はじめまして:私と書くこと

ブログが続いた試しはないけれど、挑戦してみる。
30代女、育休中。書くことが好きで、書く仕事(新聞記者)に就いたけど、書くのが苦手でいつも悩んでいる。

子供のころ、私は自分が「文章を書くのが得意」だと思っていた。難しい言葉や漢字をぶち込んで作文をつくり、大人をびっくりさせるのが好きだった。中学校では読書感想文がいつも表彰された。ゼミの教授のおぼえもめでたかった。
しかし新卒で入社して配属された支局で、400字の原稿が書けないことに気づいた。800字ほどの長めの原稿は徹夜しても書き上がらず、疲労困憊して放り出した。当然次の仕事にも手がつけられない。悪循環だ。

5年ほど前にまとまった時間ができて、「文章術」みたいな本を手当たり次第に読みあさった。世の文章読本は体言止めとか比喩とかそういうテクニカルな話があふれているが、そういうのはピンとこなかった。あるとき鶴見俊輔の「文章心得帖」を手にして、これだ、と思った。

 文章を書くことは他人に対して自分が何かを言うという、ここで始まるものではない。実は自分自身が何事かを思いつき、考える、その支えになるものが文章であって、文章が自分の考え方をつくる。自分の考えを可能にする。だから、自分にはずみをつけてよく考えさせる文章を書くとすれば、それがいい文章です。
 自分の文章は、自分の思いつきを可能にする。それは自分の文章でなくても、人の書いた文章でも、それを読んでいると思いつき、はずみがついていくるというのはいい文章でしょう。自分の思いつきのもとになる、それが文章の役割だと思います。

「文章心得帖」(ちくま学芸文庫)

書くということは目の前に起きている現象の実体をつかむ作業なのだ。
逃げようとする透明人間に小麦粉をかけて姿を浮かび上がらせて、輪郭を写し取るみたいに。

で、別に鶴見俊輔の本を読んで雷に打たれたように文章がサクサク書けるようになったかというともちろんそんなことはない。勤務先の経営もがたがただからいつまでこの仕事を続けられるのかも分からない。

だけど子供が産まれて心を猛烈に揺さぶられたり、(子供が泣いていない時間は)自由に好きなことを書けるようになったこともあり、また書くことについてじっくり考えてみようと思い、noteをつくってみた。


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