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「本人の資質が写真には絶対に出てしまう」  夜明け前・審査者紹介③ 鈴木理策

「夜明け前」、3人の審査者の横顔と、審査に臨む気持ちをご紹介します。
三人めは、鈴木理策さんです。

              鈴木理策
写真家。1963年和歌山県生まれ。87年、東京綜合写真専門学校研究科修了。2000年に第25回木村伊兵衛写真賞受賞。主な写真集に『KUMANO』(光琳社出版、1998)、『Atelier of Cézanne』(Nazraeli Press、2013)、『知覚の感光板』(赤々舎、2020)『冬と春』(同、2022)など。

©︎MP Risaka Suzuki

信用装置としての写真が揺らいでいる

 長年写真とかかわってきましたが、いまは「写真とは何か」という根幹が揺らいでいる時代だと感じます。
 以前なら一枚の写真は、撮った人が「そこにいた」ことの絶対的な証拠となりました。また画面に写っているものは、世の中に「たしかにあった」のだと信じることができました。
 写真は一種の信用装置として機能していたわけです。が、もうその考えは通用しなくなってきた。デジタル加工技術や生成AIのようなテクノロジーがこれほど進化してくると、撮る人がそこに行っていなくても、あたかも足を運んだかのような写真はすぐできます。世の中に存在しないもののイメージだって、簡単に生み出せてしまう。
 どれが「加工なし」「加工あり」「AIが作成」なのか、ほとんど見分けもつかなくなってきていますね。

見る側を大いに驚かせてほしい

 いまや撮る人それぞれが、自分にとっていちばんいい考えや方法、機材を選びとって、作品をつくることができる。これは状況としては、おもしろいんじゃないかと思います。
 この変化の激しい時期にできた「夜明け前」は、機材や作品サイズ、枚数などの制限が設けられていないので、一人ひとりが思うままにつくったものを出してくればそれでいいことになっています。
 どんなものが見られるのかまったく予想もつきませんが、とにかくこちらを驚かせる作品を見てみたい気持ちは強くあります。

本人の資質がにじみ出た写真を

 現在は写真の幅が広がって、いろんなことができる時代になっているのはたしか。ただ、そうした動きに乗るかどうか、新しい技術や手法を使うかどうかは各自の自由だし、個別に判断すればいいことなのもまた、言うまでもありません。
 実際に写真家としての自分のことを考えてみれば、作品はずっとフィルムで撮影してきましたし、いまのところはそうした以前からある手法を続けるつもりでいます。
 従来の写真はその特性、つまりカメラという機械を介するがゆえに、筆を用いて絵を描くような「思い通りのイメージ」を手に入れられないことにどう向き合うかが表れていました。何かを目指してやってみるけれど、結果がどうなるかはわからない。そうした写真の性質とうまく折り合いをつけていくことが、おもしろさだったりするんじゃないかとも思います。
 写真との向き合い方や考え方のクセなどを含む本人の資質が、写真には絶対に出てしまいます。そのにじみ出てしまうものを素直に、自信を持ってさらけ出している作品には魅力を感じます。
「夜明け前」で、そうした魅力的な表現が見られることを期待しています。


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