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初めての座禅 瞑想どころじゃなかった話 

初めて座禅をやってみた経験談と、それを元に「仏教の宗派は色々あるけど何が違う?」という話を書きます。

先日、座禅に行ってきました。
毎月1回そのお寺で座禅会があって、
私が行ったときは参加者30名ほど。

感想 とにかくビビった

ビビリポイント① 厳しい和尚さん

時間に遅れてきたり早退しようとする人を呼び止め、「遅れてきたら説明聞けへんし、途中で帰ると他の人が気散るやろ!」と一喝。

外国人観光客に対しても「あんたら、時間をきっちり守る日本人を真似せなあかん」とピシャリ。そもそも日本語が通じているかは別として。

厳しい和尚さんにビビりました。

ビビリポイント② タイツ

上述の和尚さんが座禅の説明をしてくれるのですが、「靴下は脱いどいてや〜」と。

やばい、私タイツ履いてきちゃった・・・
バレませんように。

よりによって坐禅会にタイツを履いてくる私。ダメすぎる。

ビビリポイント③ 棒

修行者の肩を打つ棒を警策(けいさく)と呼ぶそうです。心が乱れたり居眠りしていると、これでパンッと打たれます。ただし、急に打たれるのではなく、希望する人だけです。
そんな説明の後、「どんな感じかやってみるから、協力してくれるか?」と1番前の男性に声をかける和尚さん。

静かな空間に「パンッパンッパンッ」

え・・・痛そう・・・

約30分の座禅をを2回(途中休憩あり)行います。実際に始まってみると、厳しい和尚さんではなく、お弟子さん(?)が打つ役で、幾分優しめな音でした。

それでも、私は全然集中できず、
「次は誰やろ?」とか
「あの人2回目やん!」とか
周囲のことばかり気になっていました。
ついつい人間観察をしてしまう私は、
邪念ばかり湧いてきて瞑想どころじゃない。

修行がない?

ところで、
私は浄土真宗のお坊さんですが、
浄土真宗には修行がありません。
早朝に起きて、掃除して、座禅して・・・
みたいな修行をしないのです。

「修行もしていないのに、お坊さんになって良いのだろうか」と後ろめたさを感じることもあります。

上述の和尚さん曰く、
修行僧は毎日3時間ほど、修行期間中は1日12時間ほど座禅をされるそうです。
「すごい!」としか言えません。

座禅をやってみたのは、修行の世界を少しでも覗いてみたかったから。
修行したことがない私にとって、修行の世界はとても過酷でした。

大きく2つ

日本仏教には様々な宗派があります。
同じ仏教でも全然違う。大きく「聖道門」と「浄土門」に分けられます。

聖道門

自ら厳しい修行をして、覚りを目指す。
修行に耐えられる聖者のための教え。
天台宗・曹洞宗・臨済宗・真言宗などがこれにあたります。

浄土門

他力(阿弥陀如来)に頼って、仏になる。
修行に耐えられない凡夫(ぼんぶ)のための教え。
浄土真宗はこれにあたります。

私が経験した座禅は、修行のほんの一部です。それでも、自力修行の大変さを知れば知るほど、「他力」の有難さを実感します。

自分で努力(修行)せずに極楽浄土へ行って往生する。ただの怠け者としか言えないように思えます。けれど、そんな「私」でも阿弥陀さまに助けてもらえる。とにかく、すべて阿弥陀さまに頼っちゃおう!
浄土真宗は、そういう教えです。

最後に『歎異鈔』の一節をご紹介します。

弥陀の誓願不思議にたすけられまゐらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏申さんとおもひたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり。弥陀の本願には、老少・善悪のひとをえらばれず、ただ信心を要とすとしるべし。そのゆゑは、罪悪深重・煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にまします。

『歎異鈔』


いかがだったでしょうか。
初めての座禅で感じたことと
同じ仏教でも全然違うよ!というお話でした。

仏教を開いたお釈迦さまは
「八万四千の法門」といって、
仏になるために色んな方法があることを説かれました。「どれが良くて、どれが悪い」とかではありません。
修行に耐えられる人は聖道門、
私は無理ですって人は浄土門。
自分にとってピッタリの方法を探せば良いのです。

最後までお読みいただきありがとうございました。
素敵な1日をお過ごしください。




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