聞きながらお読みいただけます。 Christendom(キリスト教世界)において、いわゆる「携挙」と表現される教義があります。 宗派によって、これを完全に信じているもの、全く無視しているもの、ほとんど無関心なものなど、様々な見解、態度が見られますが、聖書に明確に記されていることについては、これを正しく捉えようと務めるのはクリスチャンとしてあるべき姿であると思いますので、私なりの研究をここで述べさせていただきたいと思っております。 ま

患難期の最後の王である8人目の王の正体を暴く

終末に関する預言は複雑にリンクしており、そして、多くの新たな発見がありますので、記事を順を追って読んで頂いた方が論拠が解りやすいと思いますので、下記の〘サブマガジン〙 終末預言ー ダニエル書&黙示録 「あなたが見た獣は以前はいたが、今はいない。やがて底なしの淵から上って来るが、ついには滅びてしまう。地上に住む者で、天地創造の時から命の書にその名が記されていない者たちは、以前いて今はいないこの獣が、やがて来るのを見て驚くであろう。 ・・ここに七人の王がいる。五人は既に倒れたが

「一人は連れて行かれ、もう一人は残される」は携挙の記述ではない聖書的根拠

「そのとき、畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。」マタイ24:40 「連れてゆかれ」と訳されている語は[ギ語:パラランバーノ to receive from ~から受け取る]です。 多くの箇所で「連れてゆく」と訳されています。 「残される」と訳されている語は[ギ語:アフィーアーミ  to send away, leave alone,放置 permit許可する] 手放す、開放するなどとも訳されています。 また、様々な箇所で言及される「(罪を)赦す