鬼娘二人組温泉地獄旅

 今は昔のことであります。とある小島で封印された鬼の女王沖姫と、その召使の雌鬼マカミが退屈な日々を送っていました。

「温泉行きたぁい!」

 退屈した姫が絶叫しますが、マカミは知らんぷり。おどおどした手つきで食事の用意を続けます。姫は立ち上がり、マカミの耳を掴んで再度叫びました。

「温、泉、行き、たぁい!!」

「うひぃ!」

 耳を押さえてマカミは後退ります。召使の情けなさに呆れつつ、姫は頬を膨らませてマカミの両耳を引っ張り始めました。

「聞こえているではないか。どうして無視するんじゃ!」

「だ、だだだって姫様。私にはどうする事もできませんのでぇ……」

「もーね、人間ども陰湿すぎるんじゃ。洞窟に閉じ込められて三百年、戯れも悉くやり尽くした。洞窟にも飽いたわ!」

「わ、私は今の……静かな生活も、す、好きですよぉ」

「はっ、なっさけないのぉ。一晩で九つの村を襲った戦士が見る影もない」

 偉大な戦士マカミは言われるや否や、両の拳を胸の前で合わせ、ハムスターみたいに震えだしました。

「ひ、姫様だって、人間のこ、恐さは身に染みたでしょう?」

「むっ!」

「また二人でぇ……全裸で土下座するくらいで済めばいいですけど……人間ども次あったら、みな……皆殺しだって」

「ぐぐぐ……」

 情けない戦士を罵倒したい所ですが、一人で寝れなくなった姫は彼女を責めるような卑怯な真似は出来ません。二人の鬼は人間の恐さを、その身の芯まで思い知らされていました。ですが……

「……やじゃ」

「はい?」

「いやじゃいやじゃいやじゃ! このまま死ぬまで幽閉生活なんて、腹でも切って死んだ方がマシじゃぁ!」

 姫には人間より、退屈に殺される方がよほど現実的でした。

 もうよい! と言って姫は立ち上がると、マカミの首根っこを掴んで洞窟の入口へと向かいました。洞窟の入口は巨大な岩で塞がれており、古ぼけたしめ縄を姫は忌々しそうに睨みつけます。

「姫。い、一体何を……」

「決まっとる。これをぶち壊して外に出るんじゃ」

「いいいいいいい! 鬼が触れたら死ぬって、人間がぁ――!」

「喧しい! このまま洞窟で果てるか、岩に呪い殺されて死ぬか。短く早く済む方がマシじゃろ!」

 怒りの拳を握り締めた姫は、そのまま岩に向かって全速力で走り出しました。

「三百年分の鬱憤突きぃ!」

「……ぁあ」

 無鉄砲な姫の愚行にマカミは気を失ってしまいます。

 ですが何と言うことでしょう。あまりに愚かな姫の賭けは大当たり。入り口を塞いでいた大岩は見事に粉砕され、閉め切って薄暗かった洞窟が開放感あふれるスペースへと生まれ変わったのです。

「お、おぉ……開いた! 開いたぞマカミ!」

「……」

 姫は偉大なる戦士の胸ぐらを掴み上げると、容赦なく揺さぶります。

「起きろマカミ! 妾の目論見通りじゃ!」

「え……ひえええええ! 外、外がぁ!」

「おうおうそんなに嬉しいか。ま、流石に三百年もたてば、術者の家系も絶えて結界を保つ者が――」

「ひぃぃぃぃ! 人間が来るぅぅぅ! ……きゅう」

 白目をむく偉大な戦士を、呆れた姫は床に放置してしまいます。

「まあ良いわ。それより、また海の向こうに繰り出せるぞ。温泉巡りじゃあ!」

 久方振りの潮の香りを胸いっぱい吸い込み、感極まった姫は夕日を浴びつつエイドリアーン! とロッキーばりのガッツポーズで喜びを海の向こうへ叫び散らすのでした。

 折角の門出だというのに、海鳥の鳴き声一つ聞こえない物悲しさだけは不満でしたが。




 封印を解いてから二日。姫とマカミの姿は浜辺に浮かべた小舟の上にありました。周りでは鬼の臣下たちが二人の旅立ちを祝っています。

「それでは姫様、マカミ。お気をつけて」

「うむ。爺やも土産を楽しみにな」

「あ、あのぉ……私は別に行きたくないっていうかぁ……」

 仲間の心温まる声援に送られ、二人は三百年ぶりの旅をスタートさせるのでした。

「いい香りじゃのう。潮風がこれ程心地良いとは」

 小舟のへりに寄りかかる姫は、着物の袖を撫でながら言います。お忍びの旅という事で、姫とマカミは地味な旅装束に編み笠、草履と人間の旅人らしい格好をしています。

「それで、どこへ行くか決まってるんですかぁ?」

 無理やり乗せられ吹っ切れたマカミが訊ねると、姫は任せておけと親指を立ててみせます。

「大ムカデしばきに行った時見つけた、とっておきの秘湯じゃ。山の上で道も悪いから、そこそこかかるがのう」

「い、いいですね。山の上なら人間も来ないし……」

「じゃが途中は町や村によるぞ。人間の食いもんも気になるからの」

「えええええ!」

 あからさまに嫌がる従者を無視して、姫は沖の方に視線を巡らせます。

「お、あれは陸ではないか。マカミ、少し北東じゃ」

 そうして二人は懐かしの陸へと上がったのでした。が……

「な、何もないのう……」

 上陸してからやや暫く、二人は山の麓にある町に辿り着きました。これまで見た事もない程大きい街です。ですが町には建物、その廃墟だけがあって人がいない。町の残骸しかないのでした。

「姫ぇ、なんだかすごく不気味ですよぉ」

「纏わりつくな暑苦しい!」

 怯える偉大な戦士を振りほどいて姫が怒鳴ります。無理もないことでした。夏とはいえ、それだけでは説明のつかない異様な暑さが、石畳の床から立ち上ってくるのです。

山ぐらい大きい石の建物に囲まれた町は風の通りも悪く、濁った空気が姫の機嫌をグングン損ねます。

「これで……茶屋でもやっとれば少しはましじゃが」

「どうして誰も居ないんでしょう? 盗賊もいないのは変ですぅ」

「これは、アレじゃ……」

 深刻ぶった顔で姫は腕を組みました。唸る彼女が何を言うのかと、マカミも姫に釣られて腕を組みます。

「人間の国……少子高齢化社会なんじゃな」

 姫は博識でした。

「じゃあ……人間どもに遭う見込みは少ないんですね。やったぁ……へへへ」

「まあ安全ではある。だがこれでは旅の意味がないではないか!」

 肩を怒らせ姫は地団駄を踏みます。二人が恐れるのは金太郎とか桃太郎みたいな強い人間で、その他は楽しい連中です。飯を奪っても良いしもてあそぶのも最高です。男なら例えノンケ……鬼嫌いでも構わずホイホイ食っちまうやべぇ奴らが鬼なのです。

 ですがそれも、人間が見つからない事にはどうしようもありません。

「もー、あれじゃ。一歩歩くごとに何もなかったらマカミ、お前の角をへし折る」

「ひっ! 二歩で終わりじゃないですか!」

「行くぞぉ、一」

 しかし残酷なる姫の暇つぶしが行われることはありませんでした。

「むっ」

 路地裏に入る、蟹股でひょこひょこ歩く人影。一瞬ちらついたそれを姫は捉えました。

「おお、何かいたぞマカミ! 早く追いかけよう」

「あぁ……主よ。貴方の慈悲に感謝しますぅ」

 十字を切る鬼の戦士の手を引いて、姫は路地裏へと入り込みます。流石に鬼の足、人影が逃げるより早く二人は追いつきました。

「待てい、そこの者! 名を名乗れい!」

 姫の一喝に気がつくことなく、影は角を曲がります。無礼者と続けようとした時、姫の鼻を魚が腐ったような匂いが襲いました。

「うう、これは……」

「姫ぇ、息が出来ません!」

「我慢しろ。しかしこの臭い、ありゃ人間ではなく河童か?」

 今思い返すと、人間にしては膝を曲げ過ぎて歩くのが下手くそでした。

「マカミ……慎重に行くぞ」

 いやいや頭を振るマカミを引きずって、姫は後を追います。建物の陰から様子を窺い、やっと人影の正体を見る事が出来ました。

 河童にしても異様な姿でした。全身が泥まみれの真っ黒で、これまた黒いボロボロの着物で全身を覆っています。特に袖は振袖のように長いですが、見るからに襤褸切れで変装するにしても雑です。

「こんなに川から離れて……一体何をするつもりじゃ?」

「さあ……」

 得心のいかない二人。ですが路地の向こうから赤ん坊の泣き声が聞こえると、姫とマカミの表情は凍り付きました。

「フ……フフ……」

 臭い息を歯のない口から漏らして、河童が笑います。

 ペタ、ペタ、ペタ。ぎこちなく足を踏み出して。

 ゴミの山の上で寝ている赤ん坊へ、袖の垂れさがる腕を伸ばします。

 真っ黒な人型が薄闇をゆらゆら進む様は、まるで死神が生者をさらいに来たかのようです。言葉もなく様子を見守っていた姫は河童の思惑に気がつきました。

「そうか……赤ん坊を勘づかれず攫うためじゃな」

「……!」

 姫の呟きにマカミが目をむきます。

 動物の巣に入るには、動物の匂いを身に纏え。河童は狩りの教えの通り、赤ん坊の母親の服を纏って赤子を攫ったに違いありません。ならあの黒いのは母親の血か? イヤな想像が姫の頭をよぎりました。

 ギリリ、と姫が牙を噛み締めます。

 鬼は河童が嫌いです。臭いし、弱者を狙うのに躊躇しない卑劣さが嫌いでした。姫も河童が嫌いです。そして姫の傍には――

 河童が大嫌いな、偉大な戦士が一人居ました。

「オオオオオオオオオオォ!」

 狼も恐れおののく雄叫びを上げ、牙をむいたマカミが河童へ襲い掛かります。

 硬直する河童はしかし何をするでもなく、マカミの爪と牙で一瞬のうちにバラバラにされてしまうのでした。あとには血だまりと返り血を浴びたマカミだけが残されます。

「はぁ……はぁ……」

「ご苦労、マカミ」

 部下をねぎらう姫はゴミ山に寝かされた赤ん坊を抱き上げました。寝床の周りには残飯や乳の入った瓶が残されています。

「太らせて食うつもりかのう……取り敢えず連れてくか、置いてくのも後味悪い」

 そんな姫の目に留まったのは、明らかに食べ物ではない小さな箱でした。

「なんじゃこれ?」

「な、なんかぁ、紐みたいのがついてますよ」

 マカミが言う箱についた紐を姫が近くで見てみると、微かに音がするのが分かります。試しに紐の先端を耳に突っ込む姫は、すぐに顔を歪めて耳から引き抜きました。

「うげ、なんか男がようわからん言葉でがなり立てとるわ。新しい京言葉か?」

「捨てましょうか?」

「いや、聞いていれば言葉の勉強になるじゃろ」

 箱と紐を小物入れに突っ込んで、姫とマカミと赤ん坊は旅を続けました。




「姫ぇ。だ、抱っこするの変わりますよぉ」

「マカミよ……その血だらけの手で赤子に触れる気か?」

「あうう。でも川は熱くて手を付けられないし……」

「全くのう。引きこもってた間に何があったんじゃ……」

 ぶつくさ文句を言いながら二人は山を登っていました。景色はさらにひどくなり町は瓦礫だらけ、木は立ち枯れ、オマケに道はどこのバカ大名の趣味かガラス敷きです。

「どこの、アホが、硝子の道なんて考えたんじゃあ! ふう、滑るばかりではないか!」

「木も全部枯れちゃって、酷いもんです……」

「大方……たたら場の毒水のせいじゃ。ああいうのが山に立つと、下流まで全部汚される!」

 ですが二人は折れません。ここまで来れば、秘湯はもうすぐそこだからです。

「あの湯気が立ってる辺りじゃ。行くぞ!」

「あそこ、ですかぁ? ぜんぜん隠れてないような」

 はげ山と化した山頂を目指し、硝子の道を踏みしめる二人は、ついに湯気の立ち上る極楽へと――

「到着じゃ……あ?」

「どうしました姫……え?」

 最初訳も分からず立ち尽くしていた二人の鬼は、やがて訳の分からない光景に目をむきました。

「「なんじゃあこりゃぁ!」」

 秘湯。沖姫がかつて見つけたという温泉の姿は、そこにはありません。

 温泉があったであろう場所は一帯が丸ごと掘り返され、ぽっかり空いたすり鉢状のくぼ地に、煮えたぎった温泉が湖のように溜まっていたのです。

 それだけなら水を入れて温度を下げればいいことです。ですが鬼たちが二の足を踏んだのは、それとは別な理由でした。

「また、河童が……」

 巨大な温泉の底に、またあの黒い河童が無数に浮いているのを、姫はただじっと見ていました。連中は哀れな鬼を嘲笑うでもなく、怯えるでもなく、姫の秘湯が自分たちの者であるかのように悠々と漂っているのです。

「ぐ、が……この……河童風情が!」

「姫! 駄目です赤ん坊が!」

「ぬう……」

 我を忘れ飛び込もうとした姫は踏みとどまり、拳を下ろして力なく項垂れてしまいました。どのみち、これでは河童の悪臭で温泉など入れたものではありません。

仕方ない、帰ろうと姫が踵を返した時、温泉からバスンという音がしました。見れば河童たちは膨らませた腹を次々破裂させ、更なる悪臭を辺りに漂わせています。

「く……河童ども、屁なぞこきおって!」

「姫……!」

「分かっとる! 憶えとれ……いつか必ず目にもの見せてくれる!」

 散々に気分を害された鬼二人は、トボトボと山を下りていきました。

「すまんのう……旅がこんな形に終わって」

「い、いえ。私は元々島から出たく――」

「折角楽しみにしてくれとったのにのう……」

「いえだから――」

 雨に降られた鬼二人は、廃墟で膝を寄せ合い雨宿りをしていました。赤ん坊の寝息をかき消して、雨どいを強く打つ雨粒の音が余計に旅の失敗を物悲しくさせます。

「人間どもがなぜ居ないのか、漸くわかったわ」

 疑問が解けたわりには、姫の顔色は優れません。

「妖怪じゃ。山の連中が人間どもの国を滅ぼして、好き勝手住み始めたんじゃろう」

「そんな……人間がそんな簡単に」

「盛者必衰。驕れるものも久しからず、というからの」

「……これからどうします?」

「ううむ。京ならばあるいは……どちらにせよ、赤子を島に預けてからじゃ」

 それで切り替えられるほど、マカミは馬鹿ではありません。楽しみにしている姫には悪いですが、人間の国は悉く滅んだと考える方が自然です。ですが姫の顔に陰りはありません。マカミの手を取り、強く握りしめて続けます。

「安心せいマカミ。お前の言う通り人間は強い。まだどこかで生き残って面白いものを用意しておる。探しに行けばいつか会えるわ」

「えぇ、また行くんですかぁ……」

「はっはっは! そう言うな。それに……」

「はい?」

「……結局……お前を温泉に入れてやれんかった……」

 ポカンとしていたマカミは、姫が俯くのを見てあっ、と声を漏らしました。島を出たくなかった彼女からすればお節介も良い所ですが、いじらしく不貞腐れた姫を見ていると、そんな不満もどこかへ吹き飛んでしまいます。

「姫……」

自然と口に微笑が浮かべて、マカミは姫の肩を抱き寄せます。

「大丈夫ですよ。私、今日すごく楽しかったです」

「……ん」

 隣に座るマカミの肩へ、姫は不愛想に頭を寄りかからせます。二人で聞く雨音にもう悲哀の色はありません。終着点に辿り着いた旅人たちへのエンドロールのように、沖姫とマカミを迎えます。

「……あの箱の音を聞いて、京言葉の練習でもするかの。連中ときたら、少しでも田舎臭いと感じればすぐ袖にしおる」

「あ、それなら動かし方覚えたので私が」

「うむ、頼んだ」

 肩を寄せ合う姫とマカミは、箱についた紐を片方ずつ耳に入れて、流行りの京言葉に耳を澄ますのでした。


「……で、どうやって聞くんじゃ?」

「ええと、確かこの三角の印を押せば中の車輪が回って……」




――≪メッセージテープは三秒後、自動で巻き戻ります≫――

――……栄えあるアメリカ合衆国日本準州の国民に告ぐ。私は合衆国第七艦隊司令、ピケット中将である。本日午後八時三十七分に、合衆国本土がソビエトからの核攻撃に晒されたという報告を、諸君は既にテレビで知ったことだろう――

――不安に駆られるのは当然だ。そして不安は……私がこのメッセージを残すからには現実である……合衆国は、本土は、一切の交信が出来ない状態だ。だがこれは決して、我が祖国の敗北を意味するものでは断じてない!――

――偵察機からの報告によると、本土からの報復攻撃でモスクワ、レニングラード、セヴァストポリ、クルスクといったソビエトの主要都市三十に甚大なる被害が生じた模様だ。地下貫通型核弾頭によって共産主義者たちは壊滅的打撃を被っている。一矢報いらんとする本土の人々の執念がこの大戦果を打ち立てたのだ!――

――諸君、我々も後に続こうではないか。列島中に配備された千三百基のICBMは第一種戦闘配置をとり、発射される時を待ち望んでいる。これはソビエトはおろかあらゆる共産圏の独裁者たちを、一瞬で地獄に叩き込める量だ。――

――無論、準州も無事では済まないのは確定的に明らかだ……しかし核シェルターと、諸君らの血潮に流れる誇り高きサムライの魂があれば、準州は今よりずっと豊かな土地に復興すると私は信じている。そして共産主義の駆逐された、正義と自由の世界が我々を迎えるだろう!――

――将来を絶望視する者もいるだろう。だがその時は、箱根山司令部にひるがえる星条旗を信じて欲しい。日本を悪逆非道なるエンペラーと軍部から解放した旗は、常に諸君と共にある。神に守られしサムライたちよ。ガラスと放射能で覆われた世界に、自由とアメリカの栄光を取り戻すのだ!――

――合衆国万歳! 日本準州よ、永遠なれ!――

――≪メッセージテープは三秒後、自動で巻き戻ります≫――

――……栄えあるアメリカ合衆国日本準州の……

いいなと思ったら応援しよう!