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【~戯れ交叉〜アプリコットの名刺】

 今日も、メールボックスに欲しい名前がいない。

 蘭も、御子柴悠も、ミコシーも。

 オフちゃん越しにリアル近況はいつでもわかる。
 ミコシーのSNSはそんなに更新されないから、
 情報収集には使えない。
 こっちからのアプローチは…………。


 …………退屈。



 描く題材も家事も山積みなのに。

 あんなに執着したティーパーティドレスとラプンツェルの口紅も、
 何度袖を通しても楽しくなれn―――

「ああもうダメダメ!ネガティブすぎるよ杏子!」

 平日のダイニングルームで自分に言い聞かせて、さっさとお皿を洗うことにした。あとは夕飯に出すお味噌汁の具を考えて、お風呂を洗っておいて……うん、大丈夫。

『空瓶さん からメッセージ:
 明日の配信、一緒にがんばろうね』

……大丈夫。

『空瓶さん へメッセージ:
 はぁい☆』

そうだよ。俯いている暇なんてないんだから。

「また会えるかな……」

「その、いわゆる『お仕事』じゃないから名刺なんか作っていいものかなって、あ、でも家の中のことだし。誰にでもできるっていうか。専業主婦なので……」
「さあ。誰もが結婚するわけではないですし、家事の得手不得手は、性別でさして変わるわけではないと思いますよ。わたしなんか中食のお惣菜ばっかりで。自慢できないですけど」
「ごめんなさいそんなつもりじゃ。わたし外で働いてもないから、つい」
「でも実際アンズさん、オリジナルのイラストを定期的に受注販売されてますし、こうして今回弊社のイベントにいらしていただいてますもの。それって、立派なクリエイターさんだということだと思いますよ、」

ハイドラ様/Swinging Chandelier-3:交叉点

 先週参加した企業主催のオフ会。趣味の会で首都のドームを埋め尽くす究極のヲタク祭りじゃないほうの。名刺持ってて当たり前なガチのプロが集まったあの場所は、すごく緊張して、ろくに会話なんてできなかった。

 ちょっと配信でウケて自分は上手い方だなんて思い上がってちゃ、全然だめだった。

 でも……

「ううん、会わなきゃ!まずは、名刺だよね、うん!」

 ファイトだよ杏子!あの人にもう一度会って、ありがとうって言わないと!

 ご飯とお味噌汁だけ用意して、あとは今まで見向きもしなかったスーパーのお惣菜パック。温めてお皿に盛り付けるだけの「中食」にしても、旦那はちっとも怒らなかった。浮いた時間と体力で思いっきりおしゃべりしてゲームもして、「外食よりずっといい」って言ってもらえた。土日はさすがにちゃんと作ろうって思って張り切って、作り置きまでできちゃったって。

 メリハリってこんなに大事だったんだ。
 ……いつも、ミコシー、言ってくれてたのにね。

「やっほー!お昼のアンズのゲリラ配信だよ!
 今日はね、集まったら名刺の話するからね☆
 集まるまでゲームしてるよ!いつものやつ」

 配信者アンズのほうがずっと上手くいく。
 ミコシーを思い出すたびに刺さる痛みとか、
 空瓶さんとのラブホテル打ち合わせとか、
 オフちゃんが星空スケッチの日につけてくるラプンツェルの口紅を見て込み上げるドロドロとか、
 ぜんぶ、

「みんなと一緒なら、高難易度クエストもぜーんぶクリアしちゃうんだから、がんばるぞー☆」


 ぜんぶ、消しゴムできる。

 真っ白になったカンバスにもう一度描ける。
 会いたい人。
 ミコシーに似たメイクの、本物の、大人の女の子おうじさま

 頑張れ私。今日のお守りは、モニター前の古いぬいぐるみの前に立てかけた、あの人の名刺。

 私も名刺を作って、今度はティーパーティードレスのコスプレ娘みたいに思われない、いつものお出かけスカート姿で、言うんだ。

「上條さん、紅茶の喫茶店って好きですか?」

 無理しない背伸びしない。あのときみたいに、自然体で、高校のときから一番好きなアプリコットピンクの口紅をつけるだけ。寝不足を隠す程度のメイクは大人のたしなみ。

「もし、好きだったら、えと……私のオススメなお店が近くにあるから、ちょっと寄って行きませんか?これからの絵のこと、もう少しお話したいってあのイベントの後に思ったんです!」

 きっとアールグレイが好きで、普段はコーヒー党なのにダージリンの香りとかミルクティに垂らすお酒の名前とかしれっと語れちゃうんだよね?



 そうだよね? ミコシー。


 ちゃんと、名刺に入れてあるから、大丈夫だよ。
新しいバナー絵にしたパステルピンクの空間で流れ星に込めた願いを、ミコシーの大好きな紫にして、

 それで……、

 ……………………、

「じゃっじゃーん☆やっぱり皆の力があれば塗りもすいすい頑張れる!すっごく満足だよ!」

 

 ――■■シテモラウノ。


これが白紙の値札。いつでも、もちろん0円でも構わないわ。ワタシの紡ぎに触れたあなたの価値観を知ることができたら、それで満足よ。大切なのは、戯れを愉しむこと。もしいただいたら、紡ぐ為の電気代と紙代と……そうね、珈琲代かしら。