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ゲンロン大森望SF創作講座第四期:最終課題実作感想①

 僕、遠野よあけはゲンロン大森望SF創作講座という小説スクールに通っていまして、つい先日、最終課題実作(120枚程度)の作品を提出しました。
 この記事では、そこで提出された作品への感想をつらつらと書いていきます。詳しい情報は下記サイトにて。

「ゲンロン大森望SF創作講座」
https://school.genron.co.jp/sf/

「最終課題提出作品一覧」
テーマなどの指定はなし
(各作品は50~120枚程度)
https://school.genron.co.jp/works/sf/2019/subjects/11/

00「木島館事件」遠野よあけhttps://school.genron.co.jp/works/sf/2019/students/yoakero/4199/
 ――ある日の夜。木島館で共同生活を送る7人の作家たち(小説家4人、芸術家、哲学者、オカルトライター)は、焚き火を囲みながらそれぞれの関心の深い話を語り合っていた。しかしその中にある企みを持ったひとりの人間がいた。そして翌日の朝、木島館の作家たちは、奇怪な事件に遭遇する……

 という小説を僕も最終実作として提出していますので、
読んで頂けるととても喜ばしいです。

以下、この記事では9作品について感想を書いています。
感想の順番は適当です。
感想冒頭で、作品の簡単なあらすじを書いておきます。
また、感想ではネタバレにもふれていますのでご注意ください。

01「僕らの時代」東京ニトロ

https://school.genron.co.jp/works/sf/2019/students/tokyonitro/4170/

 ――2013年。タカハシカズキとユカワマイの通う中学校の屋上で事件が起きる。2021年、中国のボイコットがきっかけで中止となった東京オリンピックから2年後。運送会社で働くタカハシと、大学生となったユカワマイが再会する。そして街を破壊する大事件が始まり、タカハシは世界の終わりに対峙する……

 面白かったです!
 以前にもニトロさんの作品「ら・ら・ら・インターネット」の感想で、セカイ系との相似と差異について僕は書いているのですが、今回もまたそれを感じました。
「セカイなんて導入しなくても、現実の社会の語彙と仕組みだけで大状況(社会)はぶっ壊せるのだ。というかニトロさんの描くものこそが社会であり、社会のリアリティなのだ。人は死ぬし街は壊れるのだ。現実に。」
(https://note.com/yoakero/n/n058d0ab6dcd1)
『最終兵器彼女』や『イリヤの空』などは、戦闘美少女というフィクションを用いて個人の人生と世界の終わりを接続して描いていたわけですけど、ニトロさんは戦闘美少女ではなく、パニック映画的な破壊のリアリティによって世界の終わりを描いていて、そこが僕は好きですし、9・11の起こった世界では素朴に考えればこちらの方が現実との正当なつながりを感じます。
 ニトロさんの作品で描かれる街の破壊は、ディテールの密度があるのが特徴のように思います。例えば、航空機が綾瀬にあるユカワのアパートに墜落する場面は次のように数字や固有名が羅列されています。
「機体本体が引き起こした炎と衝撃はラッシュアワーの千代田線綾瀬駅を包みこむと、千数百人の乗降客、数十人の乗務員、数千台の自転車、自家用車120台以上、路線バス15台、タクシー46台、千代田線と常磐線の車輌3編成を破壊して、イトーヨーカドー綾瀬店を客と従業員四百数十名ごと倒壊させ、やっとその運動を停止させた。」
 こうした映像的な破壊描写と同時に、そのほかの場面でも固有名も多くて、ちょっとした文房具(CAMPUSのノート)やニュースで語られる名称など、作品中にはそうした現実にも存在するモノがあふれています。ニトロさんの作品を読みなれてくると、それらがみな破壊されるかもしれないという予感を覚えます(ゲーム的に言うと、固有名などが破壊可能オブジェクトのように見える)。
 そしてニトロ作品において、破壊を引き起こすのも破壊によって曝け出されるのも、社会のインフラやネットワークです。前述の鉄道を始めとした交通網や、ガス管や水道管、インターネットなど。「どうせ人間なんて、悪意でしか他人とつながれない」という作中の印象的な台詞を含めて、社会はヒトもモノもどうしようもなく繋がっている。けれど「ら・ら・ら・インターネット」でも「僕らの時代」でも、そうした繋がりこそが事件の解決にとって最も重要な要素のひとつなっていることが興味深いです。破壊とつながりのふたつが、ニトロ作品のカタルシスを生むメカニズムであるように感じました。
 そしてまた「僕らの時代」を特徴づけているのが、現実と虚構のつながりです。この作品のなかで明確に現実であることが判断できるのは2013年パートのみで、2021年パートは現実なのか、あるいは虚構(さらに未来で行われているシミュレーション?)なのかは判断できないようになっている。2013年のユカワの生死は明言されていない。ユカワが死んでいるとすれば、2021年パートは虚構です。けれど、読者が読む物語の順序を踏まえると、ユカワの死んだ2013年(小説冒頭)の後に、虚構の2021年での出来事があり、そしてユカワが生存した2013年のある世界線が出来たのかもしれない(過去を変えることが物語の本筋のひとつですし)。
 そもそも2021年の事件は、タカハシの書いた小説(を読んだユカワの書いた小説)を「シナリオ」としたものであり、その意味では虚構が現実を破壊しようとする話です。けれどラストでは、名前も明かされない少年が「小説を書く」ことを決意して希望を示唆する終わり方をしている。
 作品内でのこうした虚構の在り方の宙吊りが、東京ニトロさんが作家としてフィクションに向き合う姿勢のように、僕には感じられました。
 ニトロさんの主だった武器が総動員された、最終実作に相応しい小説だと思いました!(ブレーキを踏まなかったことも含めて!!)

02「おねえちゃんのハンマースペース」稲田一声

https://school.genron.co.jp/works/sf/2019/students/17plus1/4181/

 ――大野道哉の姉、薆は特殊な力を持っていた。フィクションに登場する「ハンマースペース」のように、何でも物を収納できる魔法。道哉はそんな姉のことをつよく慕っていたが、姉の魔法はふたりの人生を少しずつ変えていき……

 面白かったです!
 僕はお姉ちゃんが出てくる話が好きだし、お姉ちゃんがエロくてグロいとなおよいし、あまつさえお姉ちゃんが増えるのもとても好きです!お姉ちゃんが増えるお話はあまりないので、お姉ちゃん増殖小説として価値が高いですね!
 お姉ちゃんのハンマースペースに入っちゃうところとか、ほぼ近親相姦じゃん……と思っていたら、その後は怒涛のタブー破りが続いて勢いがついてこっからの展開とても好きです。エロとグロで世界観がぐいぐい広がっていく展開に、往年のエロゲの印象を覚えました。
 物語のはじまりとおわりをつなぐバスの情景も好きです。この場面があるので、無理に物語の風呂敷を広げたという印象もなくて、この物語の起点からは必然的にこういう結末になるのだなあ、という印象を持たされてしまう。
 この作品を読んで、稲田さんは物語の風呂敷を広げても、そのスケールに振り回されず、核となるアイデアからお話を最後まで書ける作家だなあ、というイメージが自分のなかでつよく定着したような気がします。

03「踊るつまさきと虹の都市」榛見あきる

https://school.genron.co.jp/works/sf/2019/students/halme123/4180/

 ――大火で片腕を失った東チベットの少年僧ペーマは、修行の傍らに観光客が集まる都市内で、電影〈アバター〉をまとい踊りを披露することを喜びとしていた。ある日、彼は友人のプティから学院主宰の仮面舞踏のオーディションを受けないかと打診され……

 異国の風景をここまでちゃんと書けるのはすごいと思いました。一期の櫻木みわさんも上手かった記憶。僕はこういう文章がとても下手なので素直にすごいと思ってしまう。小説の文章力ではとてもかなわない。
 僕はこの小説で描かれる踊り手と電影の関係は、Vtuber的なもののように感じました。観光客たちの拍手やお布施は、ネットユーザーのコメントや投げ銭を思わせますし、なにより、自分ではない身体を自分の魂を込めて動かすエンタテイメントという点が似ていると思います(ペーマは学院の舞踏は神々の依代としての身体ととらえ、それに対して電影を好んでいるので、電影を用いた舞踏にはペーマの身体や魂がより深く関係していると感じます)。もちろん、日本のVtuberとこの小説の電影の舞踏は差異がたくさんあるのですが、それは日本とは異なる土地でパラレルに発展した文化という印象があり、「何が同じで何が異なるのか」という点を考えることが興味深いです。パッと思いつく大きな差異としては、この小説では電影の舞踏は観光地で観光客を主に相手にする様子が描かれていること、それとチベット仏教との関わりがあることです。特に後者は、日本のVtuberからは出てきにくい視点のような気がします。日本のネットカルチャー(に近いもの)がチベット仏教の文脈に置かれているという点が非常に面白いです。
 他方で、エピグラフのフーコーや、途中出てくる生得主義の話などは、物語内で当たり前とされている環境(前者は監視社会、後者はサイボーグ的技術と生身の身体の関係)を説明するためにしか機能していないように感じてしまわれるのが勿体ないと思いました。フーコーはユートピアを語るためにこそ引用されていると思ったのですが、その描かれるべきユートピアを強く感じることはできなかったです。(この辺は感想会で突っ込んで述べた通りです)
 いろいろ扱いにくいモチーフを盛り込みつつ、完成度の高い作品に落とし込んでいることはすごいと思います。次はもう少し、作品が破綻するかもしれない(でも破綻しない…!)ギリギリの可能性を作品内に組み込んだ小説も読んでみたいです!

04「うつろね」よよ

https://school.genron.co.jp/works/sf/2019/students/happanoko/4190/


 すみません、うまく小説の筋や状況が把握できなくて、あらすじが書けませんでした……おそらく、平安時代あたりの都で皇族に使える琴奏者のシオンという女性が、同僚(上司?)のスズシとミヤコと(あと男宮)の関係性から物語が駆動していると思うのですが……物語の内容が具体的にどういうものだったのか、一読しただけでは読み取れなかったです、申し訳ない……
 女性と男性社会の軋轢と、その解放を描こうとしているのでは……?という気はしました(感想会でお話したとおりです)

05「手紙」松山徳子

https://school.genron.co.jp/works/sf/2019/students/tokuko55/4195/

 ――「天国」と呼ばれる死者の記憶を保管するシステムによって、死者との交流が可能となった世界。しかし太陽嵐の影響による事故で、「天国」による死者との交流ができなくなり、わたしは亡くなった友人のつぼみとの交流が途絶えてしまい……

 世界観とそこで起きる出来事が面白かったです。現実は、友人が死者となった時点で交流が不可能になるのですが、この小説世界では、死者となっても交流が続き、そして交流可能だった死者が交流不可能になってしまう。昨日までことばを交わせた死者とことばを交わせなくなるという経験は、フィクションだからこそ想像可能なものだと感じられて興味深かったです。
 欲を言えば、主人公がつぼみにどうやって手紙を送ろうとするのか、そこを深堀りした話が書かれていたらより興味が刺激された気がします。一般的に物語の盛り上がりは、達成不可能と思われた課題をクリアすることで、事件の収束と主人公の精神的な成長が同時に起こることで読者に伝わると思いますので。
 あとは細かいことなのですが、主人公の年齢は明記したほうがお話の核が読者にぶれずに伝わると思いました。「友人に手紙を送る」という行為は、年齢によって感じ方が異なるものだと思っていて、特に10代の時期は数年ずれるだけでまったく違う受け止め方をすると思いますので。他、太陽嵐による事故が、想定外だったということが強調されますが、衛星が太陽嵐の影響を受けるのは想定内のことだと思うので(沿岸部に近い原発に津波がくることは想定すべきだったのでは、みたいな感覚と似ています)、例えば「これまでの観測史上からは想定できなかった規模の太陽嵐」とかが起こったとかの方が説得力を感じる気がします。あと書き方の問題と思いますが、「太陽嵐の影響で、衛星が移動した」というように読める部分がある気がするのですが、太陽嵐は電磁波の放出なので、衛星が移動した、というのは不思議に感じました。

06「愛と友情を失い、異国の物語から慰めを得ようとした語り部の話」宇部詠一

https://school.genron.co.jp/works/sf/2019/students/ubea1/4172/

 ――「失恋したことだし、小説を書こうと思う。」僕はそう書き始め、自分の苦い失恋の記憶と、執筆中のアラビアン・ナイトをモチーフとした二つの話を並行して語り始める……

 ナイーブな青年による自省的な語りと、作中作と作中作中作が交差していく構造の小説……なのですが、僕はわりと、かなり読むのが苦手なタイプの小説でした……。一番の理由は、読者である僕は、書き手であり語り手である「僕」のことを全く知らないし、とりたてて人間的興味も惹かれなかったので、彼の人生に最後までつよい関心をもてなかったためだと思います。(あと個人的に、遠い過去や、遠い異国が書かれた小説は入り込みにくいというのもあったのだと思います)
 語り手も友人も片想いの相手も、かなりステロタイプな人格のまま、意外性が感じられなかったのも苦手な理由かもしれないです。終盤で明かされる軌道エレベータの仕掛は、面白いはずなのですが、そこに至るまでの流れに関心がもてていなかったので、驚きもあまり味わえず……という思いです。
 感想会でもお話したことではありますが、単純に僕が読みたい小説から遠かったということでもあると思いますし、実際、感想会では面白かったと仰っていた方も少なくなかったので、読者や媒体が適切であれば、上記のようなことはさして問題ではないのかもしれないと思いました。

07「ムキムキ回転SFおじさん」品川必需

https://school.genron.co.jp/works/sf/2019/students/hitujyuhin/3882/

 ――芸人である真太は、娘の真琴と二人で暮らしながら、SFなキャラ作りの為に段ボールでパワードスーツや軌道エレベーターやタイムマシーンを作っている。しかし真琴はそれを快く思ってはおらず……

 短いのでなんとも感想が書けないのですが、なんとなく物語や親子関係の雰囲気はあるような気がするので、この続きのお話を書いたらちゃんと小説になるような気がしました。とはいえこの分量だとそれくらいしか言えないのですが……(現状書かれていることも、これだけでは面白くない部分も、のちのちの伏線とかで活かされれば面白いのかもしれない、……としか言えないので……)

08「林檎の贋作」天王丸景虎

https://school.genron.co.jp/works/sf/2019/students/10kgtr/4201/

 ――CopyRinと呼ばれる少女が発明した3D原子プリンターによって、「コピー」という概念が大きな更新を迎えた世界の話……

 Twitterにも少し感想を書きましたが、コピーを扱ったお話は世に多く存在していて、この小説内の議論はそういった既存の想像力の範囲から出ていないので、アイデアの段階であと一歩踏み込む必要があると感じました。この設定や登場人物だからこそ生まれる何かが必要だと思います。
 話が破綻してもまずは問題ないと思うので、まずは、無理やりにでも話を展開させ完結まで書くことと、無理やりにでもアイデアを作ることができれば、面白さが生まれる気がしています。


09「ヒカリゴケと人魚」揚羽はな

https://school.genron.co.jp/works/sf/2019/students/yamato2199/4194/

 ――科学的な好奇心と野心、そしてもうひとつの思いを胸に、国際火星研究所附属病院勤務の病理医としてウィルは火星へとやってきた。そして彼は火星のオリンポス・エクスプレスで起きた原因不明の事故の調査に関わることになり……

 コロナの話と、(原発事故などによって)土地を離れざるをえないという話がふたつ重ねられた物語のように読みました。もし人類が火星に移住したら、たぶん火星でもそういう出来事は起こり得るのだろうなあ、ということをぼんやりと考えたりしました。
 専門的な話の続く調査パートは、僕のような知識のない人間にはやや難しかったのですが、例えば『星を継ぐもの』なんかは発端の事件があまりにも奇妙なので、その謎を知りたくて調査パートも面白く読み進んでいたような記憶があります。「ヒカリゴケと人魚」では、火星で起こった謎の事件だから、火星由来の環境や微生物とかが原因なんだろうなあ、と割と想像がついてしまうのが勿体ない気がしました(とはいえ、必ずしもそうした期待を持たせるのがこの小説の本筋というわけでもないかもですね…)。
 遠ざかる火星の大地を眺めているラストの情景は好きです。ただこの情景で描かれていることと、人魚エピソードの着地点とが、なんだか僕のなかでうまく結びつけられなかった印象がありました。
 


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