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セルフネグレクトと向き合う

いまのアパートの部屋に引っ越して3年ぐらいなのですが、
部屋のエアコンは、最初から電源は入るものの送風状態で、とくに暖かくも冷たくもなりませんでした。
私自身の自然な感覚では、それはそれでとくに問題を感じず、
夏は暑いし冬は寒いのは自然の摂理だと疑問を持ちませんでした。
しかし、友達からの「これはセルフネグレクトではないか」という指摘を受けて、エアコンの修理を請求することにしました。
昔から、いつの間にか持ち物がボロボロになっていたり、健康を害してしまっていたりすることがあり、セルフネグレクトには不安がありましたので、指摘を受け入れることにしたのです。
とくに今年の6月末は異常な気温の上昇があり、今後も予断を許しません。

修理の請求を部屋の貸主へすることができることは知識として当然持っていました。しかし請求を渋った自分の気持ちの要素を整理して記録しておこうと思います。

1.過去からの一貫性
先述のとおり、いまのアパートの部屋に引っ越して3年ぐらいなのですが、昨年、一昨年の夏冬ともにエアコンが稼働しなくても過ごすことができました。エアコンがなくても大丈夫という消極的な決断が過去に何度かあったのです。このため、今年の夏に判断を違えてエアコンの修理を請求しなくてもいいのではないか、という気持ちがありました。一度した決定を覆すには、それなりのエネルギーが必要となります。

2.ゆっくりとした変化を感じとることが苦手
モーフィングクイズという、ゆっくりと変化する画像の一部の箇所を当てるクイズがありますが、私はあの種類のクイズを生涯一度もわかったことがありません。何か先天的にそういうものを感得する能力が欠けている可能性があります。
それと同視していいのかわかりませんが、夏も冬も日々の変化はそこまで極端ではありません。まだ大丈夫だと思っているうちにそれが大きな変化となっていて、それに対応ができていないということがあります。

3.「自分の感覚」とのズレ
自分の自然な感覚にしたがって意思決定をすることが習慣になっていますが、自分の感覚が信用ならないことに直面することは恐怖です。
先日の整体を受けて、脳側が身体側の反応を押さえつけて無理な命令を身体側に下す無理をしていると少なからず感じ、脳側の声だけで判断しないこと、身体をよくモニタリングすることを習慣づけていく努力をするほかないのでしょう。

4.支援を受けることに不慣れ
友達にセルフネグレクトを指摘され、エアコン対応の支援の申し出を受けました。これはとてもありがたいことです。他方で、そのように大切に扱われることについて、戸惑いを感じることも事実です。こうした戸惑いが発生すること自体がセルフネグレクト発生を証明しているようなものでもあるのでしょう。
消費者的な立場で何かを受け取ったり、自分が相手を支援することには何の抵抗もないのですが、支援を受けること一般には不慣れな気持ちが抜けません。

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