ウクライナとロシア、パレスチナとイスラエル、そして沖縄と日本―――悲劇に至らせないために、今どんな手を打つべきか?


1 はじめに

 令和5年10月30日、辺野古代執行訴訟第1回口頭弁論(福岡高裁那覇支部)のニュースが流れた。沖縄県側の主張はどんな内容かと思い調べてみると、次のとおりである。「『公益を害する』という国の主張が正しいかどうかについて、最高裁判所では判断されていない。県民の明確な民意が『公益』として考慮されるべきで、県民の同意を得ない状況で代執行は認められるべきではない。」(令和5年10月18日付NHKホームページより)
 「公益」に関する解釈は司法の問題だけではない次元の問題でもあることを指摘してくれたニュースであった。翻れば、ウクライナとロシア、パレスチナとイスラエル、台湾と中国も、公益の解釈が分かれたことによって起こった争いであり、ここで言う公益とは、「住民(国民)の安全・安心」という言葉に置き換えることもできる。今回は、沖縄とわが国が上記の各国と同じ結末に至らないように、「今どのような手を打っておくべきか」というテーマで考察する。

2 安全・安心を巡る解釈の相違

 今回も、表で整理する。

表1:住民・国民を不安にさせる対象(筆者作成)

 このような単純化やアナロジー(類推法)は、主観的/恣意的とも言えるし、基本的に私自身も良くないと思っている。また、対立国間の問題と同じ文脈で沖縄と日本の問題を考えることも大問題だと思う。個々の問題は一様・単純でないとの認識のもと、本来は複雑な諸問題を丁寧に捉え、整理して理解することが必要であることは触れておきたい。ただ、解決のヒントに導く上でこの単純化手法を用いる。
 表1の対比に際し必要な視点は、「弱者側と強者側の共存はあるのか?」である。言うまでもなく、①と②は共存関係が破綻し、現在戦争に至っている。この表を見る限りでは、①~④全てで根本的なところに対立関係があることから、結論的に言えばお互いの利益を整合させる共存関係は成り立ち難い。つまり、安全・安心に関する解釈の統一又は調整は困難、ということになる。
 そのような中、紛争解決の方策として、国際政治の理論を①~④に適用してみる。話し合いや協調、枠組構築等を通じて平和を実現する方策を、「リベラリズム(国際協調主義)」及び「コンストラクティズム(構成主義)」というが、共存関係が困難な状況を踏まえると、これらの方策による平和達成は限定的、ということになる。
 逆に、このような対立関係において平和を成り立たせる理論が「リアリズム(現実主義)」であり、「如何に力の均衡を図るか」という視点から戦争回避を考えると、少なくとも③において戦争状態が回避されているのは、米国等の関与により抑止が効いている、という解釈になり、リアリズム的な手法の方が効果的ということになる。

3 バランシング(勢力の均衡を図ること。)

 それでは、リアリズムの側面を踏まえ、あらためて表1の修正を試みる。

表2:紛争・対立の構図(筆者作成)

 リアリズム的な見方では、表2①、②の抑止状態が破綻したのは、NATO・アメリカのバランシングが効かなかった、ということになるが、その見方は一程度妥当性があると思う。①に関し、バイデン大統領は、ロシアが特別軍事作戦に踏み切る約2カ月前に、「ロシアの侵攻を抑止するためにウクライナに米軍を駐留させることは検討していない。」とのスタンス、経済的圧力によって対立の緩和を図る考えを示したが、その考えが悪い結果を誘発したとの議論はある。②に関しても、1991年湾岸戦争における米欧の協調を契機に中東和平につなげたものの、その後のアメリカの関与が継続しなかったことで、双方の対立的な施策に歯止めをかけることができなかったという評価もある。
 ④は純粋に国内問題であるので、①と②と異なり、当然バランサーは存在しない。ただ、現在、両者の協調が成り立たない状態になっていることが、将来①~③と同じようなことに至り得るのではないかとの不安を巻き起こしている。仮に、沖縄県民にとっての脅威対象がアメリカ等軍事力である、いう民意が今後も変わらなければ、他国の干渉を招くことにもなるかもしれない。1972年5月15日の沖縄復帰記念式典に際し屋良朝苗・初代沖縄県知事は、祝辞で、戦後から祈願した祖国復帰の成就に対する喜び、世界恒久平和実現への誓いと米軍基地の態様等を残したままの復帰に伴う将来への不安を述べたが、特に祝辞の2番目と3番目の内容はそのまま玉城・現沖縄県知事の想いに通じる内容である。③の状況も、台湾に対するアメリカ等の関与は、中国側の見方では他国の干渉を招いている構図である。しかも、①、②の衝突に至る歴史を振り返ると、対立的な状態、特に安全・安心に対する各々の解釈が対立的かつ先鋭化することは、全く良い結果に繋がっていない。

4 おわりに―――悲劇に至らせないために、今何をしておくべきか?

 バランサーが頑張ることではなく、同じ目線で2者の間に入れる存在が入った方が、緊張緩和につながるのではないかと思う。秋田浩之氏の論考「『トランプ再選』に備える サブナショナル外交の出番」(日本経済新聞)において、「(今後、日米関係が難しい局面に至り得る可能性に備える方策として)まず、(日米の)軍と軍の関係をより深めることだ。」との提言があり、この考えを見て、自衛隊は沖縄県民と米軍の間に入り得る可能性がある、と感じた。成程、三沢、横田、横須賀、厚木、座間、岩国、佐世保等、米軍と同じ基地・駐屯地に自衛隊があるところのトラブルは少ない。自衛隊が地元と米軍との間の緩衝材になっているし、米軍に日本人的な心遣いが持てるように教える側面がある、ということだと思う。
 玉城知事が言う民意が、真の民意かどうか、仮に真の民意だとしてもその民意に応えてあげることが正しいのか、ということ見方もある。そうすると、司法判断に基づき行っていくことを進めつつ、よりよい形に持っていく観点から、大胆に取り組んでいく方策も講じた方が良いのではないか、と感じる次第である。


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