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朝に思う

 似てる、と思った。

 ゆるく巻かれた茶髪、大きな黒目、きゅっとあがった猫目の目尻。

 考えすぎだ、と首を振る。マスクをしているし、こんなひとはこの世界にたくさんいるに決まっている。考えすぎだ。

 ワイシャツの中から金色のネックレスを覗かせたその女子高生は学生鞄を肩にかけて電車を降りて行った。ホームのベンチに腰掛ける女性と、ふと目が合う。

 電車が動き出す。昨日通った景色を逆再生するように遡っていく。晴れやかな朝。慌ただしい世間の上で、ゆったりと雲は動いている。お腹の奥の奥が疼く。

 がたん、がたんと揺れながら、左手でお腹を押さえる。右手に掴んだ吊り革が激しく前後に揺れた。

『えー、こういう子がタイプなの?』

 無邪気を装って尋ねると、晴樹は気まずそうな顔をして目を逸らした。

『友だちが置いてったんだよ。俺んじゃない』

 その言葉はたぶん、本当だ。晴樹は嘘はつかない。だから、答えないということが答えなんだろう。グラビア雑誌の表紙で真っ直ぐこちらを見つめる女の子に、わたしは全く似ていなかった。そんなことを気にしても仕方がないのに。

 わたしたちはきっと、うまくいっている。それだけでじゅうぶんなはずだ。

 前に座ったおじさんが新聞紙を広げた。経済がなんとか、日本がなんとか、世の中は難しいことで満ち溢れている。難しいね。親しい人ひとりの気持ちさえ、こんなにも難しい。

 お腹の奥の奥で、電車の揺れが響く。朝の清々しい空気の中で、わたしだけが重たい夜を引きずっているみたいだ。肩を押さえる腕が、わたしを呼ぶ声が、全部重たく沈み込んでくる。わたしは目を瞑る。目を瞑った瞬間、晴樹がキスを落とす。ずん、と、力がこもる。

 晴樹がわたしを押さえつけるその力で、わたしだって彼に寄りかかりたいというのに。

 おじさんが新聞紙を丁寧に畳んだ。折り目どおりに小さくなったそれを見て、ふっとため息をつく。

 動く箱の中から眺める朝の空は透き通って、生き生きとした雲が浮かんでいる。雲はゆったりと、風に押されるまま流れていく。わたしの心もこんなふうに、いつだって穏やかに晴れていたい。

 晴樹からの、たった一言のライン。同じ言葉を文字にして、送る前にそっと呟く。全く同じ言葉でも、意味は少しずつ違うかもしれない。まあ、でも、いいだろう。わたしはわたしの思う愛を、晴樹は晴樹の思う愛を。お互いに向けているうちは、どうしたって一緒にいるしかないのだから。

 電車がまた大きく揺れた。とくん、とくんと心も揺れた。悩みも、迷いも、すれ違いも絶えないこの世界で、わたしたちは愛を歌う。互いを思う。

 爽やかで明るくて、ほんの少し汚い、いつもどおりの朝に。

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