【戯れ~オフベージュの日常2~】
——俯瞰視線は黒イ林檎を願い請うた――
「魔女……」
思わず口から零れた単語。
ハロウィンでもないのに珍しいお題だと首を傾いで、匿名リクエスト箱の文字列としばらくにらめっこ。
ふとテレビのほうへ視線を向けると、ポップ音楽と共に赤い布をひらめかせながら踊る女性と目が合った。
透き通った白い肌。鋭くも艶っぽく見える瞳。メイクだとわかっていてもとてもセクシーで、理由もなく視線を引っ張られてしまう。
「艶めく赤は、貴女の美しさを知っている」
そんなキャッチコピーと女性のウィンクで終わった映像は、大手化粧品会社の口紅のCM。そういえば、このCMは会社で少し話題になっていた。踊っている女優さんは、これまでずっと「清純」という印象を壊さない出演だったから。
肩や背中を出したワインレッドのワンピースと濃いアイメイク。脹脛が見えるくらい裾が踊るダンス。最後に振り向きながらとばすウィンクは、何故か目元よりもその後に浮かぶ笑みが印象に残る。朝から見ても不快に感じないどころか、「綺麗」と思わせて世間の注目を集めた。
会社でその話題が盛り上がっていたとき、一番熱心にその女優さんを褒めていたの、って——、
『だからそのギャップがいいんだって!
芸能界でイメージ転換ってすごい勇気だよなぁ』
—―昨日も遅くまで面談室で相談に乗ってくれていた、大貫さん。
悩んだらすぐに相談するようにと言ってくれた、厳しくも優しい上司。
どうしてだろう。面談が終わったあとに「気を付けて帰れよ」と言われたときの爽やかな顔を思い出したら、自然と手が動いていた。
黒と薄紫を基調とした、鎖骨から下に始まる薄地のナイトドレス。胸や腰の輪郭線もしっかり表現して、いつものイラストではほとんど出さない太腿もドレスの裾にスリットを入れて堂々と出してみる。
清楚は女性として普通のこと。でも……。
―――でも、なんだろう?
確かなことは、不意に響き渡る夫の笑い声が、全く気にならない。
驚いてもらえるかなと思えば思うほど、ペンはするすると動いていく。
仕事でも色やデザインを常に意識するからとはいえ、こんなに迷いなく進むのは、初めてかもしれない。時計やスマホを気にせずに済む時間は、カフェラテを飲むときはまた違う温かい心地よさ。
「できた……!」
レザーソファの肘置にもたれかかりながら頬杖をついて、広がる裾の中で足組みをする妖艶なポーズ。上から見下ろすような視線は魔女というより女王様になってしまったけれど、普段が淡い色の服を着た柔らかい笑顔の女の子というイラストが多いから、いつもと違うものをというリクエストには応えられたと思う。
満足して、早速投稿用に微調整をして……投稿完了。
『お題リクエストありがとうございました♪
今回のテーマは魔女っぽいセクシー美女です。
初めて挑戦したのでドキドキしてしまいましたが、
どうでしょうか……?(⑉• •⑉;;)』
気づけばお昼ご飯を支度する時間。びっくりするくらい短時間でイラストを描けてしまったのは本当に不思議だけど、達成感は確かなもの。だから、自分ご褒美にクッキーを一枚食べてしまおうかなと口元が緩んでしまう。
「あっ……!」
投稿から1分も経たないうちに好評価のマークがついた。きっと同じタイミングでSNSにアクセスしていた人だと思うけれど、こんなに早く誰が?もしかして……夫……?
「――!」
『蘭さん がコメント&シェア:
2Dだと骨格バランスが崩れやすい難ポーズです。めっちゃ綺麗にアングル切り取りしてますね。あと隅にあしらったのが薔薇じゃなくて紫陽花なのが個人的に刺さりました。』
つい今朝、緊張しながらお返事を書いた相手が、一番に褒めてくれた。それも沢山の言葉で。
――トクン、トクン。
コメントは増えていく。蘭さんのコメントに連なって賛同する形で「意外」「美魔女」「綺麗」という言葉がイラストの下に踊って、今まで見た事もない速さで好評価やフォローリクエストの通知件数がパソコン画面の中でカウントされていく。
何だろう、この、カフェラテを飲んだときの甘いふわふわよりずっと温かくて顔が耳の端まで熱くなる感覚。
『あわわわ、嬉しいコメントがたくさん!
後ほどゆっくり目を通してお返事しますね♪
ありがとうございます( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )❤︎』
すぐにでもお返事したい気持ちをぐっとこらえて、スマホとノートパッドをそのままテーブルに残して台所へ。昨日多めに作っておいたミートソースと、小麦粉とバターを取り出して、あとラザニアパスタも。これも今日のお昼に食べたいとリクエストされていたものだから。
「早めに終わったぞー。……お?これもしかして梨菜の絵か?」
「え?……う、うん!おかえりなさい。本当に早かったね」
「フレがついさっきグルチャで回してきた絵なんだよ。すごいな」
「こんなに褒められたことがないから、びっくりしちゃって……」
新しいことにチャレンジするのは怖くて疲れることだけれど、今日に限っては、素敵な週末を送るきっかけになって、とても、ほっとした。
だって、月曜日になったら大貫さんに「夫と仲良く過ごせました」と伝えられるから。大貫さんと仲良しの蘭さんーー御子柴さんとも楽しくお喋りできるかもしれないから。
愛され続ける女の人は、古今東西どの歴史でも、清く正しく美しくの三拍子が揃っている。お昼ご飯の後はしっかりお返事を書かないと。嗚呼、忙しくも楽しい週末。
ーー。
ーーーー。
…………膝丈のスカート、まだクローゼットにあるかな?
これが白紙の値札。いつでも、もちろん0円でも構わないわ。ワタシの紡ぎに触れたあなたの価値観を知ることができたら、それで満足よ。大切なのは、戯れを愉しむこと。もしいただいたら、紡ぐ為の電気代と紙代と……そうね、珈琲代かしら。