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深夜の独り言 26

6月はお友だちと会う予定がたくさんあります。私がお友だちと会うときは必ずふたり、なので、土日にひとりずつ会う予定を立てたら、週末がほとんど埋まってしまいました。家にひとりでいると考えてしまう嫌なことを紛らわすために動き回っています。

ひとりは寂しいと、心から思います。他人と完全にわかり合うことなんてできないのに、どこかで期待しています。どんなに近くても他人なのに、まるで自分の一部のように錯覚してしまうことがあります。

最近、以前と比べてうまくひとと会話ができません。言葉を発する前に、一拍、考えてしまいます。大好きなひとにはどんなくだらないことでも知っていてほしいと思うのに、こんな小さなことを聞いてもつまらないのではないかと躊躇してしまいます。

自分が大切にされている、という、自信がなくなっているのかもしれません。

お友だち、という言葉がしっくりくるようなひとを、私は本当に少ししか知りません。だからこそ、そのお友だちのことはとても大切に思っているし、何をしても一緒にいれば大切な時間です。気持ちには波がありますが、涙が出るくらい会いたくなることもあります。数人しかいないけれど、心から尊敬できる自慢のお友だちがいることは、とても誇りに思っています。

私が相手を大切に思っているぶんだけ、相手も私を大切に思ってくれていると、私は思い込んでいました。完全にわかり合えるはずなんてないのに、きっとなんでも理解してくれると甘えていました。そんな恥ずかしい自分に気が付いて、情けなく思っています。それが当たり前のことではないと思い直して、うまく話せなくなっているような気がしています。

それでも、ひとりひとりと会えることが楽しみで、そんな予定が入っていることが、毎日の活力になっています。もしかしたら、うまく話せなくてもいいのかもしれません。何をしても一緒にいれば大切な時間です。ふたりで黙っていても、それはそれで、心地良いかもしれません。

彼らがいるから、私は完全にはひとりではないと思うことができます。ひとりは寂しい。大好きなひととふたりでいたい。でも、完全にふたり、にもなれない。私たちはときどきふたりになって、ひとりになって、またふたりになって、生きていくのでしょう。

すぐに見失いそうになるから、書いておこう。彼らは彼らなりに私を大切にしてくれるし、私も私なりに、彼らを大切にしていく。

こんな状況下で、特にどこに行けるわけでもありませんが、ただ「会える」というだけで生きる希望になるような、お友だちがいることを嬉しく思います。いつもありがとう。

全く関係ないのですが、これでぴったり200投稿目だそうです。やったね!


友情を噛みしめる夜に、



深夜の独り言。

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