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キム・ヘジン『娘について』(亜紀書房、2018年)感想

斎藤真理子『韓国文学の中心にあるもの』(←アフィリエイトリンク)をブックガイドに、いくつか自分の興味に近いものをリストアップして、読書メーターに読みたい本として登録をしていたのですが、その本の中の1つが表題の本であり、今日、読了したわけですが、私の大変好みの内容だったので、ざっくりと本の内容と、その感想について述べたいと思い、本記事を書いている次第です。

『娘について』というタイトルにもあるように、これは娘を持つ母親の視点による小説です。主人公の母親は50歳程度、今は介護施設にて、専属の担当を持っている介護士として働いています。介護される側の人間は相当年を召していて、用を足すことすら一人で出来ない老婆であり、痴呆症を患っています。また、老婆を訪れる人はおろか、相続人すらいないようです。
主人公の不安の一つは、もしもこの老婆が別の施設に転院する(痴呆が進んだ患者についてはフロアが変わり、よく言えば終末医療的な感じで、死を待つような状況に置かれるような描写がされていた)と、自分の仕事はなくなってしまうわけで、クビになるのではないかという不安です。

また、主人公には娘がいるように夫がかつてはいましたが、今は亡くなっています。夫が残したものは家であり、その家の2階に人を住まわせているのですが、何分古い家であり、雨漏りの苦情があっても、直すこともままなりません。(韓国の不動産の賃貸については、チョンセをはじめ、日本とは大きく異なるようなのですが、ここではその説明は割愛します)

そのような決して安定しているとは言い難い生活の中で、娘が仕事を追われていて、今住んでいるところで引き続き暮らすことが難しいというわけで、転がり込んできます。そして、彼女はパートナーとして、女性を連れてきて、主人公(母)、娘、娘のパートナー(女性)という3人暮らしが始まります。

母親は娘がレズビアンであることを受け入れることができない。また、娘が仕事を追われることになったのは、同性愛者であった講師が不当に学校から解雇されたことに対する反対運動を行っていることも遠因として存在している。
また、他方で、母親が介護していた老婆が突如として別の施設に異動することになり、仕事がなくなるのですが、それに対して上司に抗議し、老婆は最終的に主人公の家で死を迎えます。

ここにおいて、主人公である母親が、勤務先である会社という組織であったり、資本主義的な合理性であったりしたものに対抗、抗議するわけですね。人間的な時間の積み重ねによる感情、営み、記憶といったものを会社の事情ということで、処理することに対する理不尽さ、冷徹さに対する怒り、それを行動に移すわけです。自分にとって当たり前だと思っていた人生、感情を踏みにじられたことに対して。周囲の同僚などは、見て見ぬふりをしろ、抗議するなんて、百害あって一利なしだと述べる。

こうした、人をドライブするということは、当然、レズビアンである娘の立場とも相似しています。娘は同僚が性的マイノリティであるということを理由にして社会から不当に取り扱われる道理はない、そうした価値観を社会が踏みにじり、人生を困難にすることはあってはいけないことだ。だから、私の行動も価値観も何も間違ったことはしていないということを母親に述べます。

ここには、韓国における現在も進行している投機的な不動産バブルであったり、日本以上の速さで進んでいる少子高齢化による歪な社会構造であったり、学歴社会がより一層加速し、定職につき安定した生活を送ることが困難であるという社会的な背景があるのでしょう。(この辺りは、ソン・ウォンビョン『三十の反撃』←アフィリエイトリンクです。でも感じました)

ラストが好きで、結局、母親は依然として娘のことを受け入れることができないという独白なんですけど、そこがなんとも自意識の難しさを正確に描いているようで良かったです。人は、社会はそう簡単には変わることがない。物語を通じて、傍からしたら似たような経験をした、母と娘であってもだす。もしかしたら、親子だから余計にそうなのかもしれませんが。ここで、安易に和解を持ってきて、丸く収まったら、社会を変える戦いというのは簡単なことでしょう。

それでも、主人公である母は企業と喧嘩をして、患者に対してある程度の力の行使に成功したわけですが(また、死に際しての葬儀場でまた難しい問題が生じるのですけれど)、そのような経験によっても、自分にとって当然だと思ってきた価値観を変えることは容易ではない。そのことにまず自覚的であるということが大切であり、そのうえで、多種多様な生き方、考え方があり、どのような落としどころを探るか、探ることがそもそも可能なのだろうかと問いながら、眼前の今を生きていくことでしか、終わりなき明日を生き続ける術はないだろうというところに、リアリティとともに説得力を感じました。

恐らく、これは今の日本では受けないと思います。今の日本は、もう少し、楽観的なラストが望まれていると思います。未来に対して、あまりにも現実の日本で望みを持つことは難しいように思われている、と感じています。人気が出ている作品も多くは、最後はハッピーエンドな気がします。まあ、これは私の印象論(ここに書かれていることは全部私の印象論の枠を出るものではありませんが)なので、実際は、バッドエンド、現実はかくも厳しいがそれでも生きていくしかないのだ……みたいなラストも人気があるのかもしれませんけど。

いずれにしても、『娘について』は大変、私好みの話でした。良い読書が出来たと思います。では、ごきげんよう。

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