深夜の独り言 3
最近はとても忙しくて、忙しい中書いたお話はなぜか長くなりがちで、いつまでも書きかけで、noteにあげるものがありません。
完結させるのが惜しいのかもしれません。
いつもこの時間まで課題をしています。バイトがあるからです。
欲しいものを好きなだけ買うお金を稼ごうとバイトをたくさんいれていると、買い物に行く暇がなくなって貯まっていったりします。そうすると欲しかったものなんて忘れてしまいます。
実は、キラキラしたものがたくさん並んでいるウィンドウを眺めている時間が、一番楽しかったりします。
わけのわからない文字ばかりが登場する理系科目だらけの授業の中で、一般教養でとった漢詩の授業だけが癒やしです。
実学には興味がわきません。
同じ数学でも、三次方程式が解けないのに四次方程式を解こうとしたり、タルタリアを裏切って三次方程式の解法を世間に広めたりしたカルダノのお話を聞いているほうが楽しいです。
「ギャンブラーにとっては、全くギャンブルをしないことが最大の利益となる」
ダ・ヴィンチの友人である弁護士の、愛人の子どもとして生まれたジェロラモ・カルダノ。父の数学の才能を受け継ぎ、医学と占星術に長け、自身の占星術に示された命日に自殺をしたという彼は、どんな思いで数学史を変えたのでしょうか。
彼が出版しなければ、共有されなかった「解法」という財産。
彼は何を求めていたのでしょう。
漢詩の授業で李白や王維のお話を聞くときにも思います。特に、杜甫。それなりに裕福であったにも関わらず、社会の日と影、貧富の差を描いた背景にはいったいどんな考えが。時代的に就職に恵まれなかったことも関係があるのでしょうか。
史を見るだけでは、実際の気持ちはわかりません。
彼らは、自らの本当に欲しいものを手に入れたのだろうか。
今までの自分のnoteを見返すと、随分たくさん書いたんだなあ、と感じます。でも、もっと書きたいなあ、とも思います。
ないものねだり、と言うんですかね。
欲しいものを夢見ることが、いちばんの幸せなように感じます。
だって、絶望の縁にいたら、今目の前のことに精一杯だったら、辛い、苦しいばかりで、あれがあったら楽しいだろうな、あれができたら素敵だな、と思いを馳せることはできないでしょうから。
何でもいいけど、大学の単位、欲しいなあ。
深夜の独り言。
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