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深夜の独り言 48

小学四年生に「授業の邪魔をするなら帰れ!」とものすごい剣幕で怒鳴って泣かせた今日、その一瞬あとにはにこっとしてクラスの他の子どもに「ごめんね、楽しく授業しようね」と声をかけて、心の中では(泣きたいのは私もだよ)と思っていました。怒りたくなんてない、うるさく騒ぐ子どもは騒がせておけばいい、いつか自分で気付くだろうというのは私だけの考えで、他の生徒の邪魔になるくらいうるさいのはやっぱりちゃんと叱ってやらなきゃいけないらしい。小学四年生にもなって「はい」と返事ができない甘やかされたクソガキの気持ちなんて私にはわからないし、クソガキにだって、小さな頃から周りの大人の顔色をうかがう癖のついた私みたいな人の気持ちなんてわからないのでしょう。それはもう、いつまで経っても、わからないのでしょう。

自分のやりたいことは何なのかと、周りのお友だちが真剣に悩んでいます。そういう時期なんです。私は教師になる。クソガキの気持ちを想像したいとも思わない理不尽な大人になりつつある私が、教師になる。言いたいことを言えずに飲み込んできた自分が偉くて、自分のわがままだけを通そうとするクソガキは間違っていると、決めつけている私が。

中学生に対してはまだあまり思わないけれど、小学生に対してはやっぱり、私は絶対的に大人で向こうは子どもだと思います。目線も、喋り方も、なんだか全く異なります。こういう、心の通じ合わない瞬間はこれから先たくさんあるのでしょう。

「僕だけが怒られるのはおかしい」と泣きながら主張したクソガキは、自分が休んだ日にどれだけスムーズに授業が進むかを知らない。自分で周りの子にちょっかいを出したりカンニングをしたり答えを改ざんしたりしているのを、全くバレていないと思いこんで堂々と嘘をつく。もう少なくとも今までに十回は「〇〇はやってないんだよね、先生信じてるよ、でも疑われること自体やめようね」と声をかけた、それでも直らなかったからついにフロア中に響き渡るような大声で殴り殺すような剣幕で怒鳴られたと、そういった経緯をわかっていない。

私はもう大人だから、いろんなことが見えます。子どもには見えていません。それをどうやって見せるか。客観的な評価のできないつけ上がったクソガキと、どうやって会話をしていくか。難しい問題です。私にはまだわかりません。できる限りの低い太い声で、怖い顔をして怒鳴りつけるしか、やり方がわかりません。でも、探していかなくてはならない。なめられないために、時にはパフォーマンスとしての「叱る」があってもよいでしょう。ただ、そのあとに「ほんとうの会話」をしなくてはならない。自分が間違っていたことに「気付く」ための「ほんとうの会話」。

探しています。いい教師で、いい大人であるために必要なことを。それはいったいなんなのでしょう。

私にも手に入るものでしょうか。どうしたら、手に入るのでしょうか。



探している夜に、




深夜の独り言。

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