『豊橋公園』を『吉田城公園』へ変更に賛成が61%でした。
『豊橋公園』を『吉田城公園』に改名することに『賛成』が45%『やや賛成』が16%。合計61%でした。
といっても何のこっちゃですね。
現在、私が在学中の京都芸術大の大学院にて、歴史的景観に関する科目がありました。科目の内容については、後期に履修する学生や、次年度以降の学生さんもいらっしゃいますので、詳細については伏せますが、その科目のレポートで、アンケートを採る機会に恵まれ、『吉田城』に関するアンケートを実施しました。
レポートも無事受理され成績も確定しました。アンケートにご協力いただいた皆様には、改めて、この場を借りまして、厚く御礼申し上げます。本当にありがとうございました。
そして、その結果について、少し共有させていただければと思います。
豊橋市にある吉田城とは
といっても、【豊橋市にある『吉田城』】といっても余り知名度がありません。
そもそも、城のホームページがありません。観光課の人、せめてそのくらいは作ろうよ。jimdoやWixでいいんだから。
でも、凄い城なんですよ。『続100名城』にも選ばれています。(『続』だからベスト100ではなく、ベスト101~200だけど)
ちょっと説明します。
一般的な戦国時代の前半、豊川から三河湾、伊勢へと繋がる河川海上交通と陸路東海道・信濃に抜ける伊那街道の交わる交通の要衝、東三河の拠点であった吉田の地に牧野氏よって築かれ、その後、今川、織田、徳川といった近隣勢力による争奪戦と支配、城域の拡張が行われました。
歴代城主でそれなりに知名度としては、徳川家の酒井忠次さん(信長の野望だと初期徳川で貴重な内政キャラ)あたりでしょうか。そして、戦国時代も落ち着いてくると、豊臣家臣の池田輝政(照政)が城主となり、本格的な築城に着手します。
この、池田輝政さん、関ヶ原後は姫路に移り、今度は、姫路城を建てます。もし、時代の歯車が少しちがえば、姫路城が豊橋市にあったかもしれません。
そして、実際に、デカい(デカかった)です。最大規模で84万平方メートル。東京ドーム20個分ぐらい。いや、マジでデカい。名古屋城よりデカい、広い。でも、デカいと知られてない。そんな城です。
Googleマップでマッピングしてみました。野球場や陸上競技場が目に入ると思います。それと比較すれば、もの凄い広い範囲にまたがる城だったとおわかりになると思います。
しかも、この敷地の大半が、一応今は公園になっている。公園の周りをぐるっと外構を整えたら、それだけで「日本でも有数の広大な城跡公園」が出来上がります。
吉田城の凄いところ
さて、吉田城、現在でも、色々な遺跡が所々残っています。
これが、天守閣に相当していると言われていた黒鉄櫓(くろがねやぐら)。
うーん、ちょっと、、松本城!とか、姫路城!とかと比べると、、
少し負けるかな。
トリップアドバイザーでは「城のコスプレした倉庫」とコメントがつきました。
エレベーターはありません。
もっというと、空襲で焼けて、昭和に入って模擬再建された鉄筋RC造りです。鉄筋RCで造られた城は日本初だそうです。何だ、その、歴史のありがたみのない日本初。
しかも、1954年、豊橋で産業博覧会というイベントをやるに当って、モニュメントとして勢いで図面なく再現したものだから、屋根の南北方向と東西方向が90度、再現前と異なっています。エピソードが雑すぎて、マジやばい。
明治時代と比べると、明治時代は手前の豊川に対して垂直方向だったものが、再現した吉田城は豊川に対して平行方向なのが分ると思います。(写真は愛知県のホームページから)
ふつう、こんなことある?城が90度回転するとか。
ただ、そんな、雑な保護だった分、全国的に有名な『**城』や『◎◎城』と違い、100年ごとぐらいの遺跡が、結果として多層的に残っています。観光開発された城だと、『戦国時代』とか『江戸時代初期』とか、時代決め打ちして再建しちゃう傾向があります。
そうすると、例えば、大正昭和期に軍事施設(多くの城跡が基地として利用されました)として利用されていた歴史とかに蓋をしちゃうんですよね。
その点、『吉田城』は石垣も下の通り
直角で交わる両面をみてもらうと、石の色や形がちがうと思います。これ、左側が池田輝政による戦国時代後期に多い『石をちゃんと成形して積んでいく』という「打込接」工法、右側が、『石をそのまま組み合わせで積んでいく』という『野面積み』工法。
これ、ちゃんと整備した城だと、「打込接」工法で統一しちゃったりするんですよね。見た目が綺麗だし、高さも出せるし。『野面積み』はどうしても、高さに限界がある。
ちなみに写真の面、野面積で15メートルあります。これは現存している野面積み石垣では日本有数の高さを誇っております。絶対ちゃんと保護した方がいい。
ちなみに、石垣だけでなく、土塁も戦国時代のものが残っています。
この、左側の土手、これ、戦国時代のものが今も残ってます。多分、豊橋市民の大半が、『ただの土手』『公園と周辺道路を作るときに土木業者が盛り土して造った。』と思ってると思います。僕もそう思っていました。ちがうんです。戦国時代に造ってるんです。
一方、明治、大正以降、軍事拠点として使われていた歴史も残っています。案内板の通り、城内各所に弾薬庫など、明治以降の建築物や遺構も残されています。
これ以外に、豊川の水を引き込んだ川城としての特徴的な遺構など、城郭としての特色も多く、実のところ見所の多い城です。さすが、続100名城。
そして、現在市役所や美術館が建ち並んでいますが、まさに戦国時代~現代までをモザイク模様の様に、かつての城域内に配置する、そんな城が『吉田城』です。
なぜ、「豊橋公園」から『吉田城公園』に改名をするのか
さて、そもそもの話。なぜ「豊橋公園」から「吉田城公園」に改名をするのか、その理由は、明治維新後「豊橋」に改名したことにより、「豊橋=旧名は吉田」という結びつきが弱くなっていること。
全国多くの名城は、姫路市の姫路城、松本市の松本城など「自治体名と条名が一致」しています。
いわゆる現存12天守、弘前城(青森県)松本城(長野県)丸岡城(福井県)犬山城(愛知県)彦根城(滋賀県)姫路城(兵庫県)松江城(島根県)備中松山城(岡山県)丸亀城(香川県)伊予松山城(愛媛県)宇和島城(愛媛県)高知城(高知県)
のうち、自治体名が条名に入っていないのは「備中松山城」と「丸岡城」のみ。「丸岡城」も平成の大合併までは「丸岡町」にありました(現在は坂井市)
この「地名と城名の結びつきの弱さ」「豊橋解消による断絶」が、内外知名度や、歴史の継続性という点においてウィークポイントになっていると考えます。
また、『「公園」の中に城がある』ということが、公園の名称から分りづらい。実際『城がどこにあるか分らない』弊害を乗り越え、市の内外に存在感を増すため『城』を公園名に入れる自治体も多くあります。
そして、豊橋でも『吉田城』関係のシンポジウムを行うと、だいたい、いつも、専門家、パネラーの皆様から「吉田城公園」に改名した方が、都市政策上も効果が見込めるという発言が出ます。
加藤先生は「吉田城址公園」に改名すべきだと力説していました。
と、公園の改名という案はかなり前から提言はされております。
吉田城の石垣崩落
さて、この吉田城ですが、整備不良が目立ってきています。
https://www.tonichi.net/news/index.php?id=75509
https://www.tonichi.net/news/index.php?id=81852
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こちらは、地元紙へのリンクです。サムネイルの表示が上手くいっていないですが、それぞれ、「昨年に続き落石 対策急務」「吉田城の石垣で落石」と伝えられています。
私も先日写真を撮ってきましたが、こんな感じです。
隙間が目立つとおもいますが、これらは、石垣に草木が生えて手入れをされていないことにより、石垣の内側部分で草木の根が伸びて、中から石垣を外に押し出すような力が働いています。
その結果、何百キロとある石が突然落下するという大変危険な事態になっています。特に草木が生長する梅雨時にひどく、昨年、今年と、6月に連続して石垣が落下しました。
落下直後はこんな感じです。
今のところは土嚢を積むなどの対応をしていますが、吉田城の石垣は面数で言えば100面以上あり、至急かつ抜本的な対策が望まれています。
さてさて、アンケートの結果
と、ここまでが長くなりましたが、アンケートの結果という本題。180名を超える回答をいただきました。本当にありがとうございます。私の友人経由だったので、40代男性が多くはありますが、貴重なデータだと思います。
上記サイトにて、2020年7月16~18日にかけて、豊橋市在住、在住歴のある男女に対して実施しました。
アンケート結果は
にアップさせていただきました。
まず、結論から言えば、冒頭のタイトル通り、
『豊橋公園』を『吉田城公園』に改名することに『賛成』が45%『やや賛成』が16%。合計61%でした。
大きくは賛成の方向なのかと思います。自由筆記で回答をいただきました。賛成も反対も含めて全ての回答を上記PDFに記載していますので、ご覧いただければと思います。
とはいうものの、
『吉田城の敷地が名古屋城の敷地よりも広かったことを知っていましたか?』・・・知ってた16% 知らなかった84%
という状況です。うーん、この知名度の低さ。やはり、関心を高めることが重要だと思います。
最後に、関心を高めてもらうために、石垣の崩落写真を別角度から。
今日の話はここまで。
繰返しになりますが、アンケート、ご協力いただいた皆様、ありがとうございました。心より御礼を申し上げます。
最後までご覧いただきありがとうございました。 私のプロフィールについては、詳しくはこちらをご覧ください。 https://note.com/ymurai_koji/n/nc5a926632683