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映画『オッペンハイマー』〜日本人こそ観るべき映画〜

2024年アカデミー賞、作品賞を始め最多7部門に輝いた『オッペンハイマー』。
待望の日本公開ということで早速観に行ってきました。

“原爆の父”と呼ばれた人物の伝記映画ということもあり、日本での公開が議論され、結果アメリカでの公開から約8ヶ月も遅れたこの映画ですが、観た直後の率直な感想は、「いや、日本人こそ観るべきやろ」ということです。

その辺りも踏まえて、この映画の感想を書いていきたいと思います。


観てすぐの率直な感想

とにかく複雑だった『オッペンハイマー』。登場人物もとにかく多かったです。
しかも上映時間は3時間と超絶長いので、尿意との戦いでもありました。笑

原作の自叙伝が上・中・下と三部構成になっているそうなので、1クールのドラマをギュッとした感じで、3時間でも収まりきらないくらいの情報量でした。
特に前半のオッペンハイマーが一人前になるまでの歩みは、ハイライト並みのテンポ感で、一つ一つの時代は一瞬すぎました。

今作は、撮影の段階でIMAXを意識して作られていて、監督もIMAXを推奨しているとのこと。
なので、僕もIMAXで観てきました。
絶対に必要な気は正直しなかったですが、やはり爆発音の臨場感が凄まじいので、恐怖心は倍増されました。
オッペンハイマーの不安な心情を表現する時の音も半端なくデカいので、より感情を揺さぶられたい人にはオススメです。



※以下、若干のネタバレあり


時系列ぐちゃぐちゃ映画

『オッペンハイマー』は、第二次世界大戦中のアメリカでの原爆製造計画、「マンハッタン計画」の責任者であるロバート・オッペンハイマー(キリアン・マーフィー)が、戦後の冷戦下でのアメリカで吹き荒れた共産主義の廃絶「赤狩り」の一環で、ソ連のスパイだったか否かを問う1954年の聴聞会を軸に話が進んでいきます。

また、オッペンハイマーに不利な状況を仕組んだ首謀者、ルイス・ストローズ(ロバート・ダウニー・Jr)が商務長官に任命すべきかどうかの1959年の公聴会の模様も描かれます。

1954年の聴聞会のシーンが結構多く、そこでは小さな会議室みたいな場所に閉じ込められて尋問されていくわけですが、やってること自体はまあ地味。笑
ですが、その中での彼の回想で、戦前、戦中、戦後それぞれの様子が描かれていきます。
それが行ったり来たりするもんだから、なかなか頭が混乱します。
1954年がカラーで、1959年はモノクロで描かれるので、まだ違いはわかるとは言え、です。

「時系列」という問題に関しては、『メメント』や『TENET テネット』を作ったクリストファー・ノーラン監督お得意の手法なので、ある程度覚悟していましたが、以前の作品より必要になってくるのが、若干の「歴史の知識」です。


「ファシズム」と「共産主義」と「水爆」

映画全体を貫くキーワードは、「ファシズム」、「共産主義」、そして「水爆」、この3つかなと思っています。
事前にある程度入れておかないといけない知識でもあります。

ドイツ系ユダヤ人であるオッペンハイマーの根底にあるのは、反ファシズムの感情です。
ナチスドイツが原爆の開発を推し進めると、奴らよりも先に完成させなければいけない!と、仲間の研究者と共に開発を一気に加速させるオッペンハイマー。
特にドイツが敗戦するまでの彼のモチベーションはそこにありました。

しかし、ドイツが降伏した後の原爆開発のモチベーションは、ソ連です。
これは彼というか、あくまでアメリカ軍・政府の考えではありますが、同じ連合国であるソ連という国の根幹を成す、共産主義との対立を想定しての準備でもありました。

そこで戦後加速するのが、原爆よりも強力な水爆にまつわる議論です。
共産主義(ソ連)との開発競争のカードとして水爆が使われていくんですね。

時系列が前後するというギミックが合わさると、「この段階でのアメリカとソ連の関係ってどうやったっけ、、?」とか、「水爆はまだこの時点では完成してはないよな、、?」とか考えながら観ることになりますが、大体の知識があればなんとかついて行けると思います。
「そもそも共産主義って何??」レベルの人にとってはしんどい映画ですね。

僕自身はついては行けましたが(一応大学では歴史学専攻)、アメリカの対ソ連のスタンスが戦時中と戦後でくっきり分かれているわけではなく、あくまで戦時中から後々共産主義が脅威になることを恐れて、水面下ではソ連の存在を危惧していたのか、、とかは改めて勉強になりました。

いろいろ話が複雑で細かいところまで理解しようと思っても難しいですが、この辺のキーワードを頭に置きながら観たらおおよそのことは分かるなと思いました。

要するに「共産主義悪い!(悪いとされてる!)」が分かればいいと思います。笑


日本人こそ観て、考えるべき映画

この映画が日本の団体から批判された理由としては、「原爆投下のシーンがリアルに描かれていない」などがあったみたいです。
確かに投下の瞬間は、ラジオのニュースでサラッとオッペンハイマーが知る、、といった描き方になっていました。
ノーラン監督自身も言っていたように、「投下の瞬間が全く知らされなかったという史実」に基づいていたようなので、僕は特に違和感は感じなかったです。

「軽んじられている」だとか、「原爆の生みの親を美化している」という意見も理解できないこともないですが、僕が思ったのは「日本人こそ観るべき」ということで、その理由としては、やはり「日本が世界唯一の被爆国」だからです。

原爆投下を経験した国の国民であるからこそ、同じシーンでも、他の国の観客とは感じ方が絶対に違うと思いました。

特に原爆投下を決める会議のシーンでは、胸が痛みました。
投下の候補地や日程を、割とカジュアルに決める軍や政府の上層部たち。
「京都は歴史的でいい街だ。新婚旅行も最高だったよ」などというトークを笑いを交えながらしている姿には畏怖の念さえ感じます。

オッペンハイマーが原爆投下成功の後、ロスアラモス研究所で行なったスピーチのシーンも、日本人なら感傷的になる場面だなと思いました。
自分が作り上げた原爆という存在によって、一瞬にして何万人もの市民が死んでしまったという事実に、熱狂する国民とは裏腹に思い悩む主人公の姿がありました。

それもこれもノーラン監督の思惑ではありますが、アメリカのトップたちの軽妙なノリや、自責の念に駆られるオッペンハイマーを描くことで、観る者に不快感や歴史を省みるべきだというメッセージを与えていたと思います。
その時点で、この作品からは「戦争反対」を感じるのです。

トルーマン大統領が“悪の権化”として描かれていたのも、「当時のアメリカってよくないよね〜」という意思表示に感じたので、日本人のことを全く考えていない映画では決してないと思います。


ヒーローであり、神であり、悪魔であり、戦争の加害者であり、被害者でもあるオッペンハイマー。

そんな彼の生き様を通して、また「原爆を作った張本人」という一つの“事象”を踏まえて、日本人は感情論だけではない見方で、この映画に向き合うべきだなと強く感じました。



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