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深夜の独り言 18

耳掻きをしすぎて、よく耳が聞こえにくくなります。決まって左耳です。たいした問題はありません、左側に座る生徒に、もう一回言って、と何度も言ってしまう以外には。

感情がぐるぐると回って、不思議な気持ちです。幸せを感じたり、怒りを感じたり、面倒くさくて全部投げ出したくなったり、これ以上ないほどに楽しかったりします。こういうのを平和と言うんでしょうか。

期末試験と期末レポートがどんどん追いかけて、通り過ぎていきます。授業の一貫で受けなくてはいけないTOEFL ITPはオンライン受験になるそうで、その準備が面倒くさそうです。機械音痴で準備ができないので受けられませんでした、とかって通用するかな。まともな点数を取れないと落単どころでなく来年の授業の履修資格まで失うそうです。きっつい。

一年生が終わろうとしています。

一年生、て素敵な響きですよね。各一年生時代、新しいことにわくわくして、だんだん慣れてきて、自分の居場所を見つけて少しずつ態度が緩んでいくまでの一連の流れが私は大好きです。

今年は何にもなかったなあ。結局サークルもないし。大学には、入試と、健康診断の二回だけ行きました。きっと来年もこんなんだろうなあ。

寂しいけれど、まあしょうがないか、なんて思います。オンライン、辛いことのほうが多いけど、朝起きなくていいのとバイト極限まで詰められるところはありがたい。

見たくないものは見なければいいと、私は思います。聞きたくないなら聞かなければいい。嫌なものは知らんぷりです。ずっと、そうしてきました。

例えば、書きやすいボールペンのデザイン性とか、友だちの悪い癖とか、対面授業がないせいで失われたいろんな機会とか、自分への陰口とか。別に陰口を聞いたことなんてないですけど、そういうのはきっと陰で言うんですもんね。もしかしたらあるのかもしれないけれど、全く聞こえてきませんね。

嫌なものに向き合え、というのももちろんわかります。中学生のときの部活動、私は体力がなくて、よく貧血を起こしていました。でも貧血で倒れてしまえばすごく楽だった。気持ち悪いけれど、遅いのに走り続けるほうが精神的に辛かった。そのうちに、座り込む程度の貧血なら走らされるようになりました。走ってりゃ血も回るだろ、なんて、割と本当のことで、でもすごく辛かった。私はバスケがうまくなりたかったから、走るのが苦手な自分と向き合って必死に走りました。

何かを成し遂げたいなら、頑張ったほうがいいんじゃないかな。でも別に、そうじゃないところで頑張る必要はないよね。私は日常生活で、いろんなものに聞こえないふりをして生きています。幸せや楽しいことはめいっぱい謳歌して、怒りや悲しみは知らんぷりです。知らんぷりをするのにも力を使いますから、そういうのが、うまくバランスを保てているのを平和と言うんじゃないでしょうか。

大学はちゃんと卒業したいので、面倒くさいけれどレポートの締め切りくらいは、できればちゃんと守りたいです。ということで、しばらくお休みです。これまでストックで粘ってきましたが、ちょっと限界でした。また、少ししたら戻ってきます。二週間くらいかと思われます。読むほうもゆっくり、回らせてください。

それにしても、左耳、いつも二日くらいで治るのに今回は一週間くらい治っていません。リスニングはイヤフォンで聴くから、そこはオンラインで良かったかも。耳鼻科に行くと耳掻きするなと怒られるので嫌なんですけど…。それは聞こえないふり、しちゃだめだったんですかね。

聞こえない夜に、


深夜の独り言。

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