わさび

「またぁ? 何人めよ、もう」

 いい加減うざい、という顔で、晴菜はるながこちらを見た。ちらりと横目で確認しつつ、今日二つ目の玉子をレーンから取る。

「でも、合わなかったんだもん」

 醤油にわさびをたっぷりと溶かして(さっきも溶かしていたのに辛くないのだろうか)、玉子に巻かれた海苔を丁寧に箸で剥がす。まず海苔を醤油に浸す。それから玉子の内側も。またやってるよ、とじろじろ見ながら、あたしは言う。

「距離感が合わないの」

 晴菜は細長い海苔をシャリの上に広げた。その上に玉子を乗せ直す。満足気に、ふん、と呟く。

「距離感距離感ってさぁ。どっちかというと楓夏ふうかがおかしいのよ」

 大きな口を開けて一口。てかてかの赤リップの中に、玉子は吸い込まれていった。

 黙っていた快斗かいとが、その隣でぷっと吹き出す。わさびに軽くむせた晴菜の背中をとんとんと叩きながら、水を差し出す。

「晴菜の寿司の食べ方も、だいぶおかしいよ」

 さっきからガリばかり食べているくせに、ほんとうに楽しそうにくっくっと笑った。で、と快斗は言う。

「今度は何が気に食わなかったの」

 晴菜は快斗の水を飲み干して、うわぁ、死ぬかと思った、と顔をしかめた。ぼんやりと、眺める。割り箸の袋に入っていたのだろう爪楊枝が空の湯呑みの下敷きになっているところや、晴菜の溢した醤油でしみを作っている快斗のお手拭きや、背中に回された細い腕。

「下心しかないのよ。気持ち悪い」

「まあ、隠すのは難しいんだろうね。楓夏は確かに魅力的だし、優しそうだから」

「腰に手を回されたときは、吐くかと思った。帰ったあとも、すぐ次の予定を立てようって言ってくるの」

「それだけ楽しかったんじゃない?」

「でもまだあんまり知らないじゃない」

 あ、それ取って、と、快斗が晴菜に耳打ちする。どれよ、と晴菜が怒ったように言った。快斗は仕方なく腕を伸ばして、レーンを横切るいわしを取った。細いのに筋肉質の腕が通るその一瞬、晴菜が目を伏せる。

「あたしの何を知ってるのよって、思うの」

「知らないから、知りたいんでしょう」

 快斗がまた、くっくっと笑った。醤油を直接かけて箸を持つ。

「楓夏はそのひとを気に入らなかったんだね」

 それから、いわしを幸せそうに見つめて、頬張った。あたしはその膨らんだ頬を見ている。

「美味しい?」

 ぽつりと言った。

「え、うん。楓夏も食べなよ。いわし好きだっけ?」

 うん、と頷く。晴菜は今度、いくらに手を伸ばす。ああもう、腕湯呑みに当たるよ、と、快斗が忙しない。

「好きということは、知りたいと思うことに等しい?」

 何言ってんの、と晴菜が笑いながらいくらを一口で食べる。いくらの海苔は取らないんだと思ったらなんだかおかしかった。難しいこと言うねと快斗も笑う。

 知りたかった。どうして、付き合っていることをあたしには言わないのか。どうしてあたしの話を笑うのか。優しいから聞いてくれるだけで、快斗もそんなには興味がないんだと思う。全部否定してくるから。どうしてあたしから誘わないと遊んでくれないのか。

 あたしばかりが、知りたかった。

 三人でいるのに底なしの孤独感がわきあげてくる。泣かないように必死で、笑った。

「美味しいね」

 ね、と微笑み合う。あ、いわしきたよーと快斗が指差す。晴菜はまたわさびを溶かす。あたしはそれを、いい加減学びなよと笑い飛ばす。こうして違和感も日常に溶けていく。見えなくなるまで溶かして、溶かして溶かして、むせないように、慎重に飲み込む。美味しいねと笑う。

 あたしは涙目で、回ってくるいわしに手を伸ばした。

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