#009 公務員時代の同僚の過労死について
書こうか悩んだのですが、以前県庁で働いていた時に、自分が経験したことやその時の環境や心情を振り返ることで、当時のことを見つめ直したいという思いから書くことにしました。
新卒で地元県庁へ入庁・本庁勤務
まずは私が新卒で激務部署に配属されたところから書こうと思います。
新卒で子育て関係の部署に配属となりました。当時は福祉関係の部署の一つで、私が勤めていた県庁では一般的に福祉関係の部署は激務という印象がありました。私が担当することとなった業務の一つは政権交代の影響で制度そのものが変更され法改正の影響やそれに伴う付随業務が膨大にありました。そもそも変更前の制度も理解できていないのに、変更後のことを見据えて業務を進めなければならず、かなり疲弊しました。上級官庁である厚労省からの各種周知や依頼、市町村担当者からの質問などが頻繁にあり、日中はその対応に忙殺されていました。業務時間終了後からやっと事務仕事に取掛れるような日々でした。先を見据えた仕事などできず毎日締切に追われているのが現状だったように思います。そこでは属人化された業務が大半で組織としての協力体制はほとんどなく、自分でスケジュールを管理したり手探りで進めるような環境でした。日々溜まっていく業務や、分からないことを質問されるストレス、責任の重い業務内容に押しつぶされそうでした。
何より同じ目線で自分が抱えている業務の大変さを共有できる人が周りにいなかったので孤独感や心細さ、焦りを感じる毎日でした。
異動・4年目~地方機関勤務
地方機関へ異動となり、本庁勤務の時とは違い当時20代だった自分と近い年齢の職員が何人かいるような環境でした。
また、同じ業務を課内で分担して進めることが多かったり、課内に自分の担当業務の前任者がいるような環境でした。同じ県庁なのにこういった体制が整っている部署もあるのだなぁと新鮮さを感じたことを覚えています。
そこで出会った一人が、入庁して2年目になったばかりの職員さんでした。その方から業務を教えて頂くことが多々ありました。その職員さんは2年目とは思えないくらい業務内容に詳しくて、私が質問した際にはいつでも手を止めて丁寧に答えてくれました。
また、電話が鳴ったらすぐにとったり来庁者の窓口対応にもすぐ駆けつけたり、驚くほどしっかり者で仕事ができ、人当たりもよく優秀な方でした。
日々届く申告書を届いた数に応じて課内のメンバーに振り分けるという仕事を一緒にしていたのですが、いつも自分のことより周りのことを見て気を配る方だったので「今、〇〇さんは□□の業務で忙しいので軽めのを配りましょう。」と難易度に配慮して振り分けていたり、その一方で自分はボリュームのある申告書など大変なほうを引き受けたり、というような優しさと強さを兼ね備えた方でした。
余談ですが、私は異動先の部署でなぜか、とある男性職員に気に入られセクハラを受けていました。ある時、その男性職員と、しっかり者の職員さんと3人で出張に行ったことがありました。セクハラ職員さんはかなり年上でしたが…しっかり者の職員さんに嫉妬していたのか、マウントを取るような人でした。出張先で、しっかり者職員さんが一生懸命仕事をしているところに茶々を入れたり、なぜか私だけを呼び出して、しっかり者の職員さんがいないところで、その仕事ぶりにケチをつけていました。相手を下げることで自分を上げて自分が良く思われたい典型的な人だなと思ったのと、しっかり者の職員さんは理不尽な環境にもよく耐えて頑張っているなと心苦しく思いました。
面と向かって、しっかり者の職員さんを無下に扱う場面もありました。セクハラ職員さんに、なぜか気に入られている私のせいで、しっかり者の職員さんが犠牲になっていることも多かったです。そんな時でも、しっかり者の職員さんは「これも社会勉強なので。」という言葉を口にするような本当に人間ができている方でした。
悔やんでも悔やみきれないこと
私は(いろいろあり)5年目で県庁を辞めて転職しました。
私が退職する日、私が前に所属していた部署だったからと「異動希望に某子育て関係の部署を書いてみたんです。」と教えてくれました。翌年度からの配属は私が配属された子育て関係の部署ではなかったのですが激務な福祉関係の部門に異動することになっていました。
それから数年経ち、私が転職先で働いていた頃、県庁時代に仲良くしてもらっていた同期と会いました。その同期がしっかり者の職員さんが過労自殺したことを教えてくれました。
それを聞いた時は頭が真っ白になり、本当に自分から命を絶ったのかどうか半信半疑で受け入れられない自分と、そうなるくらいの何があったんだろうという漠然とした不安におそわれる自分がいました。
後から当時のことを調べてみると、それなりに責任が重くボリュームが多い業務の主担当でした。制度変更があり運営の責任主体が県に移ったばかりの軌道に乗っていない、手探りで進めなければならないような業務、他県では複数人で協力している業務を一人で担当していたようでした。
過労自殺に至る、ひと月前には倒れて救急搬送ののち入院もされていたようでした。そんな中でも、自分が仕事に穴をあけたことを心配されていたとのことでした。
まともな判断ができないくらい精神的にも身体的にも追い詰められていたことが明白な内容でした。そして倒れるまで何の対処もなされなかったことに加え、復帰してからもフォロー体制がなされていなかったように見受けられ愕然としました。
私が今もすごく後悔していることは、自分が転職を考えるくらいに、あの部署で経験した大変なことや辛いこと、理不尽な思いをしたことをしっかり者の職員さんに事前にありのままに話しておけば良かったことです。
当時は、しっかり者の職員さんだから、自分とは違って、きっと大丈夫だと思ったことと、未来ある若者を失望させるようなことは伝えてはいけないような気がしていたことから、話すことができませんでした。
しかし、その考えが間違いでした。むしろ、そういうお人柄の方だったからこそ正直に話して心構えを持ってもらったほうが良かったと今では思っています。
それと、そもそも自分に出会わなければ、しっかり者の職員さんが、私が当初配属された子育て関係の部署に興味を持つこともなかったのではないか、そして異動希望にその部署を書くこともなかったのではないか、その結果、福祉関係の激務な部署に異動することもなかったのではないかとも思っています。
……あの時、連絡を取っていたらと後悔することがあります。……
以前、転職先で中途採用の募集をしていました。真っ当な業績評価がなされ勤務時間の管理がきちんとされていて助け合いながら仕事ができて、マネジメント能力に優れた上司もいるところ。
上司がミーティングの度に何回か「周りに、知り合いで、良い人がいたら紹介してみてね。」と話していました。
真っ先に、しっかり者の職員さんのことが思い浮かんでいたのに…
きっと県庁で順風満帆にキャリアを積んでいる、水を差してはいけない、自分からの連絡なんて迷惑だろうという気持ちがあって連絡をとろうともしませんでした。
しかし、その一方で、頑張り屋さんで責任感が強く、自分より周りのことをよく見ていて、自分が負担の多いほうを引き受ける強さを持っている方だったから、無理していないかな、属人化された職場で本来なら若手が抱えなくても良い業務まで一人で抱えていないかなという気持ちもありました。
それなのに連絡できなかった自分の勇気のなさを猛省しています。
私が転職先で出会ったある若手社員Tさんは大学生向け会社説明会の担当をしていました。
とある新卒入社の方は「ここに入社するきっかけをつくってくれたのはTさんです。Tさんは会社の良いところだけでなく実際に働いているからこそ見えてくることも語ってくれました」と話していました。
Tさんは入社してからギャップを感じないように率直に話すことを心がけていたようでした。
それを聞いた時、はっと気づかされ、もう同じ後悔をしないために自分のお手本にしています。
今の自分にできることは、相手に心構えを持ってもらうだけで変わることもあると思うので、大変なことや辛いこと、理不尽な思いをしたことは正直に率直に話して伝えることだと思っています。
まだ模索中ですが、自分の経験を活かして自分ができることを見つけていきたいです。ゆくゆくは同じような境遇になった誰かの、相談先の一人になれたら良いなと思っています。
最後になりますが、もしも許されるのなら、お線香をあげさせていただきたいです。そして、その激務部署に異動するきっかけをつくってしまったことが自分だということのお詫びと、2年間同職し、しっかり者の職員さんの働きぶりやお人柄を見てきて、本当に素晴らしい方だったことをご親族の方々にお伝えしたいなとも思っています。
一方的で恐縮ですが私はしっかり者の職員さんと出会えたことに感謝しています
しっかり者の職員さんから学んだことがたくさんあるのでこれからの人生で、何かしらの形で貢献したいと思います
心よりご冥福をお祈りいたします
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