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クリスマス

 ぷしゅーっとドアが開いて、何人か、僕の横を通り抜けた。冷たい空気が入り込んで少し震える。ぼんやりと、ドアの外を眺める。陽の落ちたばかりの青藍の空に、ぽつぽつと、白い光の粒が舞い始めていた。

 狭いバスの車内は、なんだかいつもよりいい香りがする。女のひとのヒールはいつもより細いし、男のひとの髪の毛はぴしっとあがっている。小さな子どもはぽんぽんのついた帽子を被って、鼻を赤く染めて笑う。僕はおろしたてのマフラーに顔をうずめて息を吐く。ドアが閉まって、動き出す。

 明日の夜って、空いてる?

 二ヶ月ぶりの連絡だった。お互いに忙しい日々が続いていて、電話をしても不機嫌で喧嘩した。仲直りをしなければ、と思いながら、いつの間にかこんなに時間が過ぎていた。このまま終わってしまうのかとさえ思っていたから、由佳から連絡がきたときは本当に驚いた。

 もちろん。できれば、一緒に過ごしたいな。

 何もなかったように返信をして、手頃なイタリアンを予約した。本当はこんな日くらいもっと良いところをと思ったけれど、直前ではどこも空いていなかったのだ。由佳は全然いいよと絵文字付きで返信を寄越した。

 バスが揺れる。かじかんだ手で冷たい手すりに掴まりながら、バランスを保つ。この世のいろんなことは絶妙なバランスでできていて、誰も望まなくても、何かの拍子に全部崩れてしまったりする。隣にいるお母さんの手をぎゅっと握りしめて、帽子を被った女の子は二、三歩、よろける。

 窓の外はだんだんと暗くなってきていた。青と藍と黒と、その間の色たちがたくさんの層をなしている。道沿いの木の光は駅前に近づくほどに華やかになる。初めは白い光ばかりだったのが、黄色、赤、青、緑、ピンク、紫、お店の明かりも増えて、それに合わせて人通りも増える。腕を組んで歩く恋人たちが、びゅんびゅん通り過ぎていく。

 角を大きく曲がる。また、女の子がよろめく。お母さんが、着いたよ、と声をかける。バスターミナルに入って、バスが止まる。

 由佳が、泣きそうな顔をしていた。

 ぷしゅーっとドアが開いて、僕は一歩踏み出す。両足降り立つと、由佳が飛びついてきた。持っていた大きめの鞄が落ちる。後ろのひとのふっと笑う声がした。「すみません」と小声で言いながら、由佳の頭をぽんぽんと撫でる。「とりあえず移動しよう」と囁くと、勢いよく顔をあげて「馬鹿」と言った。ドア越しに見えたときはとても綺麗に巻かれていた前髪が、僕のジャンバーのせいですっかり潰れていた。

「久しぶり」

 由佳は笑った。向かい合ってよく見ると、化粧が前と違う気がする。僕にはよくわからないけれど、大人っぽくなったな、と思う。

「ちょっとやつれたんじゃない、修斗」

「そうかな?自分だとわからないや」

「最近、何してたの」

「バイトかな」

 店内にはやはり聖夜の音楽が流れ、照明が少し暗い。窓の外は華やかだった。小さな光の粒は、遠目に見ると鮮やかに光るツリーになった。由佳はいつもより大きめの鞄の中から、両手を並べたくらいの四角い箱を取り出す。黒い箱に青いリボンが丁寧にかけられていた。

「あげる」

「え、なにこれ」

「クリスマスプレゼント。開けてみて」

 中身は手袋だった。分厚くないのに、裏地がふわふわしていて温かい。つけてみると、かじかんだ指にすっとはまる。

「わあ、ありがとう!すごく嬉しい」

「良かった」

 由佳は誇らしげに言う。手袋を箱に入れてをそっと鞄にしまってから、僕は、その半分もないくらいの小さな箱を取り出した。白いリボンの形を丁寧に整えてから、由佳の目の前に置く。

「僕からも。メリークリスマス」

「うそ、すごい、こんな高いもの」

 白い肌に映える銀色のネックレス。細いチェーンの先に小さくハートがあしらわれていて、これなら間違いないですねと店員のお姉さんがにっこりと笑っていた。このために、たくさんバイトをしたんだ。

「似合ってる」

「やだ、ありがとう嬉しい」

 僕たちは二ヶ月も連絡をしていなかったのに、言葉遣いも反応も、しっかり似通っていた。イルミネーションの色が変わっていく。カラフルに光っていたのがだんだんと彩度が落ちて、全部真っ白の光に変わっていく。

「連絡できなくて、ごめん」

 由佳の胸元でハートがきらりと光る。見ると、由佳の目頭で、水滴も光る。白いリボンを愛おしそうに撫でて、笑う。

「それはお互いさまでしょ。わたしも一人暮らし費用を稼いでいて忙しかったの」

「え?」

「あ…」

 艶々の唇の隙間からちらりと舌を覗かせて、由佳が言う。

「言っちゃった。驚かせようと思ったんだけどな。わたし春から一人暮らしするから、たくさん遊びに来てね」

 照れくさそうに水を飲む。しばらく見ないうちに化粧を変えたのだろうか。頬がうっすらと赤い。大人っぽくなったなあと思う。グラスに口紅の跡がついているのを見て、思わず目を逸らす。

 窓の外で、無数の白い光が静かに、すっかり暗くなった空に舞っていた。

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