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深夜の独り言 6

一日にいくつも予定があると、抱えきれなくなるタイプです。今日は学校、明日はバイト、その次は友だちと会う、といったように、一日の予定は一つがいいと思う私にとって、授業を受けて友だちと会ってからバイト、のように詰まっている最近は、忙しすぎて気持ちが追いつきません。

余韻に浸る時間が欲しいです。

私は歩くのが遅くて、みんなに合わせて歩いているととても疲れてしまいます。すたすたと前を行く家族の後ろ姿はどんどん小さくなって、しまいには消えてしまうこともあります。でも私は、一人ゆっくりと歩きます。立ち止まって欲しいのかもしれません。いつまでも子どもで、でも、一人はぐれてしまっても家に帰れるくらいには大人になりました。私はゆっくりと歩きます。

今日、家族で美術館へ行きました。事前に日時指定チケットをとった、ロンドン・ナショナル・ギャラリー展を見ました。

芸術の知識が乏しい私は、音声ガイドを借りて、説明文をじっくりと読み、すべての絵を丁寧に見ました。隅々まで眺めました。服の生地や形、背景の人々の表情、光の当たり方、よくはわからないけれど、とにかく目に焼き付けました。額縁や大きさまで思い出せます。

学芸員の資格をもっている両親は価値の高い絵を選んでじっくりと見、雰囲気を重んじる姉は気に入った絵ばかりを楽しんで見ていました。私がすべての絵を見終わったときには、みんなはグッズも買い終わって、外の椅子で休んでいるところでした。

私は気に入った数枚の絵葉書を買って、みんなのところへ行きました。あとで入ったカフェで見返すと、絵葉書と実物が大きく異なっていることがよくわかります。

ゴッホのひまわりの輝きを、スルバランの描いた布地の質感を、フェルメールの柔らかな光を、カナレットの細やかな描写を、忘れたくないと思いました。思い出す時間が、欲しいです。

課題が多くて、何を出して何をこれからやるのか、わからなくなってきました。他大の友だちが次々と夏休みに入っていく中、迫りくる最終課題たちと戦っていると、一人取り残された気分になります。遊ぼう、と連絡がきます。まだ授業があって、と言うと、ええっ可愛そう、と言われます。同情されても、だなんて、少し嫌な気持ちを抱いたりもします。

でも、いいんです。私は、みんなの後ろを、ゆっくりと歩きます。自分のペースで、一人で、歩きます。大丈夫です。堂々と歩ける。みんなと違っても、一人きりでも大丈夫なくらいには、大人になりました。夏休みがずれているから、きっと後半はみんなの学校が始まって、遊ぶ友だちもいないでしょう。そうしたら、一人でゆっくり本を読む時間ができます。思い出に浸っても良さそうです。それもそれで、素敵な休日になるでしょう。

ムリーリョの《窓枠に身を乗り出した農民の少年》の絵葉書を、縁に入れて部屋に飾ろうと思います。今回の展示で一番気に入ったからです。

母もこの絵葉書を買っていました。ムリーリョは普通の子どもの絵が良くて、宗教画家なんだけどね、可愛らしい普通の子どもの絵なんてこの時代に珍しいよね、なんて説明していました。

私は芸術の知識はほとんどありません。ただ、なんだかこの絵に、他とは違う豊かさを感じました。着飾らない素朴な少年の、いたずらっぽい無邪気な笑み。農民の少年というのだから貧しいのでしょうが、彼は楽しそうで、幸せそうでした。足を止めてじっと見ていると、優しい気持ちになりました。私が見つけた、私の好きな絵です。

これからも暫くは忙しい日が続きますが、絵葉書を見て、一人足を止めてこの絵に見入ったこと、そのとき感じた満ち足りた気持ちを思い出したい。細部まで詳しく頭に刷り込んだ自分に感謝です。

疲れが溜まっている夜の、

深夜の独り言。

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