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観光名所に感動できなくなった

旅行に行って世界遺産など観光名所を見ても「こんなもんか」と思ってしまうようになった

数年前から観光名所を見ても感動しなくなったように感じる。
海外だとオーストラリアのエアーズロック、アメリカのグレートキャニオン、ベトナムのハロン湾、日本国内だと宮城県の松島、鹿児島県の桜島、屋久島の縄文杉、他にも観光名所を見たが覚えていないレベルだ。
感動しなくなった時期は確実に「故郷を離れてから」だと思う。高校生まで愛媛県で過ごしていたが、その時に旅行に行った名所には深く感動し、興奮したように思う。小学生の修学旅行で行った原爆ドームや旅行で行った通天閣、USJ、和歌山県の熊野那智神社、沖縄県の首里城。中学生の時に初めて海外旅行で行ったニュージーランドのタワー(当時は南半球で1番高い建物らしい)は今でも興奮したことを覚えている。

でもハワイで観たものは感動した

故郷を離れて大学進学のために関東に行った大学2年生の春、ハワイに当時付き合っていた彼女と2人でハワイに旅行に行った。その時にみたダイヤモンドヘッド、ワイキキの海は楽しかったし美しい景色だったと今でも記憶している。ワイキキビーチで見たサンセットは、今でも年に一度くらい動画を見返している。ダイヤモンドヘッドの登山も適度な運動量で楽しかったし頂上からのワイキキの街並みの風景は今でもデスクトップの背景にしている。
僕は観光名所に対して感動できなくなった理由に「故郷を離れたから」と挙げていたが、このハワイ旅行は故郷を離れた後だ。この理由では一元的に説明できない。
ここで一つ考えられたのが当時付き合っていた彼女と一緒に見たからではないかと考えた。つまり「誰と一緒に見るか」である。

誰と見るか

僕と一緒にハワイ旅行に行った彼女とは途中、何度か別れてはヨリを戻すことを繰り返したが6年ほど交際をしていた。ハワイ以外にもさまざまな国内観光や香港など海外旅行にも行った。国内の観光名所は軒並み感動しなかった。香港の百万ドルの夜景も綺麗だとは思ったが「おお、こんなものか」という程度の感想だったのだ。ということは「誰と見るか」で感動の具合が変わるというのもしっくりこない。

期待しすぎなんだよ

僕がなぜ観光名所を見ても感動しなくなったのはなぜだろうと考えたのは去年の秋ごろ一人で有給休暇を使って屋久島に行ったときのことだ。屋久杉を見ても何も思わなかった。片道3−4時間程度の登山が終わった。疲れたあ。程度の感想しかなかった。縄文杉より屋久島の道を原付で走りながら見た海の景色の方が何倍も魅力的に映った。
そんなことを当時付き合っていた彼女(前述とは別の方)に言ってみた。「期待しすぎなんだよ。観光名所だからってハードル上げすぎだろ。」みたいなことを即答された。確かに、と全てに合点が行った。僕は、世界遺産だから、観光名所だから、どんな素晴らしい景色を見せてくれるんだろうと期待感を高めていつも名所を訪れていた。でも期待しすぎているから、僕がハードルを高く設定しすぎているからそれを超えてくるのがほぼ不可能だった。
考えてみれば僕が感動した名所は不意に訪れる景色や、下調べを全くしていないような観光地の景色であった。ダイヤモンドヘッドやワイキキビーチも当時の彼女に行程を全部任していたから何も下調べなどしていなかった。屋久島での海の景色も不意に訪れたものだった。あと、葉山の秋谷海岸も好きな風景なのだがこれもたまたま訪れたときに見た景色だ。

なるべく期待しないように

これから観光名所を訪れる際はインスタグラムなどで綺麗な写真などは見ず、最低限の下調べだけで訪れたい。

ここまで書いてみて思ったが僕は海が見えるような景色に感動していただけかもしれない。感動できない理由が「期待しすぎている」<「海じゃないから」という説も出てきたが、それはまた今後考えてみる。

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