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告白 5

※単体のお話です

 ボールの音が響く。きゅきゅっと、あちこちでバッシュも鳴る。放課後の体育館は賑やかで、暑苦しくて、どきどきする。独特の匂いがして、胸が高鳴る。

「やなー、こっち手伝ってー」

「はい!」

 松井まつい先輩が、ボール籠とタイマーを抱えて動けなくなっていた。俺は走り寄ってタイマーを持ち上げる。

「ありがと」

「なんでこんなの、一人で運ぼうとするんですか。明らかに無理でしょ」

「やなに手伝ってもらおうと思って」

 ポニーテールを傾けて、松井先輩は笑った。三時間走り尽くしたあとなのに、それを感じさせない、眩しい笑顔だった。

 女バスと男バスは、いつもは別々に練習をしているけれど、金曜の午後練だけは合同だった。外部コーチが来て、練習を見てくれるからだ。めちゃくちゃに厳しくて、何度も怒られるけれど、女子に格好悪いところを見せたくなくて絶対にくたばれない。金曜日は地獄の練習だった。それなのに、なぜか女子のほうが飄々ひょうひょうと走っていたりする。

「まあ、普段から走り込みしてるし。力で勝てないぶん、体力でついていくしかないっていうか」

 松井先輩はさらっと言う。そんなこと言うけれど、技術だってある。先輩のスリーポイントシュートは本当に綺麗だ。昔からそうだ。先輩とか後輩とかわからなかったミニバスの頃から、先輩のボールはゴールに真っ直ぐ吸い込まれるみたいな放物線を描く。

 憧れなんだ。昔から、ずっと。

「高校は中学までとは違うんだよ。なめてちゃだめだぞ、少年。もっと走れ」

「俺、もう先輩よりうんと背の高い男ですよ。少年じゃなくて男性です」

「まあね。でっかくなりやがって」

 ポニーテールがまた揺れる。中学生にあがったときに、さえちゃんから松井先輩に呼び名を変えた。敬語も使うようになった。背を抜かしたのは先輩が高校受験を終えたころだ。今ではもう、すっかり頭ひとつ分以上の差がある。小さいから簡単に止められるかというとそうではない。ドライブが速くて足がもつれる。

「ね、じゃんけんしようよ」

 倉庫にたどり着いて、女子用の六号のボールと、男子用の七号のボールを仕分けながら、松井先輩は言った。

「じゃんけん? 急に何ですか」

「勝ったほうはご褒美ね。本音を言える権利を与える」

「本音って?」

「何でもいい。ずっと言えずにいたことを言うの。それで言われたほうは、真剣に向き合う」

 松井先輩はいつも、さらっと普通じゃないことを言う。ずっと言えずにいたこと。松井先輩にもあるんだろうか。

「ほら、早くやろ。じゃーんけーん、ぽん」

 咄嗟に出したのはグー。先輩はピースを作って、ふう、と息を吐いた。

「やなの勝ちね」

 勝ったほうはご褒美。ずっと言えずにいたことを言える。言われたほうは、真剣に向き合う。俺は。

「松井先輩」

「うん」

「俺と、ワンオンワンしてください」

 敵わないのはわかっている。春の大会が終わって上級生が引退したら、松井先輩が女バスのキャプテンになるらしい。うちのバスケ部はそれなりに強くて人数も多い。特に女子は、男子に混ざって練習しても全く劣らないレベルには強い。その、キャプテンだ。俺だって頑張ってきたほうだが、このひとには敵わない。

「いいよ。金曜の午後練のあとなのに、ハードなこと言うね」

 白い歯を見せて、笑った。狭い体育倉庫は暑苦しくて、胸がどきどきした。

 松井先輩は、まず最初の一本ドライブで抜いた。ディフェンスが甘い、攻撃だけじゃやっていけない、フットワークが重い。舌を噛みそうになるくらい俺にだめ出しをしながら、ファウルをしかけた俺の手を避けてダブルクラッチで決めた。空中でボールを持ち替えるダブルクラッチは、練習ではそれなりに成功するけれど、実際にディフェンスのいる空間で決められるのは本当に格好良いと思う。次の一本はフリースローラインからのミドル。俺はドライブを警戒して腰を深く下げていたので、速すぎるシュートモーションに対応できずに決められてしまった。次はゴールの裏を回ってバックシュート。その次はドリブルを一つもつかずにスリーポイント。松井先輩は一度もシュートを外さなかった。

 俺は、ゴール下にねじ込めば身長差で勝てると思ってドライブで切り込んだが、ゴール下にたどり着く前にいつもカットされた。ついに一本も取れなかった。

「やなはさ、わかりやすいんだよね」

 俺はふてくされて、項垂うなだれていた。正直ここまで圧倒的だとは思わなかった。もう足が一步も動かなかった。もう夜になった静かな体育館。窓から冷たい風が吹いて、びしょびしょの髪に当たる。松井先輩がスポーツドリンクを手渡してくれて、それをごくごくと飲む。

「何がしたいのか、わかりやすすぎる。普段はそれでもいいけど、バスケじゃ命取り。目でもフェイクを入れなさい」

「…一緒に、やってきたつもりだったんだけどなあ」

「え?」

「ずっと一緒にやってきたのに、どこでこんなに差がついたんですかね」

 きゅっきゅっと、松井先輩のバッシュの音が響く。

 スポーツは残酷だ。向き不向きがあるし、すぐ近くに天才がいるし。このひとは本当に格好良い。憧れなんだ、昔から。

 ばしっと何かで頭を叩かれる。髪の毛から水滴が散る。ノートと鉛筆を転がされる。松井先輩は俺の目の前にあぐらをかいて座ると、ノートを広げた。

「諦めてないで、早くさっき言われたことメモして」

「え、はい」

 ディフェンス。目線につられすぎ、フットワーク、相手がシュートを構えたら焦って飛ばずに腕をあげて牽制けんせい。オフェンス。ドライブのスピード、フェイクが少ない、シュートモーションが遅い。

「差なんてないよ。そんなの、感じないで」

 ぽつりと、松井先輩が言った。

「こういうの、わたしも今までずっとやってきたから。一緒だよ」

 おでこがこつんとぶつかった。囁くような声に、胸が高鳴る。体育館はもうすっかり冷めていて、音もなく、ただ松井先輩の声だけが響く。それなのに、いつもよりずっとどきどきする。

「松井先輩の本音は、何だったんですか」

 同じくらい小さい声で、聞いてみる。いつも余裕そうにしているこのひとの本音を聞きたいと思った。

「言える雰囲気じゃ、ないんだけどな」

 松井先輩は困ったようにくすりと笑った。教えて下さいよと、囁く。仕方ないなとため息をついて、先輩が話す。

「先輩とか、レベルとか、そういうの気にして壁がある気がして。わたしはやなと対等でいたいし、同じ目線でいたい。好きだから」

 ふう、と息を吐く。

「やなのこと、一人の男性として好きだから、尊敬されるの、ちょっと嫌。早くあがってきて」

 松井先輩はいつも、さらっと大事なことを言う。ノートを覗き込んでいた顔を離して、伸びをしてからまた笑った。少し疲れたような、でもやっぱり眩しい笑顔。

「やな、わかりやすいからさ。わたしのこと、ずっと憧れてるでしょう。憧れすぎて、女性として見てくれないんだもん」

 そんなことはなかった。女性としても、ずっと憧れだった。でも、俺じゃ釣り合わないと思って諦めた。やな、と呼ばれるだけでときめくのを必死で抑えた。本当は俺だって、さえちゃん、と昔のように呼びたかった。そのためには。

「早くあがってきて。わたしが引退する前にね」

「はい!」

 まずは一本止められるように。ノートをぱたんと閉じて、立ち上がる。よろよろと体育館を片付ける。それから、一本取れるように。対等になるまでの道のりは長い。

「ありがとうございました!」

 並んで体育館に頭を下げて、家へ帰る。近所だから金曜はいつも一緒に帰っているけれど、今日はすごく緊張した。頭ひとつ分小さい彼女のつむじに向かって、俺、頑張るよ、と呟く。彼女が上を向いて、目が合う。いつも以上に眩しい笑顔を見て、俺は真面目な顔をして力強く頷いた。

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