続・カメラ遍歴
父親のCanon AE-1 を高校時代に借りたことが僕のカメラ体験のスタートだということは前回書いた。
Canon AE-1 その2
カメラって面白い。
絞りの機構をなんとなく父に習った。
あとは、ピントの合わせ方。
中央の焦点を合わせるよって。
カメラを覗いて、ピントの合わせ方は弟を使って練習した。
父が、早くピントを合わせるんだと言って、しゃしゃっ!ってやってみせた。
ピントが合っているかどうかは知らないけど、ピント合わせをいかに速くやるかは重要なんだと知った。
歩きしかそもそも無い時代だ。
色々友達と遊びに行って写真を撮る。
それだけ。
だけど、撮れる枚数が決まっているから、そこは慎重に。iPhoneとはちがうよね。
Canon AE-1 事件は訪れた
近所の幼馴染が甲子園に出場した。
町内から応援バスが出て、僕と友達は応援に行った。
そこで撮った写真が上の写真。
だけど、このフィルムに変える時に問題が起きた。
入っていたフィルムは無事に回収できた。
だけど、新しいフィルムを入れることができなくなたんだ。
これが、もう20年以上前の記憶で、定かではないんだけど、この父から借りているカメラのことを知っているのは僕自身だし、誰も頼る人がいなかったんだ。
フィルムの巻取りが固まって、動かなくなったんじゃないかと記憶している。
フィルムの場合、一回シャッター切らないと巻けなくなるじゃない。
多分あれだと思う。今思えば。
でも、高校生の僕はそんなこと知らないし、焦った。
これから幼馴染の試合が始まるというのにフィルムが無いなんてやばいいいいい!って感じ。
俺と友達は、色々と焦った挙句、報道カメラマンに声をかけた。
今思えば、何やってんの?案件だけど、当時の田舎の高校生は「あ、あの人かっこいいカメラ持ってる!直してもらえる!」という思考回路だ。
現在の価値観で、その時の幼い高校生を非難してはいけない。その当時、その高校生も必死だったんだ。
親父のカメラを借りて、はるばる甲子園だ。
頼るものは誰もおらず、父が大切にしているという思いでこのカメラを抱いている。
想像できるかな・・・。
まぁ、無理でもいい。先に進む。
僕は、報道カメラマンに声をかけた。
「すいません、フィルムが入らなくなってしまい、見ていただけませんか」
「なんだよ、それ」
カチャカチャ
「なんだよ、このボロカメラ」
フィルムは入れてくれました。
だけど、僕にはそのカメラマンが言った「ボロカメラ」という言葉だけがそれこそ20年以上経っても忘れられないのです。
父が大切にしていたカメラ。
僕が生まれた時に高価なカメラをやっと買えたことを僕は知っていた。
何にしろ、父が侮辱されたと高校生の僕は思ったのでした。
その記憶は今でも忘れられません。
もちろん、プロが使うカメラではないでしょう。
だけど、僕が知る上で一番輝いているカメラです。
そのカメラマンは「ボロカメラ」と言いました。
高校生にですよ、そんな、高校生がいいカメラ持ってるわけ無いでしょう。
きっとお忙しくて、僕のお願いのタイミングが悪かったのは否めない。
だけど、今でも父が大切にしていたカメラを侮辱されたという記憶は残っているんです。
そんな事もあって、僕は自分のカメラが欲しいと思うようになりました。
ちょうど高校2年生のことです。
長くなりましたが、これが僕のカメラ遍歴の1つ目。
父のカメラをバカにされたことがより僕のカメラへの執着を悪化させたかもしれません。笑
次のカメラへつづく。
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