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ブルーハワイ

 腰掛けた道路脇の段差は苔生していて、ところどころぬめっとしている。薄い布を隔ててお尻がひんやりと冷たい。下駄からすっと右足を出して、指を精一杯開いてみる。お母さん指とお父さん指の間がひりひり痛む。ちょっぴり砂っぽくて、汗ばんで、鼻緒の当たる足の甲はところどころ擦り切れている。

 お祭りの夜は、なんだかいつもより暗い気がする。提灯や屋台の橙色の灯りが、星や月の光を隠してしまう。闇の輪郭がはっきりと際立って見えるのだ。

 ざく、ざく、ざく。半分以上溶けてしまったかき氷を、それでもまだ掻き混ぜ続ける。

「お、アヤメじゃん。何してんの」

「かき氷いいねー」

「浴衣超似合ってる、可愛い」

 頭上を行く友だちが、口々に声をかけてくれる。知り合いだらけの地元のお祭り。入口にほど近い道端で座り込んでひとりかき氷を混ぜるあたし。

「アヤメ、水飴食べる?」

 低い声に顔を上げると、長い前髪をちょんまげみたいに結んだリッくんがいた。

「くれるの?」

「おう。じゃんけん勝っちゃって、余ってんだ」

 誇らしげに胸を張るリッくんの横で、カズヤとマサキが小突く。

「嘘だぁ。リッくん、3回ともアイコだったじゃん」

「負けよりアイコのほうがもらえる数少ないんだぜ。だっせえの」

「うるせえよ、ほら」

 リッくんは乱雑に鼻をこすって、そっぽを向く。右手で透明の焼きそばを入れる容器に入った3つの水飴を差し出した。

「ありがと、貰っとく」

 蜜柑がごろごろ入ったやつを取り出して、ちょっと笑う。リッくんは橙色に照らされて、いつも黄色い顔が真っ赤になっていた。

 ひゅーひゅー、とカズヤとマサキが言う。通りすがりの先輩たちが、かわいー、なんて言っている。リッくんはまたなと言って、ふたりを連れて去っていく。

 仕方がないからかき氷を横に置く。あたしの持っていたピンクのかき氷が、隣にある青いかき氷と並ぶ。青い方はほとんど手つかずのまま、ただべったりと溶けている。

 つやつや輝く透明の飴。パリパリ、と最中が割れる。水飴はねっとりと、蜜柑はじゅわっと、歯にこびりつく。だるいくらいに甘い、お祭りの味。

 ねちゃねちゃと頬張る。噛み切れなくて、糸を引く。新しい浴衣の胸元に垂れてべたつく。残った割り箸をぺろりと舐める。

 やり場がなくて、割り箸をかき氷に突っ込んだ。短いけれど、氷は半分しか入ってないから平気だ。ピンク色に染まって揺らめいている。

 じめっとした空気が足をくすぐる。お母さんにやってもらったお団子は、もうだいぶ緩んでしまっている。向こうの屋台で、マサキが射的をしている。リッくんがちらりとこっちを見て、軽く手を振った。

 ざく、ざく、ざく。まだ少し、氷が残っている。ストローに口を付けて飲むと、全然いちごじゃないいちご味がする。ざく、ざく、ざく。甘ったるくて、喉がひりひりする。あたしが欲しいって言ったから一緒に並んでくれたのに。彼のブルーハワイは、ほとんど食べられないままに真っ青の海を作っている。

 すぐ近くに、手を洗うところがある。小さな神社だから、誰もいちいちここで手なんて洗っていないけど。水飴でべとべとしたりするから、お祭りの日だけはちょっと活用されたりしている。柄杓からぴちゃんと音を立てて水が垂れる。あたしの心もとくんと跳ねる。

 足の指をいじっていると、頬に冷たいペットボトルが押し付けられた。わ、とびっくりして見上げると、シンプルな紺の浴衣が少しはだけた、田町クンが立っていた。

「ほら、水」

「ありがと」

 田町クンは隣に座ると、ブルーハワイをそっと持ち上げて一口飲んだ。

「うわ、すっごい溶けてる」

「ごめん、あたし、わがままばっかりで」

 かき氷が食べたいと言いながら、一口食べたら水が飲みたくなったと喚いて、疲れたから座りたいと駄々をこねて、そうしたら田町クンは、買ってくるから座ってな、と、自販機の場所も知らないのに駆け出して行った。その背中がなんとも格好良くて、きっとあたしの顔も、さっきのリッくんみたいに真っ赤になっていただろう。

 射的を当てて変なロケットの風船を持ったマサキたちがこっちへ来る。リッくんがあっと叫ぶ。

「おい、転校生! なんでアヤメといるんだよ」

「やばっ」

 あたしは田町クンの手を取って立ち上がった。下駄はサイズが合っていなくてぱかぱかしていた。田町クンは私の飲んだペットボトルを回し飲みしているところだった。構わず手を引いて走り出す。

「え、あれってえっと、坂本クンだっけ?」

「坂井だよ! リッくんって呼んでんの!」

「リッくんね。…片渕サン、ぼくたちどこ行くの?」

「アヤメ! アヤメって呼んでよ!」

 はあ、はあ、はあ。信号を渡って、お祭りの光が見えないところまで来た。走り疲れて膝に手をつく。はだけた浴衣を、田町クンが直してくれる。その優しい手付きにあたしはもうメロメロだ。

「わかった。アヤメ、ぼくもシンって呼んでよ」

「シン」

 辺りが明るくなった気がする。奇妙な橙色の灯りに照らされていた闇は輪郭を失って、月がぼうっと青く光っている。

「かき氷、置いてきちゃった」

 なんて、田町クンが青い舌を出して笑った。

「シン」

 彼の名前を呼ぶ声が、冷たい夜の空気にそっと馴染んだ。遠くで低い太鼓の音が響いていた。

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