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【戯れ~オフベージュの選択~】

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――――望マレタ末路ハ、余リニモ早ク生マレテイタ。


「ええっ!?夫と同じゲームをしているのですか?」
まるで、夫と初めて出会ったときのようなご縁でした。
「じゃ、ぁ、あの……大貫さん……もし、よければ……」
まるで、夫と初めて会話が弾んだときのような鼓動でした。
「今週末は、我が家に招待されてくれませんか……?」
まるで、夫と初めて一緒に居たいと思ったときのような緊張でした。

「御子柴さん、いいですか?」
「何で自分に聞いてくるんですか。……はい、先輩できましたよ。袖がほつれていたやつ」

嬉しくて。嬉しくて。とても嬉しかった。

――だって、あの綺麗な人は、私たちと変わらずに接してくれるから。

「お酒を飲みながらたくさんお話したら、きっと夫とのきっかけも……」

**********

 夫婦の間を取り持ってくれて、同じ酒を飲んで好きなだけ愚痴やわがままを遠慮なくぶつけあうことを許してくれた大貫さんは、優しかった。本当に優しくて、ありがたくて、久しぶりに楽しくゲームをした。三人で。

 夫も良いと言ってくれたから、少しお酒が回りすぎた大貫さんには、泊まってもらうわがままを聞き遂げてもらった。

 夫の部屋で寝るにも客用布団がない。
 お酒を飲んだ日の夫は、いびきが大きい。
 大貫さんはリビングのソファで寝ると言って聞かなかった。
 すごく申し訳ない気持ちでいっぱいだったけれど、とにもかくにも泊まってくれるならと秋用の綿毛布を引っ張り出した。エアコンで冷えてしまったら大変だから。

 寝心地が良いと言ってくれてよかった。
 だから、「おやすみなさい」と言って私も自分の部屋に入ったけれど、なぜかいつものベッドがとても広い。

 広すぎて、落ち着かなくて、大貫さんは眠れているかなと気になって、真っ暗のリビングをそっと見に行った。

 すうすうという寝息。足元を照らす為に持ってきた小さなキャドルライトを少し離れたところに置いて、覗き込んだ寝顔。少し無防備で、オフィスでの印象とは違う幼さが垣間見えた。

 眺めているだけで穏やかな気持ちになる。酔った夫が陽気に「隆幸」と呼んだら、照れ笑いを浮かべながらビールを注いでいた光景が、心臓をぽかぽかと温める。

 ずれた毛布をかけ直そうと膝立ちの姿勢のまま手を伸ばした。……嗚呼、肩が冷えている。やっぱりエアコンの風が体を撫でてしまっている。

 そのとき、窮屈そうな寝返りと同時にソファからだらりと腕が落ちた。
その腕は、ちょうど私の体のすぐ傍に。目の前に。少し動けば触れてしまえる程度に。

 私の心によぎった。
※少し誤解を招きかねないけれど、起こして私の部屋で寝てもらおう。
※この腕が当たる感覚……私、覚えている。でも、だから、もう少し……。

 ――大貫隆幸さんという名前が、とても身近になった今日。

※覚えている
 だらりと下がった腕に、ほんのすこし、ほんの少しだけ身体を寄せると、胸の谷間に硬い感触を覚えた。

 嗚呼、こう、だった……

 もう少し、もう少しだけ寄せると、いつかの電車のときと同じように、ふにりと胸の形が歪んだ。

 嗚呼、こう、だった……

 あと少し、あと少しだけカーペットに膝を擦って、ぴとりと寄せると、お臍の下が少し熱くなった。

 嗚呼、こう、なってほしかった……

 カフェラテミルクティのようにふわふわと甘い白昼夢が、聞こえないはずの音を運んでくる。タタンタタン、タタンカタン。腕の先には、当然手があって、あのとき選びきれなかった私はーー、

「ぁ……」

 ーー言い聞かせた。だらりとカーペットに落ちた大きな手が、ネグリジェ越しの太股の間でわずかに動くと、それだけで女の人を偶然辱めてしまう。

 声を出すのはイケナイことで、妻としてで、女として清楚ではなくて。

 でも……仕方ないの。男の人の指は太くて、関節は大きくて、びっくりしてしまった私は膝から力が抜けてしまって、手の甲の上に、はしたなく腰を落としてしまう格好になってしまったの。

 早く、どかないと。

 「ぅ……」

 早く、逃げないと。

 「……はぁ、……っ……は……」 

 早く、部屋に、清楚な私に戻らないと。
 
 でも、しかたがないの。
 起きなくて、この近すぎる腕と寝顔とどう向き合っていいのか、分からないの。
 非力で愚かな私は、どうかせめて起こさないようにと、両手でそっと逞しい腕を包み込んで、これ以上冷房に冷やされないようあたためてあげながら、シルク生地が敏感に伝える衣擦れと甘い圧に、耐えることしかできないの。

 「んん」となにかをむずがる表情がキャンドルライトに照らされると、呼吸が苦しくなって、暗い天井を仰ぎながら吐息を逃がした。

 息を整えないと。
 早く毛布をかけ直さないと。
 部屋に戻らないと。

 そう唱えるたびに腰が浮いて、前に後ろに、手の甲の上を滑る。勝手に動く身体を止めたくて、太股の内側に力が入る。

「……!」

 一際ぴりりと伝う処で私たちが出会った瞬間、こぼれそうになった声を手で押さえる。
 嗚呼、もしかして、本当は起きている?寝たふりをしながら、私の体を、私の熱いところを……?だって、そうでもない限り、こんな、マンガやゲームのような偶然……。

 嗚呼、でも、ツクリモノのような偶然でもいい。
 男の人の身体に優しく触れてもらえている。
 自由に、ふわふわと心地良いままに溶け合える。
 
 御子柴さんよりもずっと自然に、この人と仲良くなれている。

 「ん、くぅ……」

 嗚呼、私……清楚に生きてきてよかった。
 こんなに素直に、いつまでも初々しくキモチヨクなれる。
 こんな形は、本当はだめだけれど、夫と私の仲を取り持とうと遠くから来てくれて、私をこうしてこっそりキモチヨクしてくれた人に、私は、今夜少しだけお返しがしたい。
 万国ありふれた、顔を近づけるアイサツを贈りたい気持ちでいっぱいの私も、知って欲しくて。ソレでもっと優しい顔を見せてほし、

 ーーピロリリリ!

 ……えっ?

 ーーピロリリリ!

 驚いておもわずソファから離れた。カフェラテミルクティのような甘い時間を、電子音と振動音が引き裂いた。薄暗い部屋に灯るブルーライトは、隆幸さんのスマホ。

 まさか、と、よぎった瞬間、がばりと隆幸さんが跳ね起きた。オフィスでよく見る、あの緊張した面もちで。

 「どうした!」

 スマホを拾い上げた第一声は、私を見ていなかった。

 「ん、大丈夫だ。薬は?……分かった。今からそっちに行く」

 え?

 「謝るな。発作ってそういうもんだ。高速に乗れば30分くらいのはずだ。……待てるか?……よし」

 どうして?

 そのとき私はどういう顔をしていたのか、分からない。ただ分かるのは、温もりを交わしていたはずの腕を両手で掴んだことと、手早くスマホを操作していた彼が驚いた表情で私を見たこと。

「木崎?」
「だめです……行かないでください……。もう、深夜ですよ……?雨ですし、危ないですよ……?」
「それよりどうして起き、ているのかは、悪い、要件を先に伝えさせてくれ」

 じっと見つめる真剣な眼差しは、私のためのものではないと、どうして分かってしまうのだろう。

「友人から助けが必要と連絡が来た。すぐに駆けつけないといけない」
「……御子柴さんですか?」
「まあ、な」

 時々苦しそうにポーチを握りしめて離席する御子柴さん。一時間くらいして戻ってきた後、必ず御子柴さんを気遣いに大貫課長がデスクを立って声をかけにいくのは、他の皆にするのと同じ優しさ、のはずなのに。

 ーー『ミコシー、先輩さん好きなのかな……』ーー

「泊めてもらっている上に騒がしくして申し訳ない。旦那さんを起こさないようにそっと出るから、火急の件で帰ったことと、ゲームの続きは今度埋め合わせると伝えてくれ」

 口の中が、ブラックコーヒーのように苦くなっていくのは、どうして。
 カフェラテの甘みがみるみるうちに真っ黒に塗りつぶされていく感覚は、どうして。

「だめ……!明日も、一緒にいてくださるって、楽しい週末を仲良く過ごそうって……!」
「すまない、本当に」
「御子柴さんは、隆幸さんが私の家にいること、知っているのですか?」
「いや。外泊していることくらいだが……木崎、本当にすまない、タクシーを手配したから、俺はすぐ支度してエントランスにーー」
「なら、私も一緒に……!」
「ダメに決まっているだろう。木崎、一体どうしたんだ?」
「だって、だって……」

私は、何を言っているのだろう。

「御子柴さんが独り占めしたいだけかもしれないじゃないですか!」

私は、何で泣いているのだろう。

「木崎。それを決めていいのは、御子柴だけだ」

私は、何で負けた気持ちになっているのだろう。

「そして俺はその御子柴のSOSの重さを、大学時代から多少なりとも知っているつもりだ」

私は、
私は、
私は……

「じゃ、あ……せめて、服を……御子柴さんが袖を繕ったときと同じように、預からせてください。そうしたら、お揃い、ですから……」

 何を望んで、すがりつく腕をほどけなかったのだろう。
 仕事も、夫も、広い家も、たくさんの友達も、たくさん頑張って得たのに。
 手を伸ばした先にある皺の入ったネクタイを、どうして掴み損ねたのだろう。

「……今日は、もう休むんだ」

 私は、何が足りなくてまたリビングにひとり取り残されたのだろう。



………わからない。



――
―――――

「すみません。包丁棚に鍵かけるの、忘れて」
「いいから」
「木崎さん、仲直り、できましたか」
「いいから」
「ていうか、女の匂いつけたままこの絵図は、さすがにどうかと」
「いいから、呼吸を戻せ。ゆっくりだ」

まっくらなへや。まっくろなしずく。
雨も街灯も、ぜんぶぜんぶ、分厚いカーテンが隠す。

「ごめんな、御子柴」
「なんでですか」
「……ずっと逃げていた」
「それが普通ですって」
「それを言わせた結果がコレだ」
「救急車呼ぶほどじゃないですし、自業自得です」
「いいから、手ぇ上にしてろ」

ざあざあ。雨の音。テレビの砂嵐のような音。
きつくきつく、息も血も縫い止める夜色の音。

「情けない話だが……これで諦めがついた」
「諦めないでくださいよ情けない」
「ああ情けなくて結構。それも今日で最後だ」

ぎゅっ、という音は三次元リアルワールドでは鳴らない。
代わりに、ちゅっ、という唾液が滑り踊る音が鳴った。

「ーー!」

ハッと息を飲む音も。

「ま、って」
「ダメだ」

何かを悔いて憤って、唸るような低さで囁かれた一言も。

「――、だ」
「……バカな選択ですよ。それ」

何かを悔いて憂いて、縋るような弱さで呟かれた一言も。

「……………僕も、バカですよね」

全部。雨のような音<こえ>だった。


――
――――――


「そうか……蘭はしばらくログインできないか」
「俺が勢いで色々言っちまったからなぁ……。はぁ……やっちまった……」
「応援する。リア友同士のギルメンがルームシェアを始めただけだ」
「リアルでも頼もしいギルマスで助かる、ほんと」

 ある晴れた夜。ラーメンと白抜きされた赤い暖簾が二人の男の背を隠す。

「……嫁さんは、あれから……」
「ああ、気にしないでくれ。浮気したい頃合なんだろうって思って放置した俺が全部悪い」
「いや、俺が曖昧な態度を取り続けていたのが問題なんだ」
「まあまあ、そのあたり飲み直しで流そう。お互いリアルは知らなかったしな」

 オンラインゲームでボイスチャットを交えてチームプレイを楽しむ間柄の二人は、これが二度目の顔合わせとは思えないほど打ち解けた様子に餃子をつついてビールジョッキを傾ける。
 チームを率いる最年長の男は苦笑交じりに言う。世間は狭すぎる、と。

「それにな、今回が初めてじゃないんだ」
「……そう、なのか」
「病気というより、拘りみたいなものかな、あれは」

 泡の消えたビールへ落ちた視線は、少し遠かった。

「だから余計に、嫁を気にかけてくれている蘭には申し訳なくてな。ここの餃子、冷凍でも美味いから持っていってやってくれないか。引越祝い、ってことで。……あーあ、いつか蘭と会ったらハグする計画が崩れ去った」
「やらん!」
「はは。その意気で頼む。うちのと違って蘭は一途で脆いからな。さ、これ食ったらお開きにしよう。眠り姫にキッスをする日課なんだろ?」
「あってたまるかそんな日課」
「ギルマス命令だ。今日から日課にしろ」
「…………」

 少し冷めた餃子曰く、環境変化に心が追いつかないまま寝込んでいる初々しいパートナーは、溜めこんでいた有休を少し溶かして夢を見ているらしい。そう、例えば、髪がショートカットだった頃、講義が終わっても続く居眠りをそっと揺り起こす声が降る、とか。

「――悠、起きてるか?」



――
――――


「……ええ、ええ。そうなのです。……その人は突然、他に好きな人がいると言って、帰ってしまったのです……」

 同刻。晴れた夜を遮る分厚いカーテンの中。広いリビングのソファにて。

「悲しくは、ないのですよ?ただ……ちょっぴり、寂しいです。最初に教えてくださればよかったのに……」

 電気が灯らない暗い暗い部屋。スマートフォンから零れるブルーライトが照らすのは、せいぜい顔から胸元だけ。

「でも、そのお相手は、本当にすごい人で、本当にいつも綺麗な人で――……え?わ、私のほうが綺麗……も、もう……!それは、空瓶さんが贈ってくださったお洋服のおかげで……、は……恥ずかしいです……」

 誰も居ない静かな静かな部屋。文字だけが連なって、温度のない熱狂を前に、ひとりで頬を赤く染めて膝を閉じる。胸元が縦に開いた黒いワンピース姿で寝転がると、丁寧に作られたウェーブの長髪がクッションに広がった。

「このネクタイ……ですか……?えへへ……変、ですよね。胸が見えてしまってはいけないので隠すため……ですけれど、メンズ、ですよ?……その人がつけていたものと同じもので……一緒にいられる気がして……」

 ぽろぽろと涙がこぼれると、小さな画面のブルーライトが一斉に伝える。それを受信して、ひとりふわりと儚く微笑んだ。

「……やっぱり、そうですよね……。切り替えないと……来週から、お仕事で顔を合わせるのですもの……。……え?空瓶さん……えへへ……ありがとうございます。ら、来週もこの衣装、ですか……?ううぅ……皆さん意地悪です……!また電車で悪戯したら、めっ、ですよ……!」

 いやいやと首を横に振る眼差し。少し幼く見えるそれを悦ぶブルーライト。まっくらのなかでひっそり、甘く優しい夢を手引いてくれるカフェオレのような時間を紡いでいた。

「じゃ、あ、今日のお喋りは、このあたりで。皆さん、私のために、本当に本当に、ありがとうございました」

 ――ふつん。――ピッ。――カチャ。
 何事もなかったかのように、リビングにオフベージュ色の灯が満ちる。何事もなかったかのように、自室へ入ってクローゼットに手を伸ばす。

「…………また、だめだった…………」

 清楚でありつづければ、素敵な恋ができる。たとえ一度間違えてしまっても、支えてくれる人たちを大事にし続ければ、きっとやりなおせる。だから、失敗の原因をトラウマにせず、棄てずにきちんとしまおう。
 このネクタイも。
 あのスーツも。
 そのカーディガンも。
 革靴もワイシャツもコートもバッグも御守も浴衣もジャケットもセーターも腕時計もスマホケースも長財布も指輪も香水瓶も。

 全部、しまいましょう。

 キィ。
 ―――――がちゃあ。

 


「あ!おかえりなさい。ちょうどカフェオレを淹れるところなの。飲む?」

 

【……最初に戻りたいですか?】
▲ハイ
*イイエ


これが白紙の値札。いつでも、もちろん0円でも構わないわ。ワタシの紡ぎに触れたあなたの価値観を知ることができたら、それで満足よ。大切なのは、戯れを愉しむこと。もしいただいたら、紡ぐ為の電気代と紙代と……そうね、珈琲代かしら。