見出し画像

【超いまさら!】第四期SF創作講座の振り返り


 2019年から2020年にかけて参加していた第四期SF創作講座での一年間を振り返ろうと思う。


 第四期SF創作講座最終講評から一年以上が経過した今頃になってこんなエッセイを書くのは、同期の安斉さんがついさっきnoteにアップしていた四期振り返り記事を読んでみたら思いのほか面白くて、自分も書いてみたくなったから。
 各回講義では、与えられた課題テーマに沿った梗概と実作の提出が求められる。最終課題を含めた十個の課題のうち、僕が提出できたのは、梗概九作、実作七作だった。そのうち、実作の六作品は書くたびに手応えを感じることができ、回を数えるごとにそれが大きくなっていくことは大変貴重な収穫だった。
 このエッセイは、各回の提出梗概・実作を振り返りながら、当時の印象に残っていることを書き連ねたものだ。だが記憶にあるすべてを書くことはできなかった。この一年は濃密で、書ききれなかった記憶は多い。人生は途方もなく長いくせに、人生を書くにはあまりに短すぎる。

■第一回講義
〇梗概テーマ:「「100年後の未来」の物語を書いてください」
 自分はSFへの造詣が浅く、まず過去に読了したSF小説の数を思い出せる範囲で書き出してみたり(ラノベを入れれば100冊を超えるけど、海外SFに絞ると20冊程度だった)、SF小説を書くうえでのマイルールを作ったりしていた。
 マイルールは次のようなものとした。

・状況設定のルール:虚構的な技術(タイムマシンとか)、あるいは、虚構的な舞台(太陽系外の惑星とか)がひとつ存在する。
・物語のルール:上記の技術あるいは舞台が存在する状況でしか起こり得ない物語を作る。

 このふたつを満たしておけば、最低限SFになるのだろうとこのときの自分は考えた。しかし構造や語りの問題が抜け落ちていたので、その辺は講座がすすむほどにはちゃめちゃになってしまった。今後はそこもちゃんと考えたい。
 講義では、編集者の小浜さんから案の定、「頭がいい感じのする小説ではあるけど、俺はこういうのはやっぱり認められない」とたしなめられた(文章で書くとつよい口調だけど、実際はやわからい物言いだった)。

■第二回講義
〇梗概テーマ:「読んでいて“あつい”と感じるお話を書いてください」
〇実作テーマ:「「100年後の未来」の物語を書いてください」
 2019年7月19日午前。京都アニメーション放火殺人事件が起きた日。ショックを受け止めきれず、SF創作講座の第二回講義に行く気力が湧かなかった。夜になって講義が始まったころ、よく覚えていないが、たぶん布団の上でごろごろしていただろう僕のスマホに、同期の渡邊さんから「遠野の提出した梗概が高い評価受けてるぞ!早く来い!」というDMが届いた。よく覚えていないが、「来い!」とアツい勢いで言われたので講義に遅刻して行くことにした。なんとか講義にはたどり着いた。梗概が初めて選出された。講義の終了後、みなが打ち上げに向かう流れからそっと抜けて、ファミレスへ行き、昼の事件について今感じていることを「祈りを手放さないための覚書」という短文にまとめて、深夜1時頃に投稿して、ファミレスを出て、打ち上げに合流した。
 次の梗概のアイデアはこの日以前にすでに思いついていたけれど、急遽、そのアイデアをこの日に起きた出来事と重ね合わせようと思い、そう決めた。
 翌日、打ち上げからまっすぐ家に帰る気持ちにならず、また午後から都内で用事があったので埼玉の家に戻るくらいなら都内のマンガ喫茶で時間をつぶして午後の用に向かおうと思った。けれどマンガ喫茶に入ったあと、特に心身の不調あったわけでもないのに、なぜかマンガ喫茶から24時間出ることができず、午後の用事には行けなかった。

■第三回講義
〇梗概テーマ:「強く正しいヒーロー、あるいはヒロインの物語を書いてください」
〇実作テーマ:「読んでいて“あつい”と感じるお話を書いてください」
 もともとあったアイデアに、強引に現実の事件で感じたことを重ねようとした結果、マイルールどころか物語の体裁も何もない、よくわからない梗概を提出することになったが、自分としては今までの自分が文章に乗せることのできなかった熱を込めることができていたように思う。選出されなかったけれど、同期の幾人か、それと大学時代の友人タカツからの受けはよかった。今までにない手応えを覚えた。
 この時に同時に提出した実作については、タカツから「アンタが女の子を出すとくそつまんなくなるので、もう女の子は書かないでください」と言われる。

■第四回講義
〇梗概テーマ:「「何かを育てる物語」を書いてください」
〇実作テーマ:「強く正しいヒーロー、あるいはヒロインの物語を書いてください」
 前回提出したよくわからない梗概を、実作「カンベイ未来事件」として書き上げて提出した。最後の章が、たいへんひどい出来で、それまでフィクションとして書かれていた作品が、唐突に、現実の書き手によるポエムに浸食されてしまっていた。最後の章は、タカツの奥様から大変不評だった。講義では、作家の法月さんに無理を言って意見を求めたところ、「この小説のなかで、書きたりていないと感じることはある?」と質問されたので、「作中で起こる館の事件について、詳細が書けなかったので、それは今後なんらかの形で書きたいと思います」と答えた。法月さんは「じゃあ、それを書いたほうがいいよ」と言われた。確かにそうかもしれない、と感じたので、その「館の事件」を書き上げて、最終実作に提出しようと決めた。その作品で、7月18日の出来事に対して自分が感じたことをフィクションとして書けるだろうという思いがあった。
 この一年間で書いた実作は、タカツ以外に、母親に読んで感想をもらうようにしていた。このときの実作はとても評判がよかった。
 この講義で提出した梗概はまったくダメダメだった。実作で完全に力尽きていた。いま見たら、マイルールも守れていなかった。

■第五回講義
〇梗概テーマ:「シーンの切れ目に仕掛けのあるSFを書いてください」
〇実作テーマ:「「何かを育てる物語」を書いてください」
 ダメダメな梗概は最後まで書ききれず中途半端なところで終わるダメダメな実作として提出。同時に出した梗概もダメダメだった。いま見たら、マイルールも守れていなかった。

■第六回講義
〇梗概テーマ:「長距離を移動し続けるお話を書いてください」
〇実作テーマ:「シーンの切れ目に仕掛けのあるSFを書いてください」
 ダメダメな梗概は実作を提出することすらできなかった。
 梗概の方は、「再会することのできないことの悲しみを受け止める話」のようなものを核に置き、よくわからない梗概となりつつも、熱が込められたという手ごたえを感じた。無事に選出された。講義で、主任講師の大森さんが、作中で距離を「なんでこの梗概は、距離をパーセクで表記しているんだろう?(注:梗概は銀河観光をするお話だったので移動距離がでかかった)」とつぶやいたところ、間髪入れずに作家の円城さんが「でかい単位だからですよ!」と言ってくれたのを聞いて、僕の意を十二分に組んでくれたことを確信した。円城さんに対する絶大なる信頼が僕の中にうまれた瞬間だった。
 梗概はマイルールを守れていた。

■第七回講義
〇梗概テーマ: 「「取材」してお話を書こう。」
〇実作テーマ:「長距離を移動し続けるお話を書いてください」
 前回の梗概は、実作「銀河ダークツーリズムガイド」として提出されるはずだったが、同時に選出されていた東京ニトロさんに対して「この完成度では東京ニトロに負けてしまう…」という焦りがつのって平常心を失い、締め切りに1分遅れて実作未提出となってしまう。「戦わずして、東京ニトロの覇気に負けた…」という反省の念を深く抱いた。再戦の機会がまわってきたときには、絶対に覇気に負けないようにしなくてはいけない、と思った。
「銀河ダークツーリズムガイド」はその後、某新人賞に送ったけれど、結果は芳しくなかった。作品受領メールが届かなかったことから、あれはきっと手違いで選考されていないのだろう、と自分を納得させた。
 母親からは「おもしろかったよ」と感想をもらえた。
 この回は梗概も提出できなかった。

■第八回講義
〇梗概テーマ:「ファースト・コンタクト(最初の接触)」
〇実作テーマ:「「取材」してお話を書こう。」
 前回、梗概を提出していないので、実作のことを考えずに梗概を考えることができた。
 このとき提出した梗概は、第一回講義の頃から暖めていた「遠野よあけ全集」というタイトルだけ存在したアイデアをもとに組み上げた。さすがにタイトルが痛かったので、架空の作家名とすげかえ、課題である「ファーストコンタクト」のネタと組み合わせると、よい塩梅に梗概が完成した。熱量の手応えは「カンベイ未来事件」「銀河ダークツーリズムガイド」に比べると弱かったけれど、読んで楽しい梗概が書けたという思いはあった。マイルールも守られていた。選出された。
 東京ニトロさんも選出されていたので、再戦の機会を得た。

■第九回講義
〇梗概テーマ:「「20世紀までに作られた絵画・美術作品」のうちから一点を選び、文字で描写し、そのシーンをラストとして書いてください。」
〇実作テーマ:「ファースト・コンタクト(最初の接触)」
 選出された梗概は、実作「十二所じあみ全集」として書き上げ、提出した。東京ニトロさんの覇気に打ち勝ち、再戦の場に立つことができた。ちなみに十二所という苗字は、妹の小学校の同級生にそういう苗字の子がいて、30年弱ずっと記憶に残り続けていて、いつか小説で使おうと考えていたもの。この小説は、講座の一年間を通じてもっともまわりからの評判がよかった。そして講義での評価でも、東京ニトロさんに点数で勝つことができたのがとてもうれしかった。その日の順位は、三位東京ニトロ、二位遠野よあけ、一位榛見あきるという結果だった。ぼく、負けとる……。う、う……。
 母親からは「おもしろかったよ」と感想をもらえた。
 梗概はダメダメだった。マイルールは守れていなかった。

■第十回講義
〇梗概テーマ:「最終課題:ゲンロンSF新人賞」
〇実作テーマ:「「20世紀までに作られた絵画・美術作品」のうちから一点を選び、文字で描写し、そのシーンをラストとして書いてください。」
 前回、梗概を出していないので、最終課題の梗概のみを提出した。第四回講義で決めたとおり、「カンベイ未来事件」で書くことのできなかった館の事件を梗概で書いた。よくわからない梗概で、マイルールも守られていなかったし、物語にもなっていなかった上、館の事件だけでは書きたいことが片手落ちになることに最後の最後で気が付き、締め切り間際に館の事件を第一部として、第二部のアイデアを梗概に盛り込んだ。このときはそれが正しいことだと確信していたけれど、結果としては明らかに間違っていた。端的に言えば、当時の自分の力量を超えるものを書こうとしてしまっていた。意気込みはよいけれど、反省はするべきだと感じている。

■最終講評
〇実作テーマ:「最終課題:ゲンロンSF新人賞」
 コロナ禍の影響で最終実作の締め切りが二ヵ月延びた。降ってわいたボーナスタイムを、だらだらと過ごし、執筆のは大変感謝している。
 その最終実作「木島館事件」は、じぶんがこれまで書いた小説のなかでもっとも面白いと思ったので、絶対に最終候補に残るという強い確信があった。同時に、書くはずの第二部が書けなかったので「完結していないのでは?」という強い不安も抱えていた。しかしおもしろいのでなんとかなるだろう!と強い気持ちを抱えながら最終候補作品の発表を確認すると、そこに自分の名前はなかったし、大森さんからは「話が完結しているとは言い難い」と案の定過ぎるコメントを頂いた。ぐうの音もでない完璧なコメントだった。
 東京ニトロさんに最終決戦を挑むつもりだったが、僕は落選したし、東京ニトロさんも二万文字オーバーという大幅な文字数超過によって落選していた。新人賞は榛見あきるさんが勝ち取った。
 もちろん母親にも「木島館事件」を読んでもらった。「すごいおもしろかった。私はこのくらい謎が残るくらいの方がおもしろい」という感想をもらえたので、書いてよかったと思うし、一切の誇張抜きに、新人賞受賞よりも価値のある言葉を受け取れたので、本当に書いてよかった。
 第四期SF創作講座が始まる少し前に、母親の身体に癌があることが発覚した。その際の手術では一命をとりとめたものの、医者からは余命は長くないという話をされた。そしてコロナ禍がはじまり、余命が短いことを知った母とぼくたち家族は本来なら母の希望で大阪に旅行するはずだったのだが、コロナの影響で行うことはできなかった。母が入院した病院でコロナ患者が出たため、一ヵ月か二ヵ月かの間、病室へ見舞いに行くこともできなかった時期もあった。そのような時期を経て、2021年5月、入退院を繰り返した母は自宅介護を受けつつ、確実に死に近づいていた。高熱にうなされる母の意識は、訪問の医者の話によれば、おそらくほとんどぼんやりしていて、幾度もの入院や投薬の負担や病魔による衰弱によって肌がただれたお尻に薬を塗られて痛がるのは、あくまで身体の反射であって、母が痛くて苦しんでいるというわけではないだろう、という見解を医者は話した。今年の母の日は5月9日で、母は5月8日から日付をまたいで1時間もしないうちに、息をひきとり、その数十分後に家族がそのことに気が付いた。日付が変わる少し前、母が亡くなる少し前、まだそのときは呼吸をしていた母の耳元に「おやすみなさい、お母さん。また明日」と声をかけることができたことは、特別な意味付けなどを抜きにして、素直によかったと僕は思えた。自宅介護というゆっくり時間をかけて行われた別れの時間は、少しずつ母を看取るために必要な時間だったのだと、後から気が付いた。
 孫の顔を見せてあげることもできず、自分の単著のひとつも送ることはできなかったけれど、SF創作講座の一年で自分が書いた小説を母に読んでもらえたことは本当によかったと思っている。母が「すごいおもしろいよ」と言ってくれる小説を僕が生きているうちに書けたことは、素直に、よかったと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?