ハロウィン
カルディの店先が黒とオレンジに染まる。おばけの模様のチョコポップ、ドラキュラやゾンビのデザインのクッキー。そこら中のパッケージにはジャックオーランタンがにやりと口角を上げている。明日はハロウィンだ。
賑やかな流れにつられて、オレンジ色の大きなキャンディを手に取る。子どもの頃は、人の顔くらいの大きさの棒付きキャンディを一日中なめているのが憧れだった。勢いで取ってしまったから籠に入れるしかなくて、恥ずかしいから隣にあったファミリーパックのクッキーも突っ込む。
会計をしながら、どうしようと考える。一人暮らしだし、こんなにたくさんは食べられない。クッキーのほうは職場にでも持っていくか。でも飴は、大きすぎて食べる時間がなさそう。レシートを確認すると、数十個入りのクッキーと一本の飴が同じ値段で溜め息が出た。
「原先生、おはようございます」
「おはようございます」
三上先生はいつもどおり、誰よりも早く国語科研究室に座っていた。私の大きなリュックの中で、クッキーがカサカサと鳴る。ハロウィンごときで浮かれて、と思われるだろうか。
「あの、三上先生」
「何でしょう」
「今日はハロウィンですね」
おそるおそる、話題を振る。話が続きそうなら先生方に配るつもりだった。
「ああ、原先生はこの学校のハロウィンは初めてでしたね」
「え?」
三上先生の机の下から、大きな荷物が現れる。
「宜しければ、お貸ししますよ」
ハロウィンって、小さい子が仮装して、お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ、なんて可愛らしく言って、大人は優しく微笑んでキャンディをあげるものだと思っていた。
「じゃあそこのドラキュラさん、教科書を読みなさい」
「いやミイラ男怖すぎじゃない?超似合ってる」
「化け猫さん、お菓子は休み時間に食べなさい」
「せんせー、私たち今幼稚園児だから勉強しなくてもいーい?」
「だめです。黙って解きなさい」
いつもは紺の制服に身を包む生徒たちが、今日は色とりどりに仮装している。しかもなかなかのクオリティだ。女の子たちの傷メイクは貧血をおこしそうなほどリアルに施されている。
ざわざわと煩い高校生を、目を細めて眺める。私が言うのもなんだが、数学なんかより、よっぽど楽しそうだ。
「原先生さ、口調まで似せてきてるでしょ。実は一番ノリノリじゃんね」
かくいう私の格好は、三上先生の持っていたミニスカポリスである。偽物の警棒で黒板を示す。
「この問題は次回までにやっておいてください。忘れた人は…」
少し間をおいて、にやっと笑って言う。左手には手錠のレプリカ。
「逮捕します」
そこでちょうどチャイムが鳴って、授業が終わる。正式に教員になって半年以上、授業時間はだいぶ掴めてきた。ただ今日は授業終わりの挨拶が無いらしい。
「先生似合うー」
「楽しみすぎ、可愛い」
「格好いいよー」
満面の笑顔の生徒たちが駆け寄ってくる。それから、声を揃えて言う。
「トリック・オア・トリート!」
私の持ってきたファミリーパックのクッキーはあっという間に売り切れてしまった。
三上先生は魔女の格好をしていた。彼女は確かふたりのお子さんがいらしたはずだが、古い箒に跨って廊下を歩いてみせる背中は誰よりもはしゃいでいた。私が衣装を洗って返すと言ったが、スカートが短すぎるからとプレゼントされた。
帰り道、大きなリュックに衣装を詰めて歩く。騒がしい一日だった。普段大人しい女子生徒が誰よりもグロいメイクをしていた。ふざけ担当の男子生徒に真っ黒のタキシードがぴしっと似合っていた。みんな、笑顔だった。それから、私も。
どうせ無宗教だし、イベントごとは子どもたちのお楽しみだと思っていた。大人になったら、はしゃいではいけないと思っていたのに。
重たいリュックの中から大きなオレンジ色の棒付きキャンディを取り出して舐める。真っ暗な夜の道で、それはランタンみたいに明るく光っている。
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