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【orchidノ日常】

 夢を見た。昨日寝際までやっていたレトロゲームの世界に自分がいた。二等身のポリゴンキャラが自由に職業を選んで、生業に必要な素材を自力で集めて冒険に出るとか出ないとか、そういうの。

 なんで夢の中でまで、針糸と布を手放さないんだろうーーそんなセルフツッコミを夢世界は受け入れてくれないまま、芝の丘で羊を追い回す冒険。

 でもいつのまにか冒険は閉ざされた屋敷の中での脱出ゲームと化して、後ろからは人面蜘蛛が恍惚とした笑みを浮かべたからカタカタと足音立てて遠く廊下から迫ってくる。廊下の奥は、パチパチと音をたてて燃え落ちている。早く。早く。夢の中の自分は焦って仕掛だらけの部屋を見回すしかできない。

 だから、ソレ、別ゲーなんだってば。

 夢の中で一際大きな声で言った気がしたところで目が覚めた。

「お?御子柴ー、起きてるかー?」
「……たぶん、起こされました」

 パチパチジュージューと忙しなく油が跳ねる音。漂うベーコンと目玉焼きの香りは、そのまま時計の役目を果たしていた。何で卵料理って匂いで分かるのか、世界七不思議の答えを求めて身体を起こした。視界を占めたのは、なぜか休日なのにワイシャツを着てエプロンでガードするという少女漫画に出てくるお兄さんみたいな出で立ち。

「ん……コーヒー、淹れますよ」
「寝起きだろ。顔色悪いから寝てろって」
「いいんです。ドリップが気晴らしなんで」

 欠伸混じりに起きあがって、すぐそこにある狭い台所スペースの戸棚からコーヒー粉の瓶とペーパードリップ一式を取り出して、電子ケトル……はもう仕事を終えているからそのままテーブルに持って行く。

「先輩、いい夢見れました?」
「カミソリ持ったお前に真顔で迫られる夢だった」
「それ嬉しいんですか?」
「んなわけないだろ。お前が寝落ちする直前によこした脱毛サロンのURLが思いっきり病院だったからだ」
「どんだけ病院嫌いなんですか」

 美容外科の外科の二文字にアレルギー反応を起こした人をスルーして寝た記憶を、テーブル隅で転がったままのハイネケンの空き缶が物語る。三次元リアルワールドで空き缶は喋らないけど。

「くっついて付き添いましょうか?」
「目玉焼き両面焼きにすんぞ」
「ベーコンあるなら別にそれでもいいですよ」
「……」

 期待と違う答えをしたらしい。
 まあいいか。寝起きの割には上手く淹れられそうな香りが漂いはじめたし。

「朝レイド組の出発って何時でしたっけ」
「10時半」
「眠いから補給部隊してます」
「俺も今日はゆっくりしたいから聞き専で決まりだな。もうパン焼くぞー」
「ふあ……」

 欠伸が止まらないままぼんやりと焦げ茶色の上に「の」の字を注ぐ。ころころと変わる話題。次々と並ぶ食器。みるみるうちに「ザ・朝食風景」が出来上がる小さな四角いローテーブル。

「御子柴、テレビはつけなくていい」
「あれ、見ないんですか?推しアナ」
「ニュースの気分じゃないってだけだ」

 コトン。注ぎ分けたマグカップを前に押し出す。

「昨日喋りすぎましたね。朝から気を遣わせました」
「後輩の面倒を見るのは当たり前だからな」
「……ほんと、気にしなくていいんですよ」

 チン。四つ切りパンが焼き上がった音。

「そりゃ気にする。お前ん家は基本的に事件しか起きないからな」
「否定はしません。……いただきます」
「いただきます。お、コーヒー美味い」

 サク。小さいときに見たアニメに影響されて目玉焼きを厚切りパンに乗せてかじるポーズを真似ると、喫茶店のモーニングより遙かに美味いという魔法がかかる。三次元リアルワールドで魔法なんて以下略。

「先輩こそ、木崎さんの家庭事情に首突っ込みすぎないか後輩は心配で心配で胃がもたれて痛いです」
「ブラックコーヒー片手にモリモリ食ってるやつの台詞かそれ」
「食べないと余計痛いんで」
「つまり、二日酔いしたんだな」

 事実をスルーして、パンくずのついていない小指でスマホの画面をいじる。ニュース記事は相変わらず芸能人が離婚だの結婚だのがトップで、最近は政治経済よりもちょっとでも知名度のある人間の炎上まとめのほうが儲かるらしいラインナップ。

「二日酔いの酔っ払いは大胆に朝から聞きますけど……昨日結局なにが言いたくて面談室使いたがってたんですか、彼女」
「んー……。つまるところ、ミスの根底には家庭が色々レスのせいで家のことがよぎっては気が散るを繰り返しているんだと」
「色々って?」
「会話と、——プライベートだ察しろ」
「察しますけど自衛してください」
「さすがに単語出た時点で話を切り上げてすぐ帰した」

 ありがとう三つ子のハイネケン。ありがとう胃壁に突き刺さるブラックコーヒー。疲労と刺激がいいかんじに色々麻痺させてくれるおかげで、目玉焼きからとろりと溢れる黄身が舌触り抜群でQOLを保ってくれている。

「……そんなに難しいものなんですかね。紙切れ一枚出しただけで」
「女性は特に名字が変わったり、気を遣う相手がいきなり増えることが多いだろうからな」
「あー……そういえば友達も結婚したとたん急に皿一枚洗うにも『妻の務め』とか言い始めて、病院に投げ込んだことあります」
「病院ってお前……あ、バナナ出すの忘れてた」
「黒くなってたらジュースにしますよ」

 重いのか軽いのか分からない、だらだらとした会話が途切れたり途切れなかったりを行き来する。特にそれを疑問に思ったことはない。

 ほら、と、黒い斑点が浮き始めた完熟バナナを手渡されたとき、見上げた。立ったまま手渡してくる背高の男を、クッションに座ったままの姿勢で見上げた。

「ほら、御子柴もバナナ好きだろ?完熟手前だけど食えるか?」
「…………」
「御子柴?どうした、やっぱどっか駄目になっーー」

 両手の指先をそっとバナナに添えて、じーっと斑点のあたりを見て、鼻先を近づけた。甘い良い匂い。

「大丈夫です。先輩のバナナ、食べますよ」
「御子柴!?」
「何ですか?」
「いやいやいや、朝っぱらからお前は、ったく!」

 なぜか目の前で没収されたバナナ。理由は勿論分かっている。

「なに子供みたいな連想ゲームしてるんですか」
「お前わざとだろうがっ」
「ソンナコトナイデスヨ?」
「余所行きの美声で誤魔化すな」
「とりあえずバナナください」
「シャツ直したらな。肌蹴てる」

 大体こんなかんじの週末。シリアスが長持ちしなくて、酒の空き缶が未練たらしくテーブルの隅に昼まで居座る怠惰。

「……先輩、話戻るんですけど」
「ん?」
「テレビのニュースには出ない話です。でも、記者は嗅ぎまわるし、最近はSNSが立派なソースとして扱われるご時世です」

 ピッ。テレビリモコンの設定を弄って復活させた操作音。

『今週末は梅雨入り前最後の晴れの予報です』

「だから、無防備な私言に近づくときは気をつ——、んぐ」
「バナナ、さっさと食え。薬の時間過ぎるぞ」

 大体こんなかんじの週末。シリアスが長持ちしなくて、平穏が未練たらしく部屋に充満して、縋るようにして沈殿する怠惰。いや、怠惰ではないか。

「上が何やらかそうと、下請けは下請けらしく知らぬ存ぜぬを貫く。役員と俺を信じろ。迷惑連中からお前を守って、ネタにされそうな不穏な話題はSNSフル活用で可能な限り潰す。木崎の件もその一端だ」

 怠惰以前に、ただの祈り。
 何の話か分からない?……ああ、そうだね、報道されないから知らないんじゃないかな。興味と知識のバランスの取れた記事にしか、誰も興味なんて抱かない。

「……そのスマイルたまに腹立つんですよね」
「お世辞でもいいから頼もしいって言えんのかお前は!」

 言わない。これは、――バナナ味の祈りでしかないから。

  

 


 

これが白紙の値札。いつでも、もちろん0円でも構わないわ。ワタシの紡ぎに触れたあなたの価値観を知ることができたら、それで満足よ。大切なのは、戯れを愉しむこと。もしいただいたら、紡ぐ為の電気代と紙代と……そうね、珈琲代かしら。