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【戯れ~オフベージュの日常1~】

『今週末は梅雨入り前の最後の晴れの予報です』

土曜日の朝のニュース。壁に備え付けた液晶テレビの中で、お天気コーナーの男性が爽やかな笑顔で天気図を切り替えながらお話している。

テーブルの向かいでは、朝ご飯を済ませた後の夫がまだ少し眠そうにコーヒーを飲んでは新聞を広げて読むを繰り返す。

大きな窓から差し込む朝陽がまだ眩しいけれど、この静かで穏やかな朝はお互い平日を忙しく頑張ったご褒美。

だから、少しお喋りが足りなくても、大丈夫。早起きが苦手な人だから。
昨日の夜に電車の一件で心配をかけてしまったから。
夜遅くまで、ベッドでたくさんお話したから。

だから、私ものんびり時間を過ごそう。
お皿を片づけて、テーブルを拭いて、洗濯機の中にジェルボールをひとつ入れて、乾燥までの全自動コースにボタンを押す。最初は静かすぎて終わったことに気づかなかった静音型の洗濯機も、丸い円盤の掃除機も、いまは頼もしい家事仲間。

あ……そういえば、お返事がまだ……。

夫が新聞をめくる。
テレビの天気予報がコマーシャルに変わる。
家の中にほんの少しだけモーター音が混ざる。
どの視線も、私を向いていない。

そんな静かな時間のうちに、きちんと向き合わないと。
スマホを取り出して、SNSアプリをタップしてゆっくりと息を吐く。
大丈夫。昨日、夫にも同じことを言われたもの。

『蘭さん、お返事が遅れてごめんなさい(。>_<。)
 私のうっかりを叱ってくださって、ありがとうございました。
 電車の中にいることや、周りの状況を書くと、
 自分がどこで何をしているか、読む人は想像しやすくなってしまうと、
 夫にも叱られました(ó﹏ò。)次からは気をつけますね。
 また来週、会社でもよろしくお願いします( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )❤︎』

……ふう、と、大きな溜め息。これで大丈夫。
会社の人とも仲良くしたくて相互フォローしているから、プライベートでもしっかりしないと。

特に蘭さんは……尊敬する人がとても多いから。

「どうした?何か変な書き込みあったか?」
「あ、ううん……!大丈夫。会社のメール」
「会社の?土日なのに迷惑な奴だな」
「ううん、私がお返事うっかりしちゃったの。とても良い先輩だから、大丈夫よ。もうやりとり終わったから」
「そうか。お疲れ様。じゃ、フレと約束あるから」
「ボス狩りのお約束ね。うん、いってらっしゃい」

土曜日に交わすお見送り。夫が学生の頃からやっているオンラインゲームの同窓会が去年あって、それ以来また没頭するようになっている。私も少しだけ隣でやってみて、ボイスチャットグループにも混ぜてもらえてとても楽しかったけれど……少し、合わなかった。

イメージに合う女性キャラアバターがなかったから。

銃で宇宙人と戦う設定だし、海外ゲームは描写にリアリティを持たせるから、映画と同じで目つきが鋭く筋肉質で、活動的な印象の女性しか選択肢がなかった。でも、文化の違いだから仕方がない。

「またやりたくなったらチャットのほうで呼べよ?ノックだと小さすぎて聞こえないから」
「うん、わかった。お昼ご飯の時間に呼ぶね」

ーーパタン。

夫婦だからといって四六時中べったりはストレスが溜まりやすい家になってしまうから、よくない。
夫に愛される妻の上位は、いつも笑顔で包容力のある穏やかな人柄。
それと、家でもお洒落をさぼりすぎないこと。
……色々な恋愛記事に書いてあるし、友達のグループチャットでも結婚前によく言われた。

…………。うん、大丈夫。仲良しの鉄則は守っている。
今朝だって、新しいエプロンに気づいて褒めてくれた。

テーブルに戻って、隅に置かれた新聞をそっと広げて見る。
経済新聞は相変わらず難しい用語が並んでいて、企業の名前くらいしか中々頭に入ってこない。

『経済新聞を読めるようになったら、話題、増えるかな?』

仲良しのグループチャットに書き込んだ。

『難しいじゃん』
『旦那さんは仕事的に読まないといけない人でしょ?いいんだよ別にそこまで揃えなくて』
『っていうかイラスト更新されてないー!そっちにしなよー!旦那さんも好きなんだからきっと喜ぶよ♪』

……そう。どうせ増やすなら、もっと私のイメージに合うものがいい。

『うん。みんなありがとう!』

応援の可愛いスタンプが並んだスマホ画面。ほっと息を吐けて、身体が軽くなった心地。そのまま丁寧に新聞を畳み直して、夕刊の時間までテーブルの隅へ。

確かに、ここのところ心の余裕が足りなくて、趣味のイラストのことをすっかり忘れてしまっていた。せっかく誕生日に買ってもらったペンタブが埃をかぶるまえに、ちゃんと使ってあげないと。

デザイン用のノートパソコンとイラスト用の小道具一式をテーブルに置いて、そうだ、温かいミルクティも用意しよう。もしかしたらSNSにリンクしてあるお題募集ページに書き込みがあるかもしれない。

寄せられたお題は2件。選んだリクエストは――

■――魔女っぽいセクシー美女
▲――ふわふわレースの可愛い水着
***気に入った選択肢の記号をココから繋がる箱で教えて下さい***

次頁【日常2】




 




これが白紙の値札。いつでも、もちろん0円でも構わないわ。ワタシの紡ぎに触れたあなたの価値観を知ることができたら、それで満足よ。大切なのは、戯れを愉しむこと。もしいただいたら、紡ぐ為の電気代と紙代と……そうね、珈琲代かしら。