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深夜の独り言 51

島崎藤村の初恋では、夏に始まった恋がそろそろ実るはずですが、いかがでしょうか。林檎畑に細道ができるほど健気な恋って、なんて素敵なのでしょうね。あの詩は起承転結のお手本みたいだという点でも魅力的です。

最近、またお話を書きたいという気持ちが高まっています。すんなりと作ることはできないのですが、「書き出し」をたくさん思いつく日、「意外な展開」を思いつく日、「余韻のある終わり」を思いつく日など、何日かに分けてじっくり書いています。なんにもない日常も大好きですが、一見なんにもない日常のようなのに「狂気」が滲んでくるようなお話が最近は好みです。愛と狂気は密接な関わりがあると思っています。

この間大学の課題で、鏡はどうして左右が逆さまに映って上下はそのままなのか、自分なりに説明をせよというものがありました。まあ答えはググればすぐわかります。ググらなくても自分で図を書けば簡単だと思います。本当は左右も逆さまではないんですよね。要は思い込みなんです。勝手に裏から覗く自分を想像してしまうだけ。

狂う、というのはそこからくるのではないか、と思います。愛されていないんじゃないかという思い込みは、勝手にそこに自分を置いてしまうから生まれるんです。自分なら愛する人にこうするのに。この人はそうではないから、愛していないのかもしれない。そうしてそれが積み重なって狂っていく。狂気、の仕組みはとても興味深いものがあります。

案外、物事をそのままに見つめることが一番難しいと、私は最近そう思います。相手の言葉を意味通りに受け取る。行動を深読みしない。常に裏側を探ってしまう人には難しいことです。でも、裏側を読みすぎないほうが幸せなこともあります。意外とみんな、単純なのかもしれません。

いろんな読み方ができる名作ももちろんあります。初恋も、「恋の盃」のあたりなんかはいろいろ想像できます。想像を膨らませたほうがおもしろいことと、そうでないことがありますね。真意は本人しか知りません。

本人にも、わからないかもしれません。

よいものを生み出すときはみんな、正気じゃないもの。


狂う夜の、




深夜の独り言。

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