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二十年前と変わらぬ格差社会

6月の記事ですが、今、この記事が非常にバズっています。内容は是非、元記事を読んで欲しいですし、おいそれと要約は出来ないのですが、ハイライトの文章だけ引用します。

【社会を創る、わたしの友達へ】
「身の丈に合わせてもらえれば」この言葉が生まれる背景には、「社会を創る層」「そうでない層」の分断があるのではないでしょうか。私が校外で出会う友達のほとんどが、私立小学校出身です。しかし、全体の統計で見ると、私立小学校に通うのは人口のわずか1.1%。100人に1人。私立中学校に通う人さえ、7.3%。彼らは、その狭い世界の中で競い、悩み、結論を出し、他人を「優秀だ」「優秀でない」と判断します。あなたが見ている社会は、本当に「社会」ですか?大学進学率は58.8%って知っていましたか?社会問題について話す家庭は少ないって知っていましたか?

そして、この文章を読んで、私自身が、18歳で東京に進学し、打ちのめされたこと、そして、統計を学ぶゼミに行き、格差社会を卒論にしたことを思いだした。当時、佐藤俊樹氏の『不平等社会日本』がベストセラー担った時代でもありました。

そして、私は、卒論の章別まとめに、こう書きました。(分析の内容は今見ると、こっぱずかしい黒歴史なので書きません。)

本章の分析をまとめると、日本では教育による格差の固定化は明確に進展していると言える。そして、その要因は単に所得だけでなく、親の所得が子供のモチベーションにまで影響しているという点が見て取れる。つまり、結果の格差だけでなく、その前提になる個人の意欲・関心についても階層間の不平等が進展しているのである。すなわち、アメリカのように所得階層間格差をインセンティブにするどころか、低所得階層はますます意欲をなくし、高所得者層は意欲的に勉学に励む、そして一層格差が拡大するという悪循環に陥っているのである。

そのため、格差拡大はインセンティブの面において経済発展に貢献するという格差肯定論は日本の現状では、その前提から崩れているといってよい。日本の階層固定化はより一層深刻な問題となっている。

そして、指導教官との質疑応答で「なんで、格差が埋まる政策が日本でとられないんだと思う?」という話題となり、「社会が分断していて、政策決定者の社会階層が狭くて、リアリティがないまま政策を決めてるからじゃないですかね?」と話した記憶がある。

私が卒論を書いてから20年、世の中何も変わってない。




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