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初note 弟のこと

初めての記事が、このような内容でいいのかとも思うが、書いてみたいと思った。

先日、私のかわいい弟が亡くなった。

生まれつき知的障害を持って生まれた弟。思い返してみると、私は決していい姉ではなかったと思う。

小さいとき、家の前で友達と遊んでいると、母が弟も入れてやってと言った。だってちゃんと何もできないからいやーって言った私。

よーこちゃんの弟はちゃんと喋られないし、へーんな顔と言われるのが嫌で家に決して友達を呼ばなかった私。

心のどこかで、この子さえいなければうちの家族は何も言うことないのにと思っていたのか、その潜在意識で弟が亡くなる夢を何度も見て、そのたびに自分を責め、夢でよかったと泣いた私。

いつも会うと肩を揉んでくれ、後ろから抱きついてきたりして、最初はありがとうーって言うけど何度もしてくると、もういいってやめてって言ってた私。

5歳くらいになっても、弟は赤ちゃんみたいな指の付け根にエクボみたいなのがあって、それがかわいくて好きでいつも弟の手を触っていた私

亡くなってそんな事がぶわっと思い出され、ほんとにごめんねと悲しみと空虚感が押し寄せた。

障害者と暮らすと言うのは、その程度にもよるがその立場でないとわからない事がたくさんある。お世話する方も人間だし、いつも平常心ではいられない。

グループホームにいた弟は週末だけ自宅に帰っていたが父亡き後、独身の兄はほんとに優しくいつも弟に寄り添っていた。

一緒にお風呂に入って頭を洗いっこしたり、毎週山にドライブに連れて行ったり、一緒の布団で寝たり、しかし、ときには声を荒げ叱り、何回も何回も大きな声で同じことを聞いてくる弟にイラついたり

兄と母の悲しみは、結婚して一緒に暮らしていなかった私とは比では無いと思う。

喪主の挨拶で兄は、弟に教えられたことがたくさんあったと言った。それはシンプルだけど笑って明るく生きていくこと。

痛いとも苦しいとも一言も言わず、笑顔だけを残して言った弟。伝えたいことはたくさんあった。

それは大好きだよ…の言葉、生きてるうちにそれを伝えられなくてごめんね。

私は孤独が辛くて、自分は誰からも愛されてないし、必要とされてないんじゃないか、自分がいなくても世界の誰一人、悲しまないし困らないんじゃないか、コロナ騒動の中そんな卑屈な気持ちにもなっていた、でも、今回、あなたを見習って一生懸命生きてみようと思えた。

また、あなたのお姉ちゃんになりたい。今度は優しくなれる私になる。

ありがとうね、ありがとうね、また会おう。

ずっとずっと忘れない




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